奴の行方
保安事務所が視野に入った。リムはシオンに尋ねた。
「どうやって潜り込むつもり? 策はあるの?」
「潜り込む?」
「いい案がないなら、私に任せて。保安事務所に潜り込むのは得意なの」
「? 普通に正面玄関から入るつもりよ。私は第一発見者ということになってるんだから」
リムはぼっと顔を赤らめ、慌てて取り繕った。
「そう、そうよね。わざわざ忍び込む必要はないわね。はは」
そんなやり取りをしている間に、保安事務所の前まで来た。
シオンがドアノブを掴もうと手を伸ばしたが、触れる前に物凄い勢いでドアが開いた。続いて、血相を変えたミクスが飛び出してきた。
目の前にいきなり人が立っていたものだから、ミクスはつんのめり、あわや転倒するのではないかと思われるくらい体が傾いた。
「あ、シオン」
「なにかあった?」
「ああ、まあ……その……」
歯切れの悪い返事をするミクスの背後で、男達の怒鳴りあう声が飛び交っているのが聞えた。
「なんで気付かなかった!」
「まだそれ程遠くには行っていない筈だ」
「襲われて気を失っている奴がいるぞっ」
「街の出入り口に何人か配置させろ」
嫌な予感がした。リムとシオンは顔を見合わせた。
「もしかして、ダーダー?」
「いや……」
二人の少女に睨まれ、ミクスは観念した。二人に聞こえないくらい小さく嘆息し、ぼそぼそと話し始めた。
「実はそうなんだ。奴が脱走した。何時かは分からないが、恐らく明け方近くに……」
ミクスの話を最後まで聞かず、二人は同時に駆け出し、保安事務所に入り込んだ。
「あっ、おい」
ミクスの制止を無視して、奥に突き進む。ダーダーが収容されていたであろう留置場を一目見て、リムは舌打ちをした。
壁が崩れて大きな穴が開いている。これでは外にいるのとなんら変わりはない。壁の崩れ方から、ツェアシュテールングの魔法を仕掛けたのだと分かった。
ミクスが追い付いた。本来なら勝手な行動を注意するところだろうが、あまりにも大胆な脱走の痕跡を前に、気まずそうに息を切らしている。
「見張りは? 付いていなかったの?」
「そんな筈ないだろう。ちゃんと付けていた。でも、眠って、いや、眠らされていた。我々が監視中に寝るなんてあり得ないから、シュラーフを使われたんだろう」
この世界では、魔法という力のせいで抑留中でも監視の目が絶えることはない。アリアを詠唱し魔法を精製されれば脱出は容易で、抑留の意味などないからだ。考えられることは、予め魔法を仕込んだ何かを持ち込んでいて、それを使用した可能性だった。
「身体検査はしなかったの?」
顔がぶつかるくらい食って掛かるリムの迫力に、ミクスは一歩後退した。
「き、君は?」
「今はそんなことが重要? 身体検査はしなかったのかって訊いてるの」
「し、したさ。でも何も持ってなかった。
「口の中は調べた? お尻の穴は?」
「さすがに、そこまでは……」
リムは保安官の迂闊さを罵りたくなった。悪名高いダーダー相手に、中途半端な身体検査で済ませるなんて。
「ダーダーとは話をした? 何か言ってなかった?」
感情を必死に抑えているリムに対し、シオンは飽くまで冷静だった。
「よく覚えていないとか、記憶が途切れ途切れになっているとか、訳の分からないことを言っていたけど、不思議と嘘をついているようにも見えなかったな」
「記憶が? なにそれ?」
再びリムが声を荒げそうになったので、ミクスは慌てて付け足した。
「いや、分からないよ。ここ数日は、まるで自分で考えて行動していたような気がしないって……まるで夢遊病だな」
「それだけ?」
シオンの静かな問いが、ミクスの記憶に潜り込んだのか、「あ」と口を開いて続けた。
「あいつとはディビドで会ったとか言ってたな」
「あいつ?」
「それから、キーラと会わなければ、とか言ってたな」
言ってから、ミクスは手を額に当てた。
「ん? そう言えばキーラって……」
リムとシオンの視線が交差した。そこに、一人の中年男性が割り込んできた。
「あっ、ミクスッ」
よほど慌ててきたのか、息を切らし、髪は振り乱れている。ここまで誰にも咎められずに来られたということは、事務所内の殆どの者が出払っていると考えられた。
シオンは男に見覚えがあった。魔法屋の主人、ラホテ・ガロドだ。この男の店で、何度か買い物をしたことがある。
「悪いが、今は忙しいんだ。後にしてくれ」
ミクスは無下に払ったが、ラホテは必死に食い下がった。
「今しがた、俺の家が強盗に襲われたんだ」
「なにぃ。なんだってあんたんちみたいな小さな店に強盗なんか……」
「奪っていったのは金じゃねえ。魔法の弾丸だよ。ブレンネンやらエクスプロジィオーンとかいった危険なもんばかり持っていきやがった」
リムが割って入った。
「ひょっとして、銃まで奪われたの?」
「う、あ……」
