【短編】骨折した時に偶然知り合った美人な転校生に付き纏い、やがて昼飯を一緒に食べる仲になった。笑った彼女が更に美しいということは、多分昼友の俺だけしか知らない。
じゃけのそん
第1話
「全治一ヶ月といったところですかね」
顎に手を置きながら、気難しそうな顔でレントゲン写真を眺めていた医者の先生は、しばらく喉を鳴らした末にそう言った。
「こんなこと言うのもアレですが、ラッキーですよほんと」
続けて出た一言に、俺は一瞬眉をひそめたが、確かにあれだけの事故に巻き込まれておきながら、全治一ヶ月の怪我で済むのはラッキーなのかも知れない。
「とにかく絶対安静です。それと今後はあまり無茶なことはしないように」
「無茶、ですか」
「そうです。くれぐれも自分の命は大切に、ですよ」
流石医者なだけあって言葉の重みが違った。
でも別に俺は、自分の命を軽く見ているわけじゃないのだけど。
「いいですか? “絶対安静”ですからね?」
そんな俺の心が読まれたのだろうか。
先生の目つきは明らか真剣だ。
まるで説教でもされている気分だった。
「わ、わかりました」
念では無くもはや圧のようなものを感じたので、俺は素直に頷いておいた。
診察が終わると、俺は駆けつけた母ちゃんにバチボコに怒られた。
「あんたはいつもいつも怪我ばっかり!」って、まるで小学生みたいな叱られ方だけど、緊急事態だったので仕方がないと思いたい。
全治一ヶ月。
俺はその間、このダサい上に機能性最悪のギブスと共に生活しないとらしい。
先生はラッキーとか言ってたけど、俺は母ちゃんに怒られるし、折れた腕が痛いしで、すでに心身ともに最悪だった。
(せっかく脚が本調子になってきたってのに……畜生)
そもそもなぜ俺がこんな羽目になったのか。
それは考えるまでもなく、全てはあのバカ猫のせいだ。
道路の真ん中で堂々と昼寝をしていたあのバカ猫。車通りが少ない道だからと油断していたのだろうが、案の定そこには滅多に来ないはずの車が来てしまった。
視界が悪い道ということもあり、車は猫に気づかないまま直進。仕方なく近くにいた俺が助け舟を出してやったのだが……。
あろうことか猫は車が来るのをわかっていたかのように飛び起き、平然とその場を避難。
その結果、助けに入った俺だけが車と衝突し、10メートルほど吹っ飛ばされた末に、このように右腕をポッキリとやってしまった、というわけだ。
「あのバカ猫……せめて俺に助けさせろってんだ」
どうせ骨を折るなら猫の一匹くらい助けたかった。そしたらこの骨折もまだ納得のいく
(でもまあ、無事ならよかったか)
仕方なく助けた……とは言ったが、気付いたら身体が動いてた。
今思うと俺が助けに入ったところで、何かしらの事故になることは避けられなかったのに、なぜ俺はあの局面で、何の作戦もなく飛び出したのだろう。
——くれぐれも自分の命は大切に。
今頃になって先生の言葉が刺さる。
考えるよりも先に身体が動くとか。
毎度のことだけど、バカなのだ俺は。
母ちゃんにも言われたけど、俺の性格は常に前のめりだ。思い立ったらすぐに行動してしまう考え無しなところがある。
事実半年前、それで左脚を骨折してるし。それを見抜かれたからこそ、先生にもあれだけ念を押されたのだろう。
自分の命は大切に。
本当その通りだと思う。
特に俺みたいな人間には必要な言葉だ。
でも。
だからと言って他の命を見捨てていいのか?
