第34話 幕間の番外:巴と信仁の後日談の後日談01
「……なんで婆ちゃんが居るのよ?」
「何言ってんのよ」
ニヤニヤしながら、祖母――にはとても見えない、どう見ても四十前――の
「あんた、明日卒業式でしょ?景気づけにご飯作りに来てやったんだから、感謝しなさい」
「いや、そうだけど……」
そう言われてしまうと、巴はどう返して良いかわからなくなる。
「帰ってくるの待ってたんだから、とにかく上がんなさい、ちょっと話もあるし。
その円の質問は、「知ってるのよ?」というニュアンスにあふれている。
「……入って」
しかめっ面で、先にライダーブーツを脱いで部屋に上がった巴は、後ろに居た
「……ども、こんばんはです」
虎口ならぬ狼口に飛び込むとはこの事か。待ち構える三頭の雌狼の笑顔を見つつ、信仁は覚悟を決め、つい先日もお茶をごちそうになった居間に上がらせていただいた。
両親を亡くして以降、食べ盛りの妹二人を相手に炊事洗濯を引き受けざるを得なかった関係から、巴は手早く美味しく腹持ちのする料理を出す事には自信があった。その自信が故に、若干遅い時間とは言え実家に信仁を連れて行き、ありあわせの――と言いつつ実はこうなることを想定して用意してあった――食材で男子高校生の好きそうなボリュームのある夕飯を手早く作ってみせるという、いわば得意技かつ必殺技をぶちかましてやろうと密かに計画していた、のだが。
妹達が居ることは想定内――姉が居る時は妹達は台所に立とうとしない――だったが、まさかの祖母の出現に、巴の計画は根底から瓦解した。いかに巴が料理に自信があろうと、相手が祖母では文字通りに経験値が年数にして二桁ほど違う。同じ食材で一枚上手の夕飯を前に舌鼓を打つ妹達、及びうれし恥ずかし自分の彼氏を見つつ、巴は複雑な気持ちで箸を進めていた。
「それで、巴、卒業式は何時に終わるの?」
運動部の合宿所もかくやという、大量のレバニラ炒めと
「……一時からだっけ、たしか終了は三時頃のはず、よね?」
「えっと……十四時五十五分終了予定、ですね」
記憶でものを言ってから確認した巴に、信仁がスマホのカレンダーを確認して答える。
「じゃあ、四時前には出れるわね。明日、卒業式終わり次第「里」に行くから。迎えに行くから用意しといて」
「……はい?」
さも当たり前のように円に言われて、展開について行けなかった巴は抜けた返事をしてしまう。
「悪いけど、信仁君も一緒に来て欲しいんだけど、大丈夫?」
既に決定事項であるかのように、円は話を信仁にも振る。
「え?まあ、明日はどうせ実家帰る予定じゃなかったし、大丈夫だと思いますけど、えっと、どこに何しに行くんですか?」
「ああ、ごめん。あたし達の「里」にね、君が巴の伴侶になるって、報告に行くの」
「……はい?」
さも当たり前のように円に言われて、展開について行けなかった信仁も抜けた返事をしてしまった。
翌日。つつがなく進行した終業式及び卒業式の後、学友との別れの挨拶もそこそこに、私服に着替えた巴は一泊分の荷物の入ったボストンバッグを担いで寮を飛び出した。寮門で信仁と待ち合わせ、寮門外の車寄せで待つ円の深紅のメルセデス190E2.3-16に乗り込む。
「じゃあ、信仁君前乗って」
「あ、はい」
先に荷物はトランクに積んでおいた手ぶらの信仁は、円に促されて助手席を開ける。
「って、あたし達三人後ろ?」
「そりゃあんた、婿入り前の男の子、挟むのも挟まれるのもちょっとアレでしょ?」
「そうだけど……」
この中で一番体格の大きい信仁を助手席に配置するのは、物理的にも理にかなっている。それに確かに、妹達もまだ慣れない男子高校生を挟んで座るのもちょっとアレだろうし、第一自分もちょっと納得しがたい。巴は、既に後席に収まっている妹達を見ながら、祖母の強引だが合理的な座席案に首肯せざるを得ない。
「……鰍、もうちょっと詰めて」
