明けの明星

「うおっ」


 ワイズはすかさず掌を広げて防御したが、小指の付け根を噛まれてしまった。鼠の口から涅色の魔法陣が広がり、四散して消えた。


「こいつら囮よ! 本命は鼠の方だった!」


 リムの叫びが合図になったかのように、他の男達のポケットからも次々と鼠が飛び出したきた。小さい上に動きが素早い。リムは連射したが、何発かは外してしまい、飛び掛かってくるものには魔法の刃が付いたナイフで対処した。シオンは刃物は装備していないらしく、鼠の猛攻をかわしながらひたすら銃を撃ちまくった。包丁しか持っていない光来は、闇雲に振り回すだけで、噛まれないように逃げ惑うのが精一杯だった。


「くそっ! なんなんだ、こいつら? 執拗に攻撃してくる」

「落ち着きなさいっ。とにかく噛まれないようにしてっ」


 訓練されたような動作に翻弄されながらも、なんとか全ての鼠を駆逐した。静寂が訪れる暇も与えず、シオンがワイズに駆け寄った。


「お祖父ちゃん!」


 ワイズは首だけを持ち上げ、シオンを見つめた。明らかに様子がおかしい。顔色が土気色になっており、目からは覇気が無くなっていた。呼吸も苦しそうで、なにかのウイルスに感染したような症状を思わせた。しかし、噛まれた際に魔法陣が発生したということは、この症状は魔法によるものに違いなかった。


「リム、これはなんて魔法だ?」


 光来の質問に、リムは首を横に振った。


「こんな魔法、見たことない。人を病気みたいにさせる魔法なんて……」


 シオンが銃に弾丸を一発込めた。


「クーア……治癒の魔法。これなら……」


 ワイズに一撃放った。しかし、魔法が発動しても効果は表れなかった。ワイズの息遣いは荒いままで、顔色もますます悪くなっていく。


「くっ」


 シオンは小さく声を漏らし、最初に撃たれて気を失っていた男に一撃見舞った。


「う……」


 男が呻き声と共に意識を回復させた。アウシュティンの魔法で、強制的に目覚めさせたのだ。

 シオンは男の胸ぐらをぐいと掴み、顎の下に銃口を押し付けた。


「この魔法はなに? 解除する魔法は持ってるの?」


 男は何を言われているのか分からないようだったが、ワイズの様子に気づき、事態を察した。


「……こんなもん知らねえ。俺達じゃねえ」


 シオンが喉に食い込むまで銃口を押し込んだ。


「嘘じゃねえっ。ただ……」

「ただ?」

「俺らの頭が仕込んだのかも知れねえ。最近、頭は不思議な魔法を使うようになったんだ」


 光来とリムは顔を見合わせた。男の態度に嘘を言っている匂いは感じ取れない。これが演技だとしたら、相当の役者だ。


「そいつの名は?」

「……レンダー・ダートン」

「レンダー・ダートン?」


 その名に反応したのはリムだった。


「知ってるのか?」


 光来が訊くと、こくんと頷き説明を始めた。


「レンダー・ダートン。ダーダーの二つ名の方が有名かも。強盗、誘拐、脅迫、強姦。悪事ならなんでもやるワル中のワルよ。……でも、妙ね。ヤツ自身に莫大な懸賞金が掛けられているのに、バウンティハンターの真似事なんかする筈ない」


