ダーダー一家

 崩れた外壁からは空が覗き込み、太陽の光が直に届いて空気中に塵が舞っている。廃墟というだけなのに、どこか厳かな雰囲気がある。

 そこは部屋というよりも広間と呼ばれるに相応しい空間で、実際、館の主、ナジカ・ディゼルが存命だった時には、毎晩のように客人を招いて宴が行われていた大広間だった。

 かつては瀟洒だったであろう広間に相応しい静寂を一蹴する怒声が響き渡った。


「なに生ぬるいことしてんだ。オヤジィッ」


 まるで物量があるような声の激流に、室内に居た者達は思わず身を固くした。ただ一人、怒声を浴びた本人、ダーダーだけは身じろぎ一つせず、デクト・グリプスを見つめていた。


「キーラってガキを引きずって来りゃいいんだろ? こんな回りくどい真似しないで全員で乗り込んで拐ってきちまえばいいじゃねえか」

「ラルゴといえば一端の観光地だ。人が多いし、保安隊だってそれなりの規模になる」

「何人いようが関係ねえだろ。俺達を止められるわきゃねえ」


 気勢を上げて捲し立てるが、ダーダーは動こうとしない。業を煮やしたデクトは、ますます声を荒げた。


「どうしたったんだよ。オヤジ。まさかあんた、ビビってんじゃねえよな?」

「俺が保安隊ごときを怖れるわけなかろう」

「俺が言ってるのは保安隊じゃなくて、あいつのことだよ」

「デクトさん、それはあまりにも……」


 手下の一人、ファブル・ウージが、遠慮がちに横から入った。デクトの過ぎた態度に、肝を冷やしたのだ。しかし、デクトにひと睨みされて口を噤んだ。


「てめえは引っ込んでろっ。俺はオヤジに訊いてるんだ」


 デクトはダーダーに視線を戻した。


「どうなんだよ。オヤジ」

「……きさま、誰に向かって言っているのか分かっているのか」


 ダーダーの一言で、デクトは全身が粟立った。決して怒鳴られたわけではないのに、濃密な圧が通過したような重さを感じた。

 多くの手下がいる手前、デクトは僅かでも怯んでしまったことを悟られまいと、全身に力を込め、必死に声を出した。


「オヤジよぉ。そんなにキーラってヤツに会いたいなら、俺が連れてきてやるよ。それなら、文句ねえだろう」


 ダーダーは再び沈黙に入った。ただし、眼光が異様に光っている。


「けっ」


 デクトは床に唾を吐き、ホールから出ていこうとした。


「デクトさん」


 ファブルが止めようとしたが、ダーダーの「放っておけ」の一声に、機を逸してしまった。少し逡巡したが、ダーダーの顔色を窺いながらも、一礼してデクトの後を追った。



 肩を怒らせたデクトの背中が見えた。早足でどんどん進んでいくので、小走りにならなければ追いつけなかった。

 デクトに追いつき、ファブルは斜め後ろから声を掛けた。 


「デクトさん、さすがにヤバいッスよ」

「うるせえ。最近のオヤジは、なんか変なんだよ」

「変? どう変なんですか?」

「なんか、こうよお。鋭さが鈍ったつーか……おめーはなにも感じねえか?」

「俺なんか下っ端が頭の考えを知るなんて恐れ多いッス」

「はん」


 ファブルは無難に答えたものの、デクトの言いたいことは分かった。さっきの有無を言わせぬ迫力、さすがだと言いたいが、少し前の頭はもっと火炎のような熱があった。今は、なにか一枚フィルターを被せているように感じるのだ。原因は分かっている。あの男だ。デクトがさっき口にした「あいつ」が現れてから、頭の態度に変化が起きた。

 ある日、なんの前触れもなく、あいつは現れた。我々ならず者の集団の只中に身を置きながら、萎縮する素振りなど微塵も見せない堂々とした振る舞い。触れただけで呪いを掛けられてしまいそうな禍々しい圧力。それなのに、忌まわしさと同時に染み込んでくる甘い安らぎ。デクトをはじめ、誰も近づくことすらできなかった。

 あいつは観衆の前に立つ舞台俳優のような笑顔でダーダーに語り掛けた。


「この世で最強の魔力が欲しくないか?」


 そんな世迷い言をまともに受け取ったとは思っていないが、あれから頭の様子がおかしくなったのは確かだった。



 ドアなどはとっくに取り払われ、僅かに残された壁の装飾がなければ、かつて玄関だったと分からない場所まで来た。

 そこには、見張りを言い付けられた五人が居た。見張りと言っても、周囲に気を配るでもなく、ただ屯しているだけだった。秩序などなく、実力だけで均等を保っている集団だ。命じられたことを忠実に実行するなど、誰も期待しちゃいない。


「おめーらっ、俺と一緒に来いっ」


 デクトの一喝に、だらしなかった漢たちの顔が、一瞬にして引き締まった。


「どうしたんですか? デクトさん」

「狩りに行くぞ。賞金首狩りだ」


 テンガロンハットを被った男が、さも面倒臭そうに顔を上げた。


「キーラって奴ですか? それなら先に出ていった奴らに任しゃいいでしょう」


 デクトは、いきなりテンガロンハットの男の胸ぐらを掴んで思い切り持ち上げた。


「うげぇっ」


 八十キロはありそうな男を、自分の頭上より高く持ち上げている。ものすごい腕力だ。テンガロンハットは苦しさに顔を歪め脚をばたつかせるが、デクトは一向にバランスを崩さない。


「デクトさんっ。死んじまいますっ」


 ファブルが慌てて止めに入ると、デクトはテンガロンハットを放り投げ、ドスの利いた声で問うた。


「行くのか、行かねえのか」


 充血した眼に涙をいっぱい浮かべながら咳き込んでいるテンガロンハットは、怯えと怒りがない混ぜになった表情で、声を絞り出した。


「そりゃ、行きますけど……」

「最初からそう言やいいんだ」


 デクトはそう吐き捨て、繋がれていた馬に跨った。男達も慌てて倣った。この時ばかりは、訓練された軍隊のような素早い動きだった。


「よし、いくぞおっ!」


 デクトの雄叫びに呼応するかの如く、馬が嘶き、ならず者の群れは一斉に駆け出した。

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