来訪者

 ナジカの屋敷は、朽ちてはいるが在りし日の華やかさを想像させるだけの威厳は残っていた。

 その威厳に相応しい深閑な空気が周囲を支配していたが、その静寂さがもたらすのは、落ち着きではなかった。毛穴という毛穴に極細の針を刺されるような不快な緊張に覆われ、思わず歩みも遅くなっていた。

 シオンは一歩一歩用心しながら近づいたが、漸く見張りは居ないと判断した。


「…………」


 こういう場合、すんなりとことが運ばないのが常だ。邪魔が入ったのはデクト率いる集団だけだったが、あれは計画的な行動ではなかった。デクトが勝手に先走りしたと推測するが、となると、残っているダーダーの手下は全てこの屋敷内にいると考えられる。以前、噂で聞いた程度の情報ではあるが、ダーダー一家は三十~四十人の大所帯とのことだ。

 私一人で切り抜けられるだろうか……。

 先程のデクトとの戦いを思い出し、身が固くなり、ふいにキーラとリムの顔が脳裏を過ぎった。しかし、その像は素早く頭から排除した。

 彼らの助けを期待するなんて、弱気になっている証拠だ。やるのだ。この私が。

 シオンはガンベルトから弾丸を抜き装填した。その弾頭は濃い紫色をしており、表現し難い不気味な呪文が蠢いていた。ワイズにも秘密にしている、シオンのオリジナル・ソーサリーだ。


「行こう」


 シオンは自らを鼓舞する為、敢えて声を出して歩き出した。

 柱の陰を渡り歩きながら、徐々に屋敷の奥に迫った。外と同じで、一滴の水が落ちた音さえ聞こえるくらい静まり返っている。もしかして、ナジカの屋敷と決め付けたのは思い違いだったかと不安になりかけた時、三百人は収納できそうな大広間に出た。

 階段や柱には精密な彫刻が施されており、未だに見る者に重厚な印象を与える。しかし、建物そのものが朽ち掛けているので、その魅力も従来の半分も出せていないだろう。カーテンやテーブルがそのまま残っており、華やかな装飾のまま埃を被ったそれらは、ナジカ・ディゼルの栄光と没落の日々を想像させる演出道具となり下がっていた。

 奥に男が一人座っていた。崩れて穴が開いている天井から光が差し込み、丁度その男を照らしていた。右腕を肘掛けに乗せ、気怠そうに頬杖をついているが、千人の群衆の中に居ても、すぐに見つけられる程の存在感を放っている。誰に説明されるまでもなく、レンダー・ダートンだと分かった。

 シオンは敢えてダーダーの前に姿を晒さた。二人の視線がぶつかり合う。シオンはすぐに違和感を覚えた。確かに自分と睨み合っているのに、奴の視線は照準が合っていない。私をすり抜け、まるで背後に誰かいるみたいな錯覚を覚える。


「これは、可愛いお客さんだ」


 先に口を開いたのはダーダーの方だった。


「私の部下が失礼をしたようだな」


 頬杖をついたまま、左手でシオンの頬を指差した。


「……私の祖父が、鼠に仕掛けられた魔法に掛けられ苦しんでいる。治療できる魔法を渡してほしい」

「君はキーラの友達か?」

「あんたが仕掛けた魔法なら、治療の魔法も持っているはずだ。渡してもらう」

「君のお祖父さんには気の毒なことをした。あれはキーラ・キッドが素直に来るように準備したんだが……」

「魔法を渡しなさい……」

「キーラはこっちに向かっているのかね? 君が此処にいれば、彼は来てくれるのかな?」

「渡せっ!」


 会話が成立しないことに業を煮やしたシオンは、ダーダーに銃を向けた。

 ほぼ同時に、柱やカーテン、階段の陰から、男達がぞろぞろと姿を現した。全部で三十人位だろうか。男達は、デクトが引き連れていた連中と同じで、品性の欠片もない顔でニヤニヤとシオンを見ている。絡みつくようないやらしい視線だ。


「すまないが、キーラが来るまで大人しくしててもらうよ。こんな所で暴れられたら、埃が立ってどうしょうもない」


 ダーダーのくだらないジョークに、シオンを取り囲んだ男達が一斉に笑い声を上げた。


「そうそう。大人しくしててね」

「なんなら違うことして、埃まみれになっちゃう?」

「お前、ロリコンだったのか」


 ますます高まる下卑た笑い。

 まったく……、なんでこういった連中は、群れの中にいるとこうも調子に乗るのか。


「お嬢ちゃん、なにか反応してくれよ。こうも囲まれちゃ、身動き一つできないか」


 シオンは、ダーダーを照準から外し、挑発してきた男に銃口を向けた。銃を向けられた男の笑い声がピタリとやんだ。


「おいおい、リスキェ。お前、狙われちゃったぜ」

「撃たれてやれよ。そんな可愛い娘にやられるなんざ、男冥利に尽きるぜ」


 周りの冷やかしに舌打ちをしながらも、リスキェと呼ばれた男は、口元にこびり付いたニヤつきを残すくらいの余裕は保っていた。


「お嬢ちゃん、強がりはやめなよ。もし俺を撃ったら、途端に蜂の巣だぜ?」


 シオンが指に力を込める。リスキェの口元からはニヤつきも無くなった。


「おい、それ以上はシャレになんねえぞ。囲まれてるのは理解してるよな?」

「そう。囲まれている。けど、この状況が良い。何十人にも囲まれてしまっている、この状況が良い」


 リスキェは一瞬きょとんとしたが、口元にニヤつきが戻った。


「ひょっとしてお嬢ちゃん、複数の男を相手にするのが好みか? その若さでとんでもないスキモノだな」


 リスキェの卑猥な一言に再び広間は爆笑に包まれた。笑っていないのはシオンとダーダーの二人だけだ。


「この状況が良い……」


 シオンは、いきなり四方八方に連射した。大広間に銃声が反響し、時間の流れを縛る。誰一人として、シオンが発砲するなどと考えていなかったので、反応するのに一呼吸の間が生じたのだ。

