第33話 幕間の番外:巴と信仁の後日談

「……あんた、新しいバイクって、よりによって、これ?」

 待ち合わせ場所である西武新宿線東村山駅東口駅前の車寄せに置いてある旧型V-MAXを見て、清滝巴きよたき ともえは絶句した。


 遡る事一日。卒業式を明後日の日曜の午後に控えた金曜日。私立早田はやた大学高等学院において、卒業生はもはや登校日はなく、在校生も一部生徒会関係者及び会場設営に借り出される運動部代表以外は、同じく明後日午前の終業式までこれまた登校する必要がない。

 文字通り、どったんばったん大騒ぎだった数日間をどうにか乗りきった巴は、ボロ布と化した制服の替えを、近い体型の後輩女性生徒の制服を借用することで何とかクリアし、考えられる万全の態勢で共学化最初の女性生徒、かつ生徒会執行部風紀委員前委員長としての面子を保つ事に成功していた。

 なお、この関係でスカート丈が他の生徒とほぼ同等となり、履き慣れていたロング丈から膝丈という「足を出した」格好を在学中三年間を通してほぼ初めて披露したことに対し、仲の良い生徒全員からからかわれるハメになった事は余談である。

 準備万端、後顧の憂いがなくなったところで、必要最低限の着替えその他を残し、不要な衣類その他をまとめて荷造りしていた巴は、昼食を摂りに向かった食堂で顔を合わせた滝波信仁たきなみ しんじから、翌日のデートの誘いを受けた。


「ツーリングに付き合え?」

「です。実は今日、練馬の陸運に行って新しいバイクの登録してくるんで、明日、慣らし運転に付き合ってくれません?」

 昼食のカツカレー(大盛り)を掻き込みながら、信仁はそう巴に頼み込んだ。

「新しいバイクって、MVXやめるのかい?」

「実は少し前から探してたんすけどね。MVXじゃあねさんのCBXについていくの辛いんで」

 ホンダの傑作不人気バイクであるMVXは、初期の2ストニーハンマシンとしては、低速トルクもあって意外に乗りやすいマシンではある。しかし、後発のレーサーレプリカとのパワー戦争に敗北し、実用性に振った代償に官能性に欠けると評価され絶賛不人気の烙印を押された悲劇の迷車でもある。

 単純に安かったから、と言うだけの理由でジャンク寸前の2スト三気筒を入学と前後して格安で拾って来た信仁は、それでも結構な愛情をこめて復元整備し、この二年間乗ってきていた。しかし、MVXではリッターバイクである巴のCBX六気筒後期型はおろか、寿三郎じゅざぶろうのNS250Fにもついていくのが精いっぱいという状態が続き、打開策としてNS400のエンジン搭載も検討されたが、全くもってコストに結果が見合わない事は必定であり、結局のところは大馬力車への乗り換えという至極まっとうな手段を執ることを、信仁は選択していた。

 乗り換え対象選択と並行して限定解除試験を受験、司法試験より難しいとされる実技試験を府中試験場で三回目にしてクリアした信仁は、個人売買で思ったより高く引き取ってもらえた愛車MVXとつい先日決別し、先行して入手し、点検整備を進めていた新車――といっても勿論中古車なのだが――を、本日午後の第四ラウンドに練馬陸運局の検査ラインに持ち込むのだという。


「で、何買ったのさ」

「そりゃ、蓋を開けてのお楽しみって奴で」

「ふうん……ま、いいよ。ここんとこ色々あったから、気分転換に少し奔るはしるのも悪くないさ」

「これからも、色々ありますぜ、きっと」

「よしとくれ」

 嫌なことをにやけつつ言う信仁に、本気で嫌そうな顔で巴は答える。

 まあ、実際問題、色々あるでしょうよ。巴は、カツカレー(普通)をすくいながら、思った。色々あるだろうけど、大丈夫、コイツとなら、きっと……


「意外に安かったんですよ、これ。程度の良いのはもっと高かったですけどね。コイツは、MVXの売値にチョイ足しで充分いける程度で」

「それにしても……思い切ったわねぇ……」

「姐さんのCBX追っかけるのに、これくらいはないと、ね。あと正直、妹さん達のバイクにもコイツなら負けないし。その意味でコイツにして正解でしたぜ」

 巴の乗るホンダCBX後期型は、空冷直列六気筒という押しの強いエンジンを持つレジェンドマシンである。フレーム強度の問題でコーナリングに難があると言われるものの、高速巡航なら、独特の形状のフルカウルと相まって骨董品とは思えない性能を誇る。

 これに対し、次妹のかおるのヤマハRZV500はその名の通り500ccのV型四気筒2ストエンジンを持つレーサーレプリカ、最新マシンにはトータルで劣るが、その爆発的な瞬発力は伝説級でもある。

