チュートリアル-2
出発の日。荒れ放題だった家は、隅々まで片付いていた。
家財道具は必要最低限のものを残しすべて処分。各種利用サービスの契約もほとんど解約したし、念のため遺書も書いておいた。
いわゆる、死に支度というやつだ。このこじんまりとした一軒家は、家族と住んでいた家。一緒に住むかと誘ってくれた親族の厚意をひとつひとつ丁重に断って、家族の死後も俺は一人でここに住んでいた。
俺がもしゲームに負