そういうわけでもないだろう。
あの猫は自力で助かったからよかった。でももしあのまま車に轢かれていたとしたら、きっと俺は後味が悪くて3日くらい病んでたと思う。
まあそれで自分が怪我してたら、元も子もないんだけど。
そんなことを考えながら、俺は病院を散策する。骨折は腕だけとはいえ、車に吹っ飛ばされたせいか、全身がじんわりと痛む気がした。
ちなみに母ちゃんは今、ロビーで会計待ちをしてる。
さっきまでは隣に座ってたが、じっとしているのが耐えきれず、気づけば病院の屋上までふらふらとやって来ていた。
まあ本当は母ちゃんの小言が耳障りで、説教されてるのを無視して逃げた、というのが正しい解釈なのだけど。
どうやら屋上は一般開放されているっぽい。
でもこんだけ日差しが強かったら、誰もいやしないだろう。
そう思っていたけど。
いざ屋上に着くと先客がいた。
手すりに肘を預ける、黒髪ロングで制服姿の少女。いや、少女というにはいささか大人っぽさが過ぎるか。
よく見ると、着ているのはうちの高校の制服だ。リボンが青色なので二年生。つまり俺とタメらしい。
気配を察したのか、近づくとこちらを見た。
今まで景色でも見ていたのだろう。どこか遠い目をしていた。
「何してんの、あんた」
「あなたこそ、どちら様?」
振り向くと以外にも可愛い顔をしていた。
でもやはり少女というには、色々と大人っぽい。
こんな美人うちの学年にいただろうか。
「
「私と同じということは、あなたも西高生ですか?」
「そう。まあ制服はないけど」
事故で砂だらけになったので、今は病院服を借りている。てっきり「なんでですか?」とか、訳を聞かれるかと思ったのだけど。
「そうですか」
興味無いと言わんばかりに彼女は俺から視線を外した。そして吹きぬける風に髪を靡かせながら、どこか遠くの方を見る。
「何か見えるのか」
「いえ、別に」
追って話しかけると返事は少し冷たい。
綺麗な見た目に反して、彼女を纏う雰囲気は色味が薄かった。
まるで全てがつまらなそうな。
諦めてしまってるようなそんな瞳。
この感じどこかで……。
「あんた、どこか身体でも悪いの」
「そういう風に見えますか?」
「いや、見た感じは」
すると彼女は俺の腕を見る。
「あなたの方がよっぽど重症そうですね」
「これか? まあ重症と言われればそうだけど」
「骨折ですか?」
「ああ、ちょっと車に轢かれてな」
「それで骨折ならラッキーですね」
労ってくれてるのか。
それともおちょくっているのか。
表情が希薄過ぎて、彼女の感情は上手く読み取れない。
「そもそもなんで車に?」
「猫が寝てたから助けようとしたんだよ。まあ実際は助けなんかいらなかったけど」
「それで自分が轢かれたんですか? 本末転倒じゃないですか」
「仕方ないだろ。身体が勝手に動いたんだから」
「だとしても自分を犠牲にして猫を助けるなんておかしいですよ」
ぐうの音も出ない。
普通の感性の持ち主なら、誰しもそう言うのだろう。
「でも」
「ん」
笑われるかと思いきや、彼女は再び遠くの方を見た。そしてそこには無いはずの何かに語りかけるように。
「悪くは無いですね、そういうの」
希薄だった表情に薄っすらと笑みを浮かべながら、独り言のようにそう言った。
彼女の名は
病院にいた理由は気になったが聞かなかった。
後日友人から聞いた話によると、文月は最近うちの高校に転校して来た有名人なんだとか。
有名人というのは、女優とかタレントとかそういうことではなく。
彼女を一目見ればわかる通り、その見てくれの良さで、転校初日からありとあらゆる注目を浴びている、今校内では話題の人物らしい。
すでに告白した男子は10人を超えるんだとか。
まるで漫画のような話だが、あれだけ美人な転校生が来たら、その第一印象で好意を持つ気持ちもわからなくはない。
それでも彼氏がいるという噂が立たないということは、おそらくその全てを突っぱねたのだろう。病院での彼女の雰囲気を思えば、その仮説にも納得がいった。
実のところ俺の目にも、文月の姿は魅力的に映っていた。
誰も寄せ付けようとしないあの独特な雰囲気。遠くを眺める時に見せるどこか儚げな瞳。吹きぬける風で踊る様に靡く、艶のある長い黒髪。
そして何よりも。
——悪くは無いですね、そういうの。
不意に見せた緻密で今にも消えてしまいそうな笑み。今でも俺の脳裏にハッキリと残されている。
唯一無二のミステリアスな美女。
そんなイメージを文月には抱いた。
これは好意というよりは興味なのかもしれない。今まで女性など好きなったことがない俺には、この気持ちの区別がつかなかった。
でも明らかなのは、文月を気になっているということ。
人に執着したくなるこの気持ち、生まれてこの方あまりなかった感覚だ。
