馬上の戦い

 シオンは風を追い越し、ひたすらに駆け抜けた。

 北西の廃墟なら知っている。ナジカの屋敷跡のことに違いない。昔は子供の恰好の遊び場だったが、崩れ落ちそうな箇所もあり、危険視した大人達が立入禁止にした話を聞いたことがある。現在は、寄り付く者など滅多にいない朽ち果てた屋敷のはずだ。

 お祖父ちゃん……。

 苦しんでいるワイズのことを考えると、体の中心が冷えるような感覚が襲ってくる。走っても走っても、絶望的な闇が背後から迫ってきて、私を絡め取ろうとする。こんな不安に駆られたのは黄昏に沈んだ街に巻き込まれて以来だった。

 あの事件から今日まで、ずっと二人で支え合って生きてきた。こんなことで祖父を失ってたまるか。ダーダーはキーラに会いたがってるらしいが関係ない。私が決着を付け、何としてでも治療の魔法を手に入れてやる。


「ん?」


 遥か前方に砂塵が舞うのが見えた。あれは風によって舞い上がったものではない。目を凝らすと、一定のリズムを刻んで移動するものが認められた。

 ダーダーの仲間に違いない。先鋒隊が帰ってこないので、様子を見に来たのか? それにしては数が多い。正確な人数までは確認できないが、砂の舞い上がり方から推察するに、六~七人、いや、八~九人か。

 どうする? 治療の魔法を持っているのはダーダーとみるべきだ。そろそろ湖の畔に辿り着く。迂回してやり過ごすか。しかし、湖の広さはかなりなもので、ずっと縁に沿って進んだとしたら一時間はロスしてしまう。いや、それより……キーラが目的なら、あいつらが向かっているのは私の家だ。


「…………」


 家にはキーラとリムがいる。リムは相当できる。早撃ちの速度、射撃の正確さ、そして冷静さ。それをとっても一級品だ。キーラはどうだ? 彼の腕を見たのは、決闘の時の一撃だけだ。抜き撃ちの速さは時間の法則を無視したような、目を疑うようなスピードだった。まだトートゥを持っているだろうか。持っていたとして、祖父を守るために禁忌を犯してまで使うだろうか。いや、それはない。出会ったばかりの他人のために、魔法で殺人を犯す禁忌を破るわけがない。祖父の苦しげな顔が脳裏を過る。


「ここで全員倒す」


 一瞬で決断した。ホルスターから銃を抜き、構えて狙いを定めた。



 あの少女、なにかおかしい。

 デクトの勘が訴えかけた。普通、俺達のような見るからに無法者と分かる集団に出くわしたら、身を隠す場所などなくてもなんとか潜ませようとする。触らぬ神に祟りなしってわけだ。しかし、前方の少女は隠れるどころか、真っ直ぐに突き進んで来る。しかも明確な意思を持って。

 双方の距離があっという間に縮まった。

 デクトの本能が危険信号を発した。


「散らばれっ!」


 叫ぶと、デクトは馬を操作し、かつ態勢を低くした。

 ほぼ同時に、銃声が響き渡った。デクトが銃を抜く間もなく、シオンはすり抜けた。


「あのガキッ」


 何発撃ちやがった? 二発? いや、三発か?


「おめーらっ、大丈夫かっ?」


 まるでデクトの声に押されたように、手下たちが次々と崩れ落ち、馬から振り落とされた。全部で三人。その中にはテンガロンハットの男も含まれていた。


「ちくしょうっ。シュラーフの弾丸かっ。あの小娘、俺達がダーダー一家と知ってて仕掛けてきたのか?」


 銃を構え、方向転換した。


「ガキにナメられて黙ってられるかっ」


 そのまま逃走するかと思ったが、驚いたことに、少女も方向を変え、再びデクトたちの正面に立った。


「面白え。俺達全員をここで片付けるつもりか」


 デクトの頬が歪んだ。醜い笑みが浮かぶ。怒りの沸点を超えながらも、絶対に負けないという自信が、常人には理解し難い複雑な表情を作り出したのだ。



 最初の狙撃であの男を仕留められなかったのはまずかった。集団と対立する時は、まず頭を潰すのが有効だからだ。

 あの男、お尋ね者の貼り紙で見たことがある。デクト・グリプス。自他共に認める、ダーダーの右腕だ。ダーダーの存在を後ろ盾に、悪事ならなんでも行う、一家の実行部隊のリーダーだ。いきなり大物が出てきた。改めて思う。キーラ・キッド。あんな悪党集団に狙われるなんて、彼はいったい何者だ?

