月を見る
ミクスが出ていったと入れ違いに、光来とリムはシオンの部屋から出た。余計な面倒が起こるのを避けて身を隠していたのだが、用心したのが功を奏した。ミクスが手配書を取り出した時には、ヒヤリとした。あの場に二人が居たら、間違いなくまずい事態に発展してしまっていただろう。ワイズ達には言わないが、リムは拳銃に手を掛けていたのだ。
「あの、ありがとうございます」
光来が礼を述べると、ワイズは首を傾げた。
「俺達のことを黙っていてくれて」
「ミクスは凶悪な二人組と言ってたんじゃ。お前さん達のことじゃなかろう」
ワイズの不器用な気遣いが、じんと染みた。
「それにしても、結局、ダーダーはなにがしたかったんじゃ?」
ワイズの疑問は当然だったが、その誰にともなく投げ掛けられた呟きに明確な答は引き出せなかった。
当事者である光来が、自信なさげに答える。
「なんか、俺の魔力を見たかったみたいだったけど……」
「なんじゃ? それは」
「分かりません。なんか、不可解な奴でした」
「あいつ、様子がおかしかったのは事実ね」
三人の視線がシオンに集まった。
「確かに目の前にいるのに、存在感がまるでなかったっていうか……」
「それは私も感じた」
リムがシオンの印象を補強した。
「だいたい、これまで耳に入ってきた風評と全然違ってた。噂じゃ進んで荒事を起こす乱暴者で、奥に引っ込んで手下に任せるタイプじゃないって聞いてたんだけど。それに、あれは絶対におかしかった」
最後は尻つぼみになって考え込んでしまった。ワイズとシオンは、リムの仕草を測りかねて光来に目で問うたが、光来も目で分からないと答えた。
二人には惚けたが、なんとなく想像はついた。リムの放った魔法が効かなかったことに不気味さを感じているのだ。正確には効いていなかったわけでは決してない。身体は確かにダメージを負っていたのだが、ダーダーはそれを意に介さなかったのだ。最後の一撃に沈んだのは、ダメージの大きさに肉体が耐えられなかったからだろう。あの生気をまるで感じさせない瞳。思い出しただけで身震いしてしまう。
皆が無言になり、静まった室内に、シオンの発言が妙に響いた。
「あれは、本当にダーダーだったのかしら?」
まったく訳が分からなかった。
レンダー・ダートンは、鉄格子の窓から差し込む月光に照らされながら、物思いに耽っていた。冷たく硬いベッドのせいか、怒りと興奮のせいか、眠気はまるで訪れなかった。
あいつが現れたところまでははっきり覚えている。無表情というわけではないのに、感情も考えも読めない奴だった。怖れを抱いたなど、決してない。俺に限って、そんなことは断じてない。しかし、不安というか不気味というか、心がざわついたのは確かだ。
あいつは俺に言った。
「最強の魔力が欲しくないか」
なにを世迷い言をと一笑に付した。抑揚のない目を見ながら、こいつは本物の馬鹿かと思った時から、記憶が定かではない。うっすらとした輪郭は覚えているのだが、ディテールについては、まるで膜を貼られた様に曖昧模糊としているのだ。
ただ一つ、はっきり思い出せることがある。キーラ・キッド。その名だけはしっかりと脳裏に刻み込まれている。俺の組織が壊滅したのも、俺がこんな冷たいベッドで横になっているのも、すべてキーラ・キッドのせいなら、落とし前を付けなければならない。
こんな単純な牢に俺を縛り付けられるなどと安心するなよ。
眠れないとわかりながらも、ダーダーは目を瞑った。保安官に撃ち込まれた治癒の魔法のおかげで、傷は殆ど癒えている。今は少しでも体力を回復させるのだ。呑気な保安隊め、明け方には俺を助けたことを後悔するだろう。しかし、もっとも後悔させなければならないのは、キーラ・キッドとあいつだ。自分をこんな目に遭わせたあいつらに、然るべき報いを喰らわせてやる。
夜が明けた。シオンはベッドの上で上半身だけ起こした。何度か微睡んだが、思い切り濃いコーヒーを飲んだみたいに熟睡できず、とても快適な眠りとは言えなかった。こんなに落ち着かないのは、ひどく久し振りだった。
シオンは昨晩、ベッドの上で天井を眺めながら考えていたことがあった。
ダーダーには自分の魔法が効かなかった。ファントムは受けた者の心の奥底に入り込み、幻影を見せる精神系の魔法だ。つまり、あの時のダーダーには心が無かったということになるが、そんなことがあり得るのだろうか?