それを確かめるという意味でも、俺はあの子に接触してみようと思う。
* * *
「よう。何してんだこんなところで」
「あなたはこの間の」
学校の屋上へと続く階段の一番上。
机やら椅子やらが無造作に積まれたその脇に彼女は居た。
「弁当なら教室で食えば良いだろ」
「私が教室に居ると迷惑になるので」
「迷惑?」
文月の言ってることはいまいちピンとこない。
彼女が教室にいることで誰が困るというのか。
「それよりもあなた、どうしてこんな場所に?」
言葉を選んでいると、今度は文月の方から質問して来た。
それを聞きたいのは俺の方なんだけど。
「お前を探してたんだよ」
「私を?」
「ああ」
答えると文月は目を丸くした。
「前はあんまり話せなかったから。お前転校生なんだってな」
「そういうことでしたか。確かに私は先月転校して来たばかりですが」
「それで10人に告白されるとか、凄いんだなお前」
素直に褒めたつもりだったけど。
気に障ったのか、文月は訝しげな視線を向けて来た。
「そ、それより何食ってんだ」
「見ればわかるでひょ。卵焼きでふゅ」
「へー、随分と不恰好な卵焼きだな」
笑いにするつもりが、今度は普通に睨まれた。
まるで怒った時のフグみたいな顔をしている。
もしやこの卵焼き、文月が作ったやつだったか。
「……ごくり。はぁもう、何なんですかあなたは」
「何って、前自己紹介しただろ。如月晴、お前と同じ二年だ」
「そうじゃなくて。私をおちょくりに来たんですか?」
全然そんなつもりはない。
でも確かに今の俺はそう見えてしまうのか。
「違う。お前に興味があって来たんだ」
「興味? それはどういった類の興味ですか?」
「どうってそれは……」
そんなこと急に聞かれても困る。
「んー、強いて言うなら好き? いや、気になる? よくわからないが、とにかく興味は興味だ」
「何ですかそれ。ハッキリしてくださいよ」
「じゃあ好きで」
よくわからないけど、曖昧に答えた。
興味というのだから間違ってはいないはず。
「はぁ」
すると文月は長い溜息を溢し箸を止めた。
そして呆れたような視線を俺に向けると。
「そういうことならお引き取りください。私は誰ともお付き合いする気はないので」
まるで用意していたかのようにスラスラと言った。
これには流石の俺も気圧される。
「そもそもあなたは怪我人ですよね? 恋などにかまける暇があったら、まずその腕をどうにかしたらいかがです?」
「腕をどうにかしたらかまけてもいいのか?」
「そんなの知りませんよ。そもそも私たちは初対面ですよね? なぜあなたは私なんかに興味を持ったのですか?」
それを答えられるなら答えたいけど。
あいにく俺は今の自分の気持ちがわからない。
「答えられないのなら不用意に近づくのはやめてください。迷惑です」
キッパリとそう言い残し、文月は弁当を抱えて行ってしまった。呼び止めようともしたけど、上手く言葉が出てこなかった。
どうやら文月に振られたみたいだ。
俺はただ少し話をしたかっただけなのに。
どうしてこんなことになってしまったのやら。
それにしてもあの子、随分と不快そうな顔をしていた。顔というよりは目。この間病院で会った時も、同じような目をしていた気がする。
全てを諦めたような冷たい目。
綺麗な見てくれをしている割には色味の無い雰囲気。
俺が好意を向けていると知った瞬間、なぜか文月は遮断するようにそれを拒んだ。
誰に限らず人から好意を向けられるというのは、少なからず嬉しいものだと思うけど。
あの感じだと、告白して来た男子たちにも同じような断り方をしているのだろう。
ミステリアス。
そのイメージを少しでも変えたかったが。俺の中では文月の謎が更に深まるばかりだった。
* * *
それ以来俺は文月に付き纏うようになった。
クラスは違うのでいつもというわけにもいかないが、校内で彼女を見つければ後を追いかけ、なるべく人目を忍んで話しかけた。
「よう文月」
「またあなたですか。以前にも言いましたが、私はあなたと馴れ合う気はありませんよ」
「そんなのわかってるって」
「わかってるならどうして付き纏うのですか?」
「どうしてって、お前が気になるから?」
「はぁ……あなたって人は。本当に話が通じないですね」
当然俺は煙たがられた。
友人にも辞めとけと念を押されてはいたし、こんなストーカー染みた自分がキモいという自覚ももちろんあった。
それでも俺はどうしても文月のことが気になってしまった。
これは果たして恋なのか。
それとも純粋な興味なのか。
わからないけど、俺は文月を見かけるたびに声をかけてはダル絡みをした。
文月と知り合ってから一週間が経った。
この頃になると、普段彼女が学内でどのように過ごしているのか。周りからどういった評価を持たれているのか。それらが何となくだがわかってきた。
