朝の襲撃

 闇と静寂に包まれた部屋に、その者は佇んでいた。

 浅い洞窟に手を加えただけの簡素な家だが、暮らすのに不自由はない。灯りはロウソク一本のみ。あまりにも頼りない光源だったが、それ以上は求めなかった。

 ここ数日、宿命と言う言葉の意味を度々考える。宿る命。つまり、生まれながらにして宿している業だ。生まれながらにしてということは、当然、生きている自分も宿命を背負っているのだろう。それが何であるか見極める方法はあるだろうか? そこまで考えるが、それ以上深く掘り下げたことはない。逃れようのない決まりことなら、考えても詮無いだろうと思ってしまうからだ。

 奴が現れた。あの人が予言していた通りだ。キーラ・キッドと名乗っているそうだが、トートゥで殺人を犯した噂は瞬く間に私の耳にも届いた。彼自身が精製したのだろうか。おそらく、そうだろう。とてつもない魔力の持ち主であることは予想していた。

 彼とは遠くない将来、対峙することだろう。その時を想像すると痺れにも似た感覚が全身を駆け巡る。落ち着けと戒める。自分の想像に喰われるなと言い聞かせる。

 今夜はもう休もう。神経が高ぶって眠れないかも知れないが、横になるだけでも疲れは癒せる。

 ロウソクの炎を摘み消した。ボロ布を利用しただけの質素な布団に潜り込んで目を閉じた。

 目を開けても閉じても、常に闇の中にいるような気がする。でも、その惨めったらしい感覚ももうすぐ終わるだろう。

 すでに手は打ってある……。


 ワイズ家で一晩を明かし、朝を迎えた。光来はベッドを借りたが、ワイズとリムは飲み明かしたようで、居間のソファで眠りこけていた。

 転がっている瓶、テーブルに零された酒、食いかけの肴。そしてワイズの鼾……。

 絵に描いたような堕落振りだ。うーん……と思わず呟いてしまった。これは俺が片付けなくちゃならんのだろうか。


「おはよう」


 光来が一宿一飯の恩を返すべきか悩んでいると、後ろから声を掛けられた。振り向くとシオンが寝起き姿で立っていた。


「……おはよう」


 昨夜のことは帰ってから謝った。彼女は「別にいいよ」と言ってくれたが、相変わらずのポーカーフェイスだったので、腹の中ではどう思っているか読み取れなかった。だから、余計に気になるのだが、今の「おはよう」に険は含まれていなかったように思う。


「彼女……」


 シオンは眠りこけているリムを見つめた。


「男装は解いたのね」


 言われて気付いた。そういえば、ちゃんと女の子の格好をしている。と言っても、スチームパンクファッションで、機動性はしっかり確保されている。

 おそらく、昨日のお尋ね者の貼り紙の影響を考えて男装を解いたのだろう。シオンに説明するには複雑な話なので、話題を逸らすことにした。


「今、ここを片付けようと思ってたんだ。ワイズさんもかなりの酒豪らしいね」

「久しぶりに飲み相手が現れたんで、嬉しかったのよ。片付けるのは私がやるから、キーラは寛いでて。その後で朝食を用意する」


 朝食? 昨日の雷に打たれたような味覚が舌の上に甦る。あの惨劇はなんとしてでも回避しなければならない。


「朝食なら俺が作るよ。シオンはこっちを片付けてて」

「そんなの悪い。キーラはお客さんなのに……」

「いいんだって。こっちの世界の食材をいろいろ試しておきたいし」

「こっちの世界?」

「あ、いや……ラルゴのって意味。俺の村じゃろくな食材が手に入らないから」

「…………」


 シオンの視線が妙に尖っている気がする。


「な、なに?」

「じゃあ、お願いする。昨日のサンドイッチも美味しかったし」

「ああ、任せてよ」


 光来はそそくさと厨房に入った。シオンの視野から外れたことを確認し、胸を撫で下ろした。

今のはやばかった。自分が異世界の住人であることは秘密にしなければならない。もっと会話に気を付けなければ。

 さて、献立はどうしようか。日本の朝食なら納豆や梅干しに味噌汁でも添えれば立派な朝食になるんだが…… 味噌汁か。シオンは昨日スープだかシチューのような物を作ったな。よし。何種類か具材を入れた汁物にしよう。リムもワイズも相当飲んだようだから、その方が喜ばれるだろう。料理人は常に食べる相手のことを考慮しなければ。なんてね。