ミクスの気まずそうな態度は、明確な答えも同様だった。リムとシオンは一斉に駆け出した。
「あっ? おいっ」
ミクスが追いついた時には、二人は既に事務所の前に繋がれていた馬に飛び乗っていた。
「この子、借りるわよっ」
「えっ? あっ」
ミクスが叫んだ時には、リムは既に馬を疾駆させていた。
レイアー家は、ラルゴの街外れにぽつんと建っている。人付き合いを避けたワイズが、敢えて選んだ場所だが、すぐ裏手が小高い山に通じる森となっており、周囲に木々の囁きが途切れることはない。その為、閑散とした雰囲気というよりも、喧騒から解放された、それこそ疲れを癒やすのに訪れる慰安所のような立地と言える。
なんだか落ち着くな……。
光来は、木漏れ日の光や時折可愛らしく鳴く鳥の会話を楽しみながら、掃除をしていた。
リムに置いてけぼりを喰らい、手持ち無沙汰になってしまった。なので、泊めてもらっている礼代わりに、家の前を掃除しようと思い付いたのだ。だが、それももうすぐ終わってしまいそうだ。
手にしているのは、竹箒。魔法という力が存在する世界で、こんな物を手にしていると、どうしても一つのシーンが脳裏を掠めてしまう。
「…………」
光来は、徐に箒にまたがり自由に空を飛び回る姿を想像した。
「お前さん、なにやっとんじゃ?」
「きゃーっ」
突然現れたワイズのツッコミに、女の子のような悲鳴を上げてしまった。
「箒の柄を股間なんぞに押し付けおって。変態か?」
「ちがっ、違います。これは俺の村に伝わるお約束で……」
「恥ずかしがらんでもいいわい。ワシもお前さんの頃にはおなごのことばかり考えておった」
「いや、だから……」
「ところで」
ワイズは、光来に言い訳をする隙きも与えず、話題を変えた。
「シオンを見掛けなんだか?」
ワイズに黙って出掛けたのは、余計な心配を掛けたくないという配慮だろう。それくらいは光来にも分かった。だから、惚けることにした。
「さあ、俺は見てませんけど……」
「出掛けてくると置き手紙があってな。心当たりないか?」
「さあ……」
「リムもおらんようだが?」
さすがにぎくりとしたが、ここまできたら、惚け切るしかない。
「女の子二人で出掛けたんなら、詮索するのは野暮ってもんです」
「…………」
「…………」
ワイズは、なにかに勘付いたように片方の眉を吊り上げた。しばらくの間、無言で目と目が合う。光来は、頬が引き攣るのを必死にこらえ、これ以上問い掛けてこないでくれと願った。
「……ふん。まあいい」
知らないにせよ、隠しているにせよ、これ以上は光来から引き出せないと踏んだのか、ワイズは意外とあっさり引き下がった。思わず、鼻から息が漏れる。
ワイズは玄関に引き返したが、途中で振り返りながら訊いてきた。
「コーヒーでも飲むか?」
「いえ、こいつの練習をしたいんで」
光来は、人差し指と親指を立てて、拳銃を撃つ真似をした。そして、まだルシフェルを返していないことを思い出した。
「あの、こいつ、もうちょっと貸しててもらっていいですか?」
腰を捻って、ホルスターに収まっているルシフェルを見せた。
「ああ、持っとればいい。朝食は二人が帰ってきてからにしよう」
ぶっきらぼうに言い捨てると、ワイズは家に入った。
二人きりになると、余計なことを言ってしまいそうだったので、咄嗟に銃の練習をすると言ってしまったが、一人残され、それも悪くないなと思った。
光来は箒を壁に立て掛け、先日リムと一緒に練習した空き地に足を向けた。
森の中に入ると、鳥の囀りがより近くなる。視野の端々に動く物が認められ、目を凝らすと栗鼠や兎だと分かった。つまり、標的には事欠かないということだ。
リムの射撃を初めて見た時を思い出し、大きく息を吸う。そして、その姿勢を真似した。足を肩幅より少し広く開いて、肩を落とし、やや猫背になった。緊張と弛緩が同居した構え。見た目だけでどうにかなるとは思っていないが、形から入るという方法もある。
木の根元で、可愛らしくぴょんと跳ねた兎に銃口を向けた。黒い魔法陣が発生し、光来は魔法陣が開き切る前に銃を下ろした。
弛緩していた部分は体外に逃げ、体全体が力んで固くなる。思わず舌打ちをした。
昨日は撃てたじゃないか。
トートゥではなく、しかもダーダーの放った謎の魔法さえ打ち消した白い魔法。あれは間違いなく自分が放ったものだ。あの時、俺は何を考えていた?
リムの言葉がきっかけになったのは事実だが、それ以上にリムを助けたい一心で『彼の者』に訴えかけた。そうだ。あの時、何者かが俺に触れたような感覚があったんだ。
あの感覚を自在に操れるようになれれば……。
光来は、銃は魔法を撃ち出す道具なんだと自らに繰り返し言い聞かせ、練習を再開した。
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