まず第一に文月はモテる。
俺が知っているだけでも三回は告白されてた。
もちろん文月はその全てを突っぱねていたけど、これだけモテるのは素直に羨ましい。
そして文月は優等生だ。
掃除当番でも無いのに、毎日教室の掃除をしていた。
その上委員会でも無いのに、中庭や教室の花に毎朝水やりをしたり、授業の準備や後片付けも率先してやっているようだった。
加えて文月の周りには、ガラの悪い女子が多いようだ。
『私が教室にいると迷惑なので』なんて文月は言っていたけど、おそらくそれは文月が迷惑をかけているのではなく、クラスの女子が文月の存在を勝手に迷惑がっているだけっぽい。
そりゃあれだけ美人で真面目でお淑やかな女子がいたら、当然クラスの男子からは好意的な目で見られるし、周りの女子からは嫉妬される。
それを本人が察しているなら、階段で弁当を食いたくなる気持ちもわかる気がする。
「よう文月」
「またあなたですか。本当に凝りませんね」
「諦めの悪さと身体の頑丈さだけが俺の取り柄なもんで」
今日も今日とて俺は文月の元へ。
相も変わらず階段の一番上で弁当を食べてた。
「ここ埃っぽくないか?」
「別にじっとしていれば何も問題ありません」
「文月はそうでも俺は動くからな」
「じゃあ私に絡まないでくださいよ」
毎度のごとく睨まれたが、俺はもう慣れっ子だった。
「実は俺、いい場所知ってるんだ」
「だから何ですか。私はここで間に合ってます」
「そんなこと言わずに、ちょっとくらい付き合ってくれよ」
「嫌です。動くのも面倒ですし」
澄まし顔で黙々と弁当を食べ進める文月を、俺はじっと見つめる。
するとだんだん文月の顔がしかめっ面になって来て。やがて頬を赤く染めながら、肩や手がプルプルと震え始めた。
「もうっ、わかりました! わかりましたから!」
「おっ、やっと乗り気になったな」
「見られていては食べるのにも集中できません」
投げやりにそう言った文月は、一度弁当に蓋をした。そしておもむろに立ち上がっては、渋々俺の後をついて来てくれた。
「ここだ」
俺が連れて来たのは、北校舎裏にあるちょっとした階段。日陰で夏でも涼しい上に雑音も無く、とても静かで過ごしやすい場所だ。
おまけに人は滅多に来ないし、死角なので誰かに見られる心配もない。
「こんな場所あったのですね」
「ああ、悪くないだろ?」
自信満々に尋ねると、文月は少し悔しそうに頷いた。
この様子だと意外とまんざらでもなさそう。
「さ、弁当食べようぜ」
「あなたも一緒に食べるんですか?」
「え、ダメなのか⁉︎」
俺が縋るような視線を送ると。
文月はやれやれと肩を落とし、ため息を一つ。
「……今日だけですからね」
「うっし」
渋々といった様子の彼女を横目に、俺はウキウキで弁当を広げた。
その日以来文月は階段上から姿を消した。
行き先は言わずもがな。
よっぽどあの場所を気に入ってくれたらしい。
それから俺は、毎日のように文月と弁当を食べた。
最初こそ煙たがられていたけど、いつからか文月は、俺が隣に座っても何の文句も言わなくなっていた。
「なあ、そのウィンナーくれよ」
「いいですが、その代わりあなたの卵焼きを貰います」
「ええー、それはちょっとデカ過ぎない?」
「いいえ、対等です」
こんな感じで。
他愛のない会話までするようにもなった。
「んんっ! ウィンナー美味っ!」
「卵焼きも甘くてとても美味しいです」
「そうか? じゃあ帰ったら母ちゃんに伝えとくわ」
「はい、伝えといてください」
俺は文月との時間がとても好きだった。時間がゆっくり流れている気がして、忙しないいつもの日常を、この時だけは忘れられた。
時間を共にするにつれて、少しずつ彼女の表情からも人間らしさを感じられるようになって。
そんな文月の小さな変化を目の当たりにできるこの一時が、いつの間にか日々の楽しみにさえなっていた。
文月と知り合って二週間が経った。
この頃になると、文月は俺のことを名前で呼ぶようになって、おまけに俺は、左手で箸を扱うのが随分と上手くなっていた。
「コホッ、コホッ……」
「風邪か?」
「い、いいえ。少し咽せてしまっただけです」
「そんな急がなくても誰も文月の弁当は取らないって」
「あ、今言いましたね? それじゃあ今日は如月君とのおかず交換は無しということで」
「えぇ⁉︎ 文月のウィンナーめっちゃ好きなのにー!」
クスクスと笑う文月。
その横顔も、ゆったりと感じるこの時間も、いつもと同じ俺たちだけの昼。
他愛のない会話をしながら弁当を食べる。
ただそれだけの関係。
これが恋なのか。
そう聞かれたらまだわからないけど。
確かなのは、俺がこの時間を心の底から気に入っているということ。
何の
各々が好きに話し、好きに笑う。
俺はこれだけで十分に幸せだと思えた。