 リムの声色に凄味が加わった。


「ダーダーがキーラになんの用があるっていうの?」

「知らねえっ。俺達は、ただ連れてこいって言われただけだ」


 リムが一歩踏み出したが、シオンが割り込んだ。


「そんなことは、どうでもいい」


 声自体に重力が宿ったかのような重みを感じた。大声で怒鳴られるより、ぞわりと忍び寄る怖さがあった。


「ダーダーは、何処にいるの」

「……それは……言えねえ」


 銃口を喉に突き付けられているにも関わらず、男が意地を見せた。真っ直ぐにシオンを睨み返し、数秒間、無言の牽制が展開した。


「……見なさい」


 シオンは銃のシリンダーから弾丸を抜き、ガンベルトから取り出した弾丸を改めて装填した。


「シュメルツの弾丸よ。私が精製した特別性で、効果は通常の何倍もある」


 男の目に怯えが走った。まだ魔法をよく知らない光来は、シュメルツという魔法の効果が分からなかった。


「ダーダーは何処?」

「……」


 男は顔が真っ青になるほど怯えているのに、喋ろうとしない。余程ダーダーに敬意を抱いているのか、恐怖を抱いているのか、どちらかだろう。

 シオンは二度目を訊かず、躊躇うことなく引鉄を引いた。

 男は何が起きたか分からないようにきょとんとしたが、それはほんの一瞬で、眼球が飛び出さんばかりに見開かれ、凄まじい悲鳴を上げた。


「ぎゃああああっ!!」


 何が起こったのか分からないのは光来も同じだった。ただ、男の口から発せられる尋常ではない咆哮で身が縮み上がった。


「痛覚を刺激する魔法よ。罪人を自白させる時に使われる魔法だけど、なんでそんなもん持ってるの?」


 リムの説明とも独り言ともつかない呟きで、光来にも状況が理解できた。

 想像を絶した苦痛は、それが痛みだと認識するのに刹那の間がある。シオンが使った魔法は、それほどの威力があると言うことか。

 シオンは苦痛で歪んだ男の様子など意に介するでもなく、改めて問い質した。


「ダーダーは何処?」


 男は脂汗を滴らせ、肩で息をしている。喋らないと言うよりも、喋れないように光来には映った。

 シオンは躊躇うことなくもう一撃撃ち込んだ。あまりの容赦のなさに、男は無頼の徒の意地などかなぐり捨てて許しを乞うた。


「言うっ。言うから止めてくれっ」

「ダーダーは何処?」


 普通、怒りや興奮で我を忘れていなければ、攻撃を加える側にもストレスがのしかかるものだ。しかし、シオンが精神的苦痛を受けている様子は微塵も感じられない。

 まるで予防接種の注射を打つように拷問を続けるシオンに対し、男は化け物を見てしまったかの如く怯えきっていた。


「廃墟だ。頭はここから北西に六マイル程行った廃墟にいる」

「嘘じゃない?」

「嘘なんかじゃねえっ。嘘なんか付かねえっ」

「そう……」


 天気予報で「明日は雨です」と聞かされた後のように呟くと、シオンは三度引鉄を引こうとした。

 咄嗟に光来が飛び出し、シオンの手首を掴んだ。


「シオン……これ以上はいけない」

「…………」


 光来は、シオンの鋭い氷柱のような視線をまともに受けて、息が詰まった。しかし、ここで目を逸らせてはいけないと自らを叱咤し、腹に力を込めて視線を衝突させた。

 先に目を逸らしたのはシオンだった。ワイズを一瞥すると、立ち上がった。


「シオン?」

「お祖父ちゃんを、お願い」


 そう言うと、だっと駆け出し、止める間もなく小屋から出て行ってしまった。間髪を容れず、馬の嘶きが響いた。

 リムが扉から身を乗り出すと、馬に跨って疾走するシオンの後ろ姿が目に入った。砂煙を舞い上げ、みるみる遠ざかっていく。


「あの娘、一人で乗り込む気?」


 無謀とも思える行動に、さすがのリムも驚きを隠さなかった。


「追わないとっ」


 光来も慌てて立ち上がるが、がたんと物が崩れる音がしたので振り返った。ワイズがうつ伏せになっていた。


「くっ……」

「ワイズさんっ」