 そして、末の妹のかじかに至っては、フルチューンされたカワサキH2B、別名マッハIVという750cc空冷三気筒2ストのキ○ガイバイクを愛車にしている。

 いずれ劣らぬレアものの骨董品、週末毎に実家のアパートにこの三台が集結する様は、一種異様ですらある。

 巴を含む三姉妹の保護者でもある蘭円あららぎ まどかとの勝負に勝利した後、深夜ではあったが誘われるままに姉妹の実家にお邪魔し、お茶をごちそうになった――明け方までイジられた、とも言う――信仁は、その駐輪場の異様な雰囲気を目の当たりにし、その時点で既にV-MAXの手付金を払っていた事を本当によかったと胸をなで下ろしていた。

「安かった代わりに整備も登録も自前で、まあ、別にそれくらいはどってことねぇんですが。キャブの調整にちょいと時間かかっちまって」

 外装は極上ミントコンディションとは言えないが、走る機能はキチンと手が入っているらしいその中古のV-MAXを撫でつつ、信仁は言う。格安だけに走行距離の嵩んだ低年式の初期型、マメなメンテと調整は欠かせなくなりそうだと、言葉とは裏腹に信仁は嬉しそうに笑う。

「おかげで、まだチョイ乗りしかしてなくて。大丈夫だとは思いますが、出先で何かあっても何とかなる程度には工具も積んだし、そんじゃ、行きましょうか?」

「いいけど。どっち行くの?」


 東村山駅前から狭山湖畔のワインディングを軽く舐めて小手調べを済ませ、都道を南下して国道20号に合流。高尾山の裾野を抜けて大垂水峠を攻め、相模湖が見えたところで国道412号に乗り移り、そのまま道なりに直進して国道413号を東進、二人は冬の早い夕暮が迫る津久井湖城山ダム、津久井湖城山公園で並んで缶コーヒーをたしなんでいた。

「結構時間かかったわね」

 背筋を伸ばしながら、巴が言う。

 ルートの半分程度が市街地、要所要所で前後を入れ替わり、小型中型のようなすり抜けもせずに余裕を持って流す走り方だった事もあり、距離の割には時間がかかった行程もおよそ三分の二を踏破していた。

「いやでも、やっぱ低速のあるバイクは楽っすな」

 実用重視とは言え2ストニーハンと、ドッカンパワー重視とはいえ4ストリッターバイクとでは、低速トルクの厚さが段違いである。

「調子もまずまずだし。こりゃいい買い物出来たな」

 信仁は、素直に嬉しそうだ。缶コーヒー片手に湖畔の欄干に腰を預けた巴は、それを見て、自分も微笑む。

「……ありがとな、姐さん。付き合ってくれて」

 並んで欄干に腰を預けた信仁が、改まって、言う。

「……何よ今更改まって、あんたらしくもない」

 サクッと胸の奥に入ってきた、珍しく素直なその一言に、前を向いたまま、巴は答える。どうしてか、顔を見れない。

「……二人で走るのって初めてだからさ。色々とね、考えるっつーか」

 信仁も、前を向いたままだ。

「……こうしていられるんだよなって、思ったんすよ」

 その一言に含まれる内容の多さに、巴も気付く。この一週間ほどの間にあった、色々な事に。

 もし、あたしが普通の学生なら。巴は、想像してみる。普通に卒業して、多分、普通にコイツにコクられて。あたしもOKして、ただそれだけ、良くてそんな感じだったと思う。

 でも現実は。ヤクザは来るわ「奴」は来るわ。大げんかして、大泣きして、婆ちゃんと勝負して。色々あった、の一言で済まして良いのかね、これ?

 ……でもまあ。こういうのを「結果オーライ」って言うんだろう。あたしは、結局、何も失わずに済んだ。学校も、友達も、この人も。それは、この人が想像以上に、それこそ信じられないくらいに頑張ってくれたから。だから……

 巴は、自分より一回り背の高い信仁の肩に、こつんと頭を乗せる。

「……なんだよ姐さん、らしくないぜ」

「うるさい。あたしだって……」

 あたしだって、たまには。巴は、思う。もう、我慢しなくってもいいんだから。だから、あたしだってたまには、女の子っぽいことしたって、いいじゃんか。

「ま、姐さんのそう言うとこも、好きだぜ」

 言葉に合わせ、まだ若干ぎこちなく肩に回される信仁の手を感じながら、巴はその気怠げに垂れた瞳スリーピーアイズを閉じた。


「……さてと。こっから先、下は混むかもな……どっかで晩飯食って行きますかい?付き合ってもらったお礼に、奢りますぜ」

「いいけど、悪いわよ。お昼も出してくれたじゃない?」

「いいって。これから一生付き合ってくれるんだろ?これくらいは」

「……一生?」

「そう、一生」

「……じゃあさ、実家うち寄ってくかい?あり合わせで良きゃ、なんか作ってやるよ」

「そりゃあ……いいの?」

「いいよ……一生、なんだろ?飽きるまで、飽きても食ってもらうよ」

「そいつはいいや。じゃあ、圏央道経由で一気に行きますか。出口どこが近い?あきる野?日の出?」

「青梅。ついといで!」

「おいよ!」

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