文月と知り合って三週間が経った。
「文月、なんか今日暗いな」
「えっ、別にそんなことないと思いますけど」
気のせいだろうか。
今日の文月はいつもと少し違う気がする。
「悩みがあるなら聞くぞ?」
「悩みなんてそんな。何も無いですから」
小さく微笑んだ文月は、誤魔化すように言った。
「気にしすぎですよ」
「そうか? それならいいんだけどさ」
「そうです。如月君は心配性ですね」
口ではそう言っているものの、その繕ったような笑顔の裏には、俺の知らない何かがある気がして、胸の辺りに僅かな突っかかりを覚えた。
「それよりも如月君、今日もおかず交換しませんか?」
「あ、ああ。それじゃあ俺はいつも通りウィンナーで」
「ふふっ、相変わらずあなたはウィンナーが好きですね」
クスクスと年相応に笑う文月。
気がつけばそこには、いつも通りの彼女が居た。
きっと気のせいなんだろう。
俺はそう思うことにして、あまり深くは考えなかった。
そんなことが何日か続いたある日。
「如月君」
「ん」
「私は生きる価値のある人間でしょうか」
不意に文月はそんなことを口にした。
その瞬間、俺の胸の突っかかりが確かなものになる。
「私はここに居てもいいのでしょうか」
「どうしたんだよいきなり。らしくもない」
「ごめんなさい。やっぱり私おかしいですよね」
あははと、愛想笑いにも満たない笑みを溢す文月。
そんな力無い彼女の姿に俺の胸はギュッとなった。
「そんなの、いいに決まってるだろ」
「そう……なんですかね」
「そもそもここは俺たちの場所だろ? ならお前が居て何が悪いっていうんだよ」
やっぱり何か悩みを抱えている。
今の文月を見れば、それは明白だった。
「如月君は優しいのですね」
「俺は別に優しくなんか——」
「……ゴホッ、ゴホッ!」
加えて咳をする頻度も増えた気がする。
「風邪、まだ治らないのか」
「い、いえその……ゴホッ、ゴホッ!」
風邪と言うと文月は否定したがるが。これだけ辛そうに咳をするなら、おそらくそうなんだと思う。
「ほら、水でも飲んで」
「あ、ありがとうございます」
本当は薬があればいいのだが、あいにく今手元にはない。
「保健室行くか?」
「いえ、もう大丈夫ですから」
「そうか。無理だけはするなよ?」
「はい、ご心配をおかけしてすみません」
申し訳なさそうにそう呟く文月。
このぐらいで謝る必要ないのに。
俺が文月を気にかけると、決まっていつもそう言う。心配かけてすみませんと、申し訳なさそうに目尻を下げる。
多分文月は他人に心配をかけるのが嫌いな子なんだと思う。その証拠に今までは、落ち込んでいる素ぶりは見せても、言葉にはしようとしなかったから。
「悩んでるなら遠慮なく相談しろよ?」
「はい、ありがとうございます」
俺がそう言うとようやく笑顔を見せてくれが。
でもやっぱり少しぎこちない。
最近になってようやく笑ってくれるようになったけど、ここ数日の文月はまるで何かに呪われているような、暗く落ち込んだ顔をする。
それはまさに出会ったばかりの頃のような。そこに居ながらも、どこか遠くを見据えている。全てを諦めてしまったような、あの色味の無い冷たい表情。
最近姿を眩ましていたはずの何かが、再び彼女を多い尽くそうとしている。そんな予感がして、俺は一層文月のことが気になって仕方がなかった。
放課後。
俺が帰ろうとしていると。
「ほら、さっさと片付けなよ」
とあるクラスからそんな声が聞こえて来た。
気になって中を覗いてみれば。
「早くしないと夜になっちゃうよ?」
そこには箒を持ったまま、呆然と立ち尽くす文月がいた。俯いている彼女を取り囲むようにして、ギャル三人が何かを言っている。
「お掃除大好きなんでしょ? なら早くやってよ」
「私は別に……」
「え〜? 何言ってるのか聞こえな〜い」
「もっとハキハキ話しなよ〜」
よく見ると文月たちの足元には、散乱した大量のゴミが。近くにゴミ箱が倒れているのを見ると、どうやらそういうことらしい。
「どうしたの? 早くやりなよ」
随分と威圧的な口調だった。
こんな言い方する奴の言うことなんて、きっと聞く必要ないんだろうけど、まだクラスに馴染めていないであろう文月は、指示されるがまま掃き掃除を始めた。
散らばったゴミを一箇所に集め、それらをちりとりで少しずつゴミ箱へ。たった一人で何度もそれを繰り返し、ようやく床が綺麗になったかと思えば……。
「あっ、ごめーん」
あろうことか、ギャルの一人がゴミ箱をひっくり返したのだ。
それも間違ってとかじゃなく、明らかにわざと。
文月が集めたゴミが、再び床に散らばる。
「また散らばっちゃった〜」
「え〜いいよいいよ〜。どうせまた文月さんが拾ってくれるし〜」
「あっ、それもそっか〜!」
アハハハハッッ——!!