 シオンが放った弾丸は、一発も外れることなく六人の男に命中した。青紫の魔法陣を発生させ、空中に散った。


「てめーっ、正気かぁっ!?」


 シオンを取り囲む男達が一斉に銃口をシオンに向けた。ざんっと音がしそうな程、一斉にだ。しかし、誰も撃とうとはしなかった。最初の一手を踏み出すのには勇気と決意がいる。統制も取れていない烏合の衆であるダーダー一家に、率先して一線を超える剛の者など居ない証拠だった。互いが、誰かかやるだろうと期待を抱き、その甘さが引鉄を引かせないのだ。

 男達が虚勢を張りながら互いの様子を窺がっている中、一発の銃声が響き渡った。やけに余韻が残る銃の咆哮だった。期待に応えたのは誰だと男達はそれぞれを見回した。様子がおかしいと気付いたのはその時だ。囲まれている少女は平然としている。撃たれたのはシオンではなかったのだ。


「お前、誰を撃ってんだっ?」

「おいっ、お前、どうしたんだっ?」


 狼狽と驚愕の声が交差する。無理はなかった。シオンに撃たれたリスキェが、仲間にいきなり発砲したのだ。

 リスキェの目には慄きが宿り、全身がガタガタと震えていた。大量の脂汗までかいている。


「なあ、いったい……」


 仲間の一人が近づこうとしたが、ばっと飛び跳ね、銃を向けた。


「来るなっ。俺のそばに近づくんじゃねえっ」


 一目で尋常ではないと分かるリスキェの様子に、周りの者まで余裕をなくし始めた。


「来るなって言ってんだろうがぁっ!」


 リスキェはとうとう乱射を始めた。


「どうしたんだ!? こいつっ」

「やめろっ、おいっ、やめろぉっ」


 おかしくなったのは、リスキェだけではなかった。シオンの弾丸を受けた者全てがパニックに陥っている。

 シオンが使ったのは幻の魔法だった。喰らった者は恐怖を呼び覚ます幻を見せられ、自我を保てなくなる。シオンは幻影を見せる魔法など耳にもしたことがない。まったくの偶然から創られた産物だ。だから『ファントム』と名付けた。

 なぜ自分にこんな魔法が精製できるのか? 魔法という力の恐ろしいところだ。日常的に利用しているにも関わらず、解明されていないことが多過ぎる。シオンは畏怖し疑問に思う一方で、ある種の納得もしていた。『彼の者』は術者の心に鋭敏に反応する。こんな魔法が精製できるのも、私の深層に根付いているものに触れたからに違いない。『黄昏に沈んだ街』を目撃した私の心に……。

 シオンによって放たれた恐怖は、感染したウイルスのように爆発的に増殖して、室内は一気に混乱の様相を呈した。焦りで冷静さを失った者が、ファントムの魔法に掛かっていない者にまで発砲し、室内は完全に騒乱の坩堝と化した。

 シオンは、隙きをつき素早く移動した。


「待てっ、このガキッ」


 シオンに銃弾を浴びせようと引鉄を引く者も居たが、凄まじい混乱の中で、弾丸など当たりはしない。逆にシオンは狙い放題だ。手当たり次第に弾丸を叩き込み、一気にダーダーに詰め寄った。

 ナイフで切りつけても届く程の間合いに入り、銃を突き付けた。しかし、ダーダーは、シオンの手に銃など存在しないかのように微動だにしなかった。

 シオンがダーダーの眉間に狙いを定めた瞬間、ダーダーは頬杖をついたまま銃を抜き、シオンに向けた。互いの銃口と視線が交わるように向き合う。

 再び、シオンは不気味な感覚を味わった。

 まただ。奴の目。確かに私を見ているのに、視線が通り抜けていくような感覚。底が見えない深い穴を覗き込むような、ぞわぞわと不安になる目。


「しかしっ」


 シオンは、声を出すことで不安を振り切ろうとした。


「私の方が早いっ」


 ダーダーの眉間に銃口がくっつくくらいの超至近距離から一撃見舞った。使う魔法は、他の者と同様、ファントムだ。


「ぐっ」


 魔法が発動し、ダーダーが短い叫びを上げた。すぐに効果が出て、幻覚の世界に陥り、恐怖や後悔で半狂乱になる。シオンは、ダーダーが乱発する弾丸に当たらないよう、距離を取るために後退ろうとした。しかし、素早くダーダーに手首を掴まれ、身動きが取れなくなった。


「っ⁉」

「オリジナル・ソーサリーか。精神に入り込むとは、面白い魔法だ」

「まさか?」


 シオンは、咄嗟に事態を把握できなかった。ファントムは間違いなく発動した。

 こいつ、なぜ冷静に魔法の分析なんかできるんだ?

 手首を掴まれたまま、ダーダーにもう一撃喰らわせようとしたが、既にダーダーの方が狙いを定めていた。

 吐き気を催すような醜悪な笑みを見せつけられ、激しい銃声が耳を劈き、シオンの意識はそこで途切れた。

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