 どんな食材があるか棚を漁り始めた時、重量感のある足音が聞こえ、小屋の前で停まった。数日前に乗ったからすぐに分かったが、あれは馬の足音だ。それも数頭分のものだった。

 お客さんかな? そう思うのと同時に、けたたましい音が聞こえた。激しく物をぶつけたような、思わず身が竦むような野蛮な音だった。


「キーラってのはどいつだ」


 続けて、野蛮な音に負けないくらい野蛮な声が響いた。しかも、自分の名を口にしている。すぐに歓迎されざる客だと分かった。

 真っ先に頭に浮かんだのは、昨夜見た賞金首の貼り紙だった。

 あれを見て捕らえに来たのか? まさかこんなに早く?

 疑問と恐れが入り乱れ、混乱に陥る。それでも出ていかなくてはならないと叱咤するもう一人の自分も確かに居り「落ち着け。落ち着け」と言い聞かせる。

 何か武器になる物は……?

 目に付いたのは包丁だけだった。賞金首を狙うような連中だ。当然、銃は所持しているだろう。銃相手に刃物では分が悪いどころではないが、リムたちが矢面に立たされている以上、一人で逃げ出すことはできない。

 リムたちは大丈夫か?

 様子を伺おうと包丁を構えて首だけ出そうとした時、一発の銃声が轟いた。


「くっ!」


 思わず飛び出してしまったが、上がった悲鳴は男の声だった。


「こいつっ! いきなり撃ちやがった」


 見知らぬ男が三人、森の中で熊に遭遇したような慄きの表情で立ち尽くしていた。その足元には更に一人の男が倒れている。


「襲撃しておいて、いきなりもなにもないでしょ。あんたら、賞金が目的?」


 リムが男達にしっかり照準を合わせて凄んでいる。目は怖いくらいに据わっているが、完全に酔いは醒めているようだ。

 ワイズはいきなりの出来事に状況が把握しきれていない様子で、シオンは感情のない目で男達を見つめていた。

 光来も突然の襲撃者にその身を晒してしまった。こうなったら開き直るしかない。それに、酔いつぶれていたと思っていたリムが素面と分かったので、強がるくらいの余裕が出てきた。


「おまえら、俺に何か用か」

「お前がキーラか?」


 リムの奇襲に戸惑いながらも、探していた本人が目の前に立っているので、なんとか面子を保とう、そんな喋り方だった。


「そうだ」


 男が確認したことに違和感を憶えながら答えた。


「俺らの頭がお前に会いたがっている。一緒に来てもらおうか」


 頭? こいつら徒党を組んでいるのか? つまり、まだ仲間がいると考えた方がいい。いったいどんな連中なんだ? なんにせよ、のこのこ付いていくのは賢い選択ではない。


「断ったら?」

「おめーに断る権利なんて……」


 男が言葉を発せたのも銃を抜こうと動けたのもそこまでだった。

 リムが躊躇うことなく、一瞬にして三人共撃ち抜いた。あまりに早かったので、銃声が一発分しか響かなかったくらいだ。青白い魔法陣が生じたということは、ブリッツの魔法を使ったのだろう。撃たれた連中は、悲鳴を上げながらその場に倒れ込んだ。

 光来は安堵すると共にあんまり無茶してくれるなと縮こまる思いだった。


「ふん」


 光来の心配などお構いなしに、リムは倒れた男達を見下ろしていた。まるでこちらが悪役のようだ。驚いたことに、シオンもしっかりと銃を構えていた。リムが撃っていなかったら、彼女が発砲していたということか。襲撃者に同情する気などないが、相手が悪過ぎた。


「……こいつら、いったいなんだったんじゃ?」

「まだ収穫祭は終わってないからね。はしゃぎ過ぎた酔っ払いでしょ」

「そんな馬鹿な」


 リムの騙そうという気がない嘘に、ワイズは呆れ顔をしながら倒れている男のポケットに手を突っ込んだ。


「いいの? そういうことして」

「勘違いするな。保安官に引き渡す前に何者か調べるんじゃ。さっき、頭とか言っていたからな。下手に関わらん方がいい連中かも知れん」


 リムのツッコミにワイズはもっともな説明をした。逆に保安官という単語が出て、顔を顰めたのはリムの方だ。


「ん?」


 上着のポケットがモゾモゾ動いたかと思うと、いきなり灰色の物体が飛び出した。それはこぶし大ほどの鼠で、床に着地するなり、ワイズに飛び掛かった。

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