あまりにも理不尽だった。
そんなことをして一体何が面白いというのか。
もはやこれはいじめ。
端から見ているだけですこぶる気分が悪い。
(何で誰も何も言わないんだよ)
見たところ教室の中には、ちらほらと人は残っていた。なのに誰一人として、その場に割って入る者はいない。
もしかしてあのギャルたちが怖いのだろうか。
誰もが見て見ぬ振りをして、目の前の光景を無いものとしていた。
「あんた木村先輩に告白されたんだよね? ならこれくらいやって当然でしょ?」
「間違い無いよね。ほらほら早く、さっさと片付けなよ」
「もうウチ臭くてたまらないんですけど〜」
文月を見下すように笑うギャルたち。
そして誰一人として助けようとしないこの教室内の雰囲気。
見るに耐えないこの現場を前に、俺の我慢はとうに限界を迎えていた。
「おい」
「あん? あんた誰だし」
「誰でもいいだろ。それよりお前ら何してんだ」
気づけば俺は割って入っていた。
ギャルたちの視線が一斉に俺に向く。
その後ろでひっそりと顔を上げた文月は、今にも泣き出しそうだった。
「何って、ウチら掃除の途中なんだけど」
「掃除って、お前さっき自分でゴミ箱ひっくり返してたろ」
「だったら何? あんたには関係ないじゃん」
「関係なくない。知り合いを困らせるのはやめろ」
本当はもっと怒鳴り倒してやりたかった。
でもここで俺が感情的になったら、きっと良くない方向にいく。
「もしかしてあんた、この子に惚れてんの?」
「そんなんじゃねぇよ」
「え〜、ほんとかな〜? アハハッッ!」
おちょくられたがここは我慢だ。
「文月、もう帰ろうぜ」
「え……で、でもまだゴミが」
「そんなのこいつらに任せればいいだろ」
自分でゴミ箱をひっくり返したんだ。
わざわざ文月が親切に片付けてやる必要もない。
「ほら行くぞ」
「き、如月君⁉︎」
俺は半ば強引に文月の手を引いた。
そして場をそのままに、教室を出ようとすると。
「待てし」
一番柄の悪い奴に呼び止められた。
「もしかしてあんた、二組の如月って奴?」
「だったらなんだよ」
「あー、だからこんなにキモいんだ。納得納得」
ギャルたちは次々と嘲笑うような笑みを浮かべた。
「弱い奴を助けられて満足かな〜? ヒーロー気取りの如月君」
「うっせぇ……」
「もしかしてその右手、名誉の負傷って奴? 今度は誰の眼鏡を守るために身体を張ったのかな〜?」
「うっせぇって言ってんだろ……」
「え〜? ナニナニ〜? 聞こえな〜い。ヒーローならもっとハキハキ喋りなよ〜」
「うっせぇって言ってんだろっ!!」
気づけば俺は大声を出していた。
気圧されたのか、ギャルたちは目を丸くして黙り込む。と思ったら、何が面白いのか腹を抱えてケラケラと笑い出した。
(笑い過ぎだろクソが……)
キレられて笑うとか、こいつら神経どうかしてる。
本当は怒鳴るつもりはなかったけど、あまりにもしつこ過ぎて思わずプチンと来てしまった。そのせいで文月は少しびっくりしてるし。
「すまん。びっくりさせたな」
「い、いえ。私は平気です」
「こんな奴らに構ってないで帰ろうぜ」
「はい」
最後までギャルは何か言っていたが、俺たちはそれを無視して教室を出た。
* * *
「コホッ、コホッ……」
「大丈夫か?」
「はい、だいじょ……コホッ、コホッ……」
昇降口を出た辺りから、文月はずっとこんな調子だった。
初めこそ校門の辺りで別れようと思っていたが、あまりにも咳き込んでしまうことが多く、心配なので文月を家まで送ることにした。
「辛かったら一度学校に戻るか?」
「いえ、平気です。もう治ったので」
風邪が悪化してるのだろうか。
それにしても随分と長引いている気がする。
「それより如月君、さっきはごめんなさい」
「いいんだよ。文月が謝る必要ないって」
「私いつもあんな感じで、何も言い返せなくて……」
文月がクラスの女子に嫉妬されているのは知っていた。でもあそこまであからさまないじめを受けていたとは。
「あのギャルたち、どうして文月に突っかかるんだ?」
「それは多分……私が木村先輩に告白されたからだと思います」
「木村先輩? あのバスケ部でイケメンの?」
「はい」
なるほど。
それを聞いて何となくだが理解した。
「でもそんなんでいじめるとか、あいつらどうかしてるだろ」
「きっとそれくらい人気の先輩なんですよ」
「そうは言ってもだな……」
好きな男子が自分じゃない女子を好きになったら、そりゃ多少はショックだろうけど。だからってそれをいじめていい理由にするのは絶対間違ってる。
「それで、文月は告られてどうしたんだ?」
「もちろん断りましたよ。話したこともない先輩でしたし」