「ちょ、狭!」
仮にもベンツとは言え、5ナンバー枠のコンパクトボディに後席三人掛けは、大柄二人に小柄一人の女子高生三人姉妹には少々厳しいものがあるようであった。
中央高速を疾走すること約五時間、円のベンツは長野県南木曽町某所に到着した。
「南木曾は「
ただでさえ山深い木曽山中、すっかり日も落ち、ヘッドライトの光芒だけが頼りの山道を走る事しばし。円の簡単な説明を裏付けるような山中の川筋の小さな平地に、その集落はあった。
(筆者注:諸説ありますが、南木曾の由来は一般的なもの、蘭は創作です。念のため)
その集落の中心部、一回り大きな屋敷に、円は車を入れた。
到着が遅くなる事は伝えてあった事もあり、主役不在のまま既になし崩しに始まっていた宴席に通された三姉妹&信仁は、時代劇で見る祝言の席のようなその配置に言葉を失う。
「ほらほら、座って座って」
思わず顔を見合わせた四人を、円はちゃっちゃと座らせる。どうやら席次は決まっているらしい。
「どれ、主賓も来た事だし、乾杯のやり直しと行くか」
年配の、いかにも威厳のある男がそう言って、杯を片手に立ち上がる。
「……
床の間の仏壇を背に並んで座らされ、さほど多くはないがそれなりに目力のある面々に見つめられ、流石にしゃっちょこばってしまった信仁に、里の生まれではないものの何度か来た事はある巴が耳打ちする。
「……こりゃ、ただの顔見せってわけじゃ……」
「腹くくりましょ……覚悟、出来てんでしょ?」
巴は、信仁の顔を覗き込んで、尋ねる。ちょっとだけ、頬を染めて。
「ま、ね」
「……あとで婆ちゃんとっちめてやる」
「異議なし」
注がれる杯は、年齢と体質を理由に遠慮しつつも、失礼にならないように形だけは受ける。自身も出自を辿れば福井県某所の山村にたどり着く、祖父に連れられて訪れたその自身の出自の農村でのおぼろげな記憶を思い出し比較しつつ、信仁は挨拶と観察に徹する。二間続きの宴席にいるのはざっと二十人ほど、手前から奥に年齢が低くなるいわゆる年功序列、手前側はそこそこ女性もいるが、奥の方はほぼ男性のみ。おさんどんしてくれている女性は指輪をした妙齢の方ばかり、若い女性はこの場に居ないのか、それとも……
「……認めてねぇからな、俺は……」
そこそこ盛り上がっている宴席の場でも、失礼にならない程度に観察に力を入れていた信仁は、末席からあがったその呟きに、耳ざとく気が付いた。
場の空気が硬くなったのは、その場の全員が気付いた。
宴席での不穏な呟きは、末席の若い衆の一人からのものだった。酒が入っていたから、と言う事もあるのだろうが、
「よりによってただの人間なんぞに。他の里でも、せめてキツネタヌキの類いでもねぇんだぞ」
「止さんか」
里長は止めに入るが、しかしそれは里の若い衆の代表意見である事は、末席あたりの雰囲気から信仁も感じ取る。
思った通りっつーか、そりゃそーだっつーか。信仁は、思う。男余りなんだろう、この里は。街生まれ街育ち、オマケに混血とは言え、同じ里に出自を持つ
同じ男として、末席の二十歳半ばの男衆の、その気持ち自体は信仁も理解する。
とはいえ、譲る気なんぞさらさらない。
「円さんが勝負して、既に決まった事だ、今更……」
「じゃあ、勝負してみる?」
とりなそうとした里長の言葉を遮り、円がさらりと言う。座の空気が、凍る。
文句あるなら、あたしと、やってみる?その場に居た者の大半が、円の言葉をそう理解した。
「円さん……」
里長の顔が青くなる。してみると、円はこの場において、里で最強というだけでなく、立場的にも里長の上である、らしい。
「ああ、誤解しないでね?信仁君、やってくれるわよね?」
「……まあ、そう来るだろうとは思ってました」
信仁は、肩をすくめて答えた。
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