 しかし、集中力を途切れさせて良い時間など一秒たりともない。奇襲で三人仕留めた。あと六人だ。互いに仕掛けようと疾走しているので、距離が瞬く間に縮まる。ギリギリまで構えなかった。あまり早くに照準を定めると、誰を狙っているのか悟られてしまう。目一杯引き付けるのだ。

 目前のデクトは既に構えていた。しかし、その手に持っているのは拳銃ではなかった。銃のような引鉄があるが、台の先端には弓が取り付けられている。

 あれは、クロスボウ? あれが奴の武器か。

 違和感を覚えた。クロスボウは、さほどの熟練を必要とせず銃声がしないという利点はあるが、その利点も今の状況では意味がない。

 デクトが銃ではなく、クロスボウを使う理由が分からない。分からないから薄気味悪い。余計に用心しなければ。

 デクトが、クロスボウを持つ腕に力を伝達するのが分かった。撃ってくる。身構えたが、デクトはあらぬ方向にクロスボウを向けて放った。

 なに? 何処に向けて撃ったの? なにか変だ。なにかがおかしい?

 シオンは銃撃はせず、咄嗟に身を屈めた。ヒュンっと耳元で風を斬る音が横切った。

 えっ?

 疑問符が頭に浮かぶ前に足元が爆ぜ、何が起きたのか確認する間もなく、遠のいた。


「ちぃっ、勘のいいガキだぜ」


 デクトが悪態をついた。しかし、外したことを悔しがっている様子はない。ますます残忍な笑みが広がっていく。狩猟が解禁された狩人のような笑みだった。

 今のは爆発? エクスプロジィオーンの魔法? デクトのクロスボウから撃たれた矢に仕込まれていたの? でも何故? あいつは全然違う方向に撃ったのに???

 回り込んでデクトを観察した。既に新たな矢が装填されていた。

 まずい。疑問を消化している暇がない。二発目が来る!

 デクトは醜悪な笑みを浮かべたまま射撃した。


「また?」


 またしても関係のない方向を狙って撃った。今度は放たれた矢から目を離さず、ずっとその軌道を追った。間違いなく、矢はシオンのいる方向とは違う位置を目指している。

 だが、シオンの眼には信じがたい光景が映った。いきなり矢の軌道が曲がったのだ。


「うっ!?」


 軌道を変えた矢は、真っ直ぐシオン目掛けて空を掻き分けてくる。

 馬鹿な? デクトは矢の軌道を変えられる技術を身につけているというの? いや、どんな達人だろうと、撃ち放たれた矢の方向を途中で変える技などある筈がない。


「これはいったい?」


 シオンは矢が当たる寸前に、上体を反らして避けた。空を切った矢は地面に突き刺さり、爆発した。

 爆発の音と煙に怯えた馬が、前脚を高く掲げ悲鳴のような嘶きを上げた。自分自身が反っているのに、馬まで二本足で立ち上がらんばかりの姿勢を取ったので、態勢を立ち直せなかった。

 シオンは為すすべもなく落馬してしまった。


「はーっ」


 デクトは歓喜の雄叫びを上げた。

 咄嗟に頭を庇ったのでダメージは殆どないが、銃を手放してしまった。いや、それより、馬から落とされたのは絶対にまずい。感情を表に出さないシオンでも、一滴の恐れが胸に落ちた。

 シオンは気力を振り絞り立ち上がろうとしたが、その暇は与えられなかった。

 膝立ちの姿勢を取った時には、デクトをはじめ、ダーダー一家の悪党どもに囲まれていた。


「おめーらは手を出すな」


 餌を取られないよう威嚇するハイエナのように、デクトは命令した。


「ガキが……ナメやがって」


 デクトはいきなり馬上から蹴りを放った。

 腕でガードしたが間に合わず、硬い踵が頬に突き刺さった。


「ぐっ」


 シオンは重たい衝撃に耐えきれず、再び地面に横たわってしまった。落ちた雫で波紋が広がるように、背骨が痺れるような恐怖が駆ける。


「お嬢ちゃん、ダイジョウブー?」

「パパに迎えに来てもらったらぁ?」


 男達の低能な罵りが頭上を飛び交う。

 怖い。怖くて身が砕けそうになる。……でも、ここでひれ伏すわけにはいかない。こんな連中に負けてしまったら、お祖父ちゃんはどうなる? 私が治療の魔法を持ち帰れなかった場合の、最悪の結果を考えろ。

 こいつら、殺してやる……。

 シオンはギラついた眼でデクトを睨んだ。

 それは鋭利な氷柱の先端を思わせ、嘲笑っていた男たちの声がぴたりと止んだ。


「このガキ……なんて眼で睨みやがるんだ」


 デクトが歯を剥き出しにして絞るように言った。


「おめーが誰で、なんで俺達を狙ったかなんて訊かねえ。だが、このまま見逃すことはできねえ」


 クロスボウを構え、今度はシオンの眉間に照準を合わせた。


「覚悟の上なんだろ?」

「…………」


 デクトに蹴り飛ばされたおかげで、落としてしまった銃に近づいた。地面を蹴って跳べば手が届く。やるしかない。パニックに陥ることなく、冷静に対処するのだ。

 シオンがつま先に力を込めたその時、一発の銃声が響き渡った。

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