「そうか」
なんだろう。
このホッとしたような感覚は。
「それより如月君。さっき河本さんたちに言われてたのって」
「ああ、あれは——」
そんな会話をしていた時だった。
「ゴホッ! ゴホッ! ゴホッ!」
「お、おい、文月大丈夫か⁉︎」
「ゴホッ! ゴホッ! ゴホッ!」
今まで以上に激しい咳が文月を襲う。
「おい! しっかりしろ!」
「ゴホッ! ゴホッ! ゴホッ……!」
やがて文月は前のめりにその場に倒れこんでしまった。苦しそうに胸元を抑え、依然として激しい咳に見舞われている。
(風邪じゃないのか……⁉︎)
これは明らかに風邪なんかじゃない。
何かの病気? いや、今そんなことを考えている場合じゃ……。
「救急車は……呼んでる暇ないか」
到着までどれくらい掛かるのかわからない。
その間にもし取り返しがつかない事態になったら。
「そういえば病院、確かこの辺りだったよな」
記憶が正しければそうだったはず。
となると俺に残された手段は一つしかない。
「すまん文月、ちょっと揺れるぞ」
「き、如月く……ゴホッ! ゴホッ!」
俺は急いで右腕を支える三角筋を外した。
そしてお姫様抱っこの要領で、荷物ごと文月を抱え上げる。
「う、腕っ……⁉︎」
「これくらい大丈夫だ」
骨折から一ヶ月近く経った。
きっと腕も完治してる。こんなの何てことない。
「今からお前を病院まで連れてく。しっかり掴まってろ」
「は、はい……ゴホッ、ゴホッ……」
そうして俺は走った。ひたすらに走った。
疲れとか腕の痛みとか全く気にならないぐらい。
その途中文月に何か言われた気がしたけど。
必死になっていたせいか、上手く聞き取れなかった。
* * *
俺が病院に駆け込むと。
異変に気付いた職員がすぐに対応してくれた。
文月を襲ったあの謎の咳。
どうやらあれは、彼女が昔から患っていた喘息らしい。
看護師さんが言うには、文月は定期的に通院して喘息の治療をしていたんだとか。だから俺が骨折したあの日も、病院なんかにいたんだ。
医者たちの手によって急患室に連れて行かれた文月。
俺の役目はとりあえずこれで果たせたけど。どうも待っているだけというのは性に合わなかった。
「出かけるか」
待合室で待っていた俺だったが、我慢できずに病院を飛び出した。そして20分ほど歩いては、町の商店街の方へと向かう。
おそらく文月は少しの間入院することになる。そうなった時のために、今のうちお見舞いの品を買っていこう。
そう思った俺は、使いそうな物を片っ端から買った。
お見舞いと言えばのリンゴ。喉が乾いた時のための飲み物。それともし次発作が出た時のためにと、喘息用の飲み薬も買っておいた。
これで十分。
納得がいったところで病院へと戻る。
すると文月は治療を終え一般病室に移っていた。
「もう咳は大丈夫なのか」
「はい、お陰様で」
「そっか。よかった」
無事なようでホッとした。
もしあのまま死なれていたら、きっと俺は一生悔やんでただろうからな。
「それよりも如月君。ありがとうございます、助けていただいて」
「いいってそんな」
照れを隠し、ひとまず俺は来客用の椅子に腰掛けた。
俺たちの間にしばらくの沈黙が流れる。
いざこうして二人きりになると、何だか気まずいから不思議だ。いつものあの場所なら気兼ねなく話せるのだけど。
「実は私、昔から喘息持ちなんです」
沈黙を裂くように文月が言った。
「さっき看護師さんから聞いたよ。結構重いんだってな」
「小さい頃お父さんの煙草が原因で発症しちゃって。最近は良くなって来てはいたんですけど、転校して来てからまた蒸し返してしまったようで」
転校してから蒸し返した、ということは。
「それって学校に原因があるってことだよな」
「はい、おそらくは……」
「もしかしてあのギャルか?」
俺が尋ねると、少し気まずそうに文月は頷いた。
「私の喘息ってストレスとかでも発症するみたいで。いきなり河本さんたちに囲まれて、身体がびっくりしたのかもしれません」
なるほど。
だから今日はあんなにも咳を。
「とにかく、文月が無事でよかった」
俺の言葉に文月は少し照れ臭そうに微笑んだ。
そして思い立ったような顔をしては。
「そう言えば如月君」
「ん?」
「一つお伺いしてもいいですか?」
「お、なんだ」
「その……先ほど河本さんたちが言っていたことなんですけど……」
「ああ」
文月は随分と気まずそうにしてるけど、別にそこまで大したことでもない。きっと彼女が気になっているのは、半年前にあった『眼鏡救出事件』のことだろう。
「実はなんだが——」
半年ほど前、俺のクラスには三井という男子生徒がいた。