 光来とリムが二人掛かりで助け起こし、ベッドまで運んだ。老人とは思えない程の屈強な体格な上に、酔いつぶれたように全身が弛緩しているので、思った以上に重たかった。

 なんとか横にさせたが、乱れた息遣いは相変わらずで、とても苦しそうだ。


「北西の廃墟なら、ナジカの屋敷跡じゃ。大きな湖の畔に建っているから、すぐに分かる」

「分かった。シオンは必ず連れて帰る。もちろん、ワイズさんを治す魔法も」

「わしはともかく、シオンを頼む……それと銃を、ルシフェルを……」

「ルシフェル?」


 なんのことか分からない。目でリムに確認したが、彼女にも分からないようで、首を横に振った。


「銃を……」


 声は弱々しく、消え入りそうだった。うわ言だろうか? こんな状態では銃など扱えまい。


「行こう。リム」


 立ち上がり、出て行こうとした。


「待て。銃を……」


 もしかしたら、幻覚まで見ているのかも知れない。急がなくては。振り切る思いで行こうとした。


「待てっ!」


 窓が震えんばかりの大声が響き渡った。駆け出そうとした身体が硬直してしまうくらいの気の塊が突き抜けた感じだ。


「まったく……若いもんは年寄りの話を聞かん……」


 再び張りのない声に戻った。精一杯の気合を込めた一声だったに違いない。そこまでして呼び止めた理由はなんだ?


「なんですか? 早くシオンを追わないと……」


 ワイズは頼りない動作で一点を指差した。その指先は震えている。


「作業机の二段目の引出しだ」


 光来は、一度リムと視線を絡めてから、ワイズが示した引出しを開けた。


「これは……」


 中には、一丁の拳銃が無造作に置かれていた。圧迫感を受ける程、存在を主張しており、拳銃に対して奇妙な感想だが、鍛え抜かれた日本刀のような妖しい美しさがあった。


「ルシフェルと名付けた。ワシの技術の粋を注ぎ込んだ逸品じゃ。どんな強大な魔力でも撃ち出せる」


 光来は誘われるかのようにルシフェルを手に取った。グリップが手に吸い付く。まるで光来が現れるのを待っていたんじゃないかと思わせる、運命的なものを感じた。


「シオンを、あの娘を守ってやってくれ」


 気力を振り絞るように言うと、ワイズは崩れ落ちた。


「ワイズさんっ」


 リムがワイズの手首を取った。


「……大丈夫、気を失っただけよ」

「急ごう。リム」

「分かってる」


 倒れている男達を縛り上げ、意識が回復しても動けないようにした。本当なら保安官に来てもらい身柄を拘束したいところだが、二人は既に賞金首になってしまっている。それに何より、時間がなかった。

 二人はほぼ同時に小屋から飛び出した。リムが目敏く、繋がれていた馬の中から活きが良さそうなのを一頭選び、飛び乗った。


「キーラ、乗って」

「おうっ」


 光来が乗ったのを確認し、リムは馬の脇腹を蹴った。

 リムに気合いを入れられ、馬は弾かれるように駈け出した。光来が掴まっているため、腹部が圧迫される。


「振り落とされないでよっ」

「分かってるっ」


 後方へ流れる景色を見ながら、リムはワイズの言葉を反芻していた。

 どんな強大な魔力でも撃ち出せる。

 ひょっとしたら、ワイズは何か勘付いているのだろうか。

 それに、ダーダーのことだ。キーラを狙う目的はなんだ? たしかに掲示されていた賞金は高額ではあったが、強盗専門の悪党が宗旨変えする程かというと首を傾げざるを得ない。得体の知れない焦燥が込み上げてくる。なにか裏があるような気がしてならないのだ。


「はっ!」


 頭の中に渦巻く疑念を振り払うように、馬に気合いを入れた。行動を起こしてから、ごちゃごちゃと考えるのは良くない。とにかく、今はシオンだ。キーラは勿論だが、彼女まで危険に晒す事態は避けなければならない。

 果たして、レンダー・ダートンとはどれ程の男なのか。不安を無理やり胸の奥に押し込んで、リムは再び馬の脇腹を蹴った。

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