「…………」
考えた末、導き出された答えは『あり得る』だ。
自分と同じように、精神系の魔法を使う者なら、他人の自我を乗っ取り、意のままに操るといった芸当も可能なのではないだろうか。もちろん、今までに、そんな魔法の噂も使う者の噂も耳にしたことがない。しかし、ファントムだって秘密にしているオリジナル・ソーサリーだ。自分が知らない魔法があってもおかしくはない。そして、そんな魔法を使いこなす者なら、強大な魔力を有しているに違いないのだ。そう、『暁に沈んだ街』を引き起こすくらいの強大な魔力を……。
勘。飽くまで勘に過ぎない。祖父がキーラと『暁に沈んだ街』を強引に結びつけたのに影響されたのか、推測とも言えない突飛な想像に囚われている。しかし、確かめずにはいられない。あの時は幼かった自分でさえ、祖父と同様、あの日のことを忘れた時など一日たりともないのだ。
起き上がり、猫のように伸びをした。寝不足の眼に朝日が眩しい。無理やり伸ばされた四肢が縮んで戻るのを感じながら決心した。
もう一度、ダーダーと対峙しよう。但し、今度は撃ち合いなしで。
そうと決まれば、尋問が行われる前がいい。第一発見者ということになっているから、無下にはされないだろう。もし、門前払いを喰らったら、気付いた事実があるとか適当なことを言って入り込めばいい。
冷たい水で顔を洗い、歯を磨いた。いつもと違うことをしようと決めても、染み付いた習慣は自然とこなせた。
ワイズには黙って行くことにした。絶対に引き留められるか、一緒に付いてくるに決まっている。
これ以上、祖父を厄介事に関わらせたくなかった。少し迷ってから、手紙を置いていくことにした。黙って居なくなったら、それはそれで心配を掛けてしまう。
出掛けてきます。昼食までには帰ります。
我ながら無愛想だと思う。言葉を飾るという芸当を知らない。必要最低限の言葉を綴った簡素な手紙を食卓に置き、音を立てないようにして家から出た。
妙に鳥が騒ぐ。私が行動を起こすことに警鐘を鳴らしていると考えるのは幼稚な発想か。数歩進んだところで背後に気配を感じた。振り向くと、リムがドアを背にして立っていた。
リムはシオンの行動を予想していたらしい。寝起きとは思えないしっかりとした眼光、整った身だしなみ、携帯している銃とナイフ。
少し呆れながらも、この展開を予想していたのかも知れない。あまりにもタイミングの良すぎる彼女の登場に、シオンはあまり驚かなかったし、気まずい思いもしなかった。
リムは小走りでシオンに近づき、二人は向き合った。
「ダーダーに会いに行くんでしょう?」
「付いてくるつもり?」
「私もあいつに訊きたいことがあるのよ」
「キーラのこと?」
行動を読まれたお返しとばかりに、尋ねた。
「まぁ、ね」
リムは曖昧に返事すると、歩き出した。シオンも倣い、自然と並んで歩く形となった。
「キーラに黙って行くの?」
「彼も一緒に行くって言ったけど、置いてきた。手配書の件があるから」
「あなたもそうでしよ」
「私の似顔絵は男の格好をしている時のだから、普通にしていれば分からないわ」
「確かに、男前に描かれてたわね」
「…………」
シオンの言い方だと、冗談なのか馬鹿にしているのか分からなかったので、無言でやり過ごした。
そんなリムの胸中などお構いなしに、シオンは続けた。
「ダーダーは彼に会いたがっていたけど、理由は分かる?」
「それを確かめに行くのよ。ダーダーがキーラに会いたいってのが、そもそもおかしいもの」
キーラによると、彼がこっちの世界に来たのは、リムと出会うほんの数分前とのことだ。つまり、まだ十日も経っていない。トートゥの噂や賞金首になったことを差し引いても、情報の拡散が早過ぎる。なにか知らない裏での動きを感じるのだ。
「キーラは魔力を見たがってたと言ってたけど、彼の魔力ってそんなに凄いの?」
「やけに質問が多いわね」
「気になるのよ……」
シオンは今まで、魔法というものは生活を便利にするために利用する道具のようなものだと捉えていた。しかし、キーラのトートゥや、ダーダーの得体の知れない魔法を目の当たりにし、考え方が変わりつつある。トートゥは禁忌の魔法と呼ばれているが、ひょっとしたら、魔法自体が触れてはならない禁忌の力なのではないだろうか? 暁に沈んだ街。あれがそんな力の暴走が引き起こしたものだとしたら、魔法に傾倒し過ぎるのは火中で火薬を扱うより危険な行為だ。
「で? どうなの?」
「私も詳しくは知らないわよ。彼と出会ったのはホダカーズでだし……」
シオンはキーラが魔法を書き換えられることも、ましてやアリアを介さずに精製できることも知らない。凄いどころか超弩級の魔力の持ち主だ。おいそれと人に話して良いことではない。
「……多少はあるみたいだけど、肝心の使い方に関しては素人だから……」
曖昧に濁すリムを横目に、シオンはふっと口角を上げた。
「気に掛けているのね」
「そ、そんなんじゃないわよ」
そよ風の中、いつの間にか鳥の囀りは治まっていた。
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