三井は小さくて鈍臭く、その上眼鏡を掛けた地味な見てくれだったということもあり、よくクラスの中心核のグループにネタにされては、学校の屋上で人知れず泣いていた。
そんな三井のことが気になり、俺はたまに屋上に行っては世間話をしたりしていたのだが、ある時クラスのとある男子に、三井は大事な眼鏡を奪われてしまった。
必死に返して欲しいと訴える三井だったが、その眼鏡はクラス中で『汚物』としていじられ回り、やがてはベランダに吊るされ、連中の笑いのネタにされた。
三井は何とか自力で眼鏡を取り戻そうとしたが、彼の小さな体型だとそれも叶わず。
その様子を面白がった連中が、更に笑いを取ろうとしたところ、手先が狂って眼鏡が二階から落ち、そこで反射的に身体が動いてしまった俺が、ベランダから固いアスファルト目掛けて飛び降りた、というわけだ。
その結果眼鏡は無事だったが、俺は着地に失敗し左脚をぽっきり。一ヶ月ほど入院した末、学校に行った時にはもう、三井は同じクラスには居なかった。
「それから俺は『ヒーロー気取り』とか、『眼鏡の番人』とか、そんな呼び名で呼ばれるようになったわけ」
「そんなことが……」
事情を知った文月は、共感してくれたのか、グッと唇を噛んでいた。
「そんなに落ち込まなくとも、もうあいつは転校したから」
「きっとその三井君って子、相当辛かったでしょうね」
「ああ、そうかもな」
確かに三井は相当悩んでた。
あまり話したことのない俺に相談するくらいに。
あの時のあいつの顔を、俺は今でもハッキリと覚えてる。
「それに如月君もです」
「俺か? 俺は別に何とも。もう脚も治ったし」
「そうじゃありません。心の方です」
そう言われてハッとした。
確かに落ち込んだ三井を見てるのは辛かったけど。
「もう気にしてないよ」
「そんなこと言って、本当は強がってませんか?」
「さあ、どうだろうな」
俺が笑ってごまかすと、文月はムスッとした顔になる。
そもそもこれは文月が転校してくる前の話だ。それなのにこんなにも親身に聞いてくれるなんて。文月は随分と優しい奴なんだな。
「あ、そうそう。お見舞い用に色々と買って来た」
「お見舞い用?」
ふと思い出し、俺は誤魔化すついでに、今日買って来た物を文月の前に並べる。
リンゴに、スポドリに、喘息用の薬。
役に立つかはわからないけど、多分無いよりはマシだと思う。
「如月君、これ……」
「ん」
すると何を思ったのか、文月はその中から薬を手に取る。
そして一瞬目を丸くしては。
「プッ!」
「え"」
前振りもなく吹き出したのだ。
「喘息の薬って、如月君ここは病院ですよ?」
「い、いやその……俺も焦っててだな。何かの役に立つかなって」
「薬くらい病院から出ますよ」
「そ、そう?」
「はいっ」
頬を薄っすらと赤く染めながら、クスクスと無邪気に笑っている。
こんなにも開放的に笑う文月を見るのはいつぶりだろう。
出会ってまだ間もないけど、俺が知る限り今が一番いい顔をしている気がする。
(……そっか、だから俺は文月に)
三井の話をして。
そして笑う文月を見てふと気がついた。
俺がなぜ文月に興味を持っていたのか。
その興味の正体は、一体何だったのか。
俺は笑って欲しかったのだ。
文月に。
屋上で遠い目をしていた文月に少しでも笑って欲しかった。色味の無いその世界を少しでも鮮やかに染めてあげたかった。
だから俺は興味を抱き、拒否されようとも絡み続けたのだ。
希薄な彼女を笑顔にしてあげたい。
少しでも側にいて、彼女の力になりたい。
綺麗事かもしれないけど、これこそが俺の本心だった。
果たしてこの感情は恋と呼べるのだろうか。
経験のない俺にはよくわからないけど。
でも——。
今俺の目に映る彼女はとても魅力的だ。
出会ったばかりの頃よりも数段。溢れんばかりに浮かぶその笑顔は、まるで宝石のようにキラキラと光り輝いていた。
この笑顔が見たかった。
だから俺はずっと文月の側に。
それはきっと三井の時もそうなんだと思う。
「やっぱりあなたは少し変です」
「そ、そうか?」
きっと俺はバカなんだと思う。
考えるよりも先に身体が動いてしまうから。
「でも——」
でも。
「そういうのも悪くはないと思いますよ」
この笑顔が見れるなら、そんな自分でも悪くはない。
今日初めてそう思えた気がする。
【短編】骨折した時に偶然知り合った美人な転校生に付き纏い、やがて昼飯を一緒に食べる仲になった。笑った彼女が更に美しいということは、多分昼友の俺だけしか知らない。 じゃけのそん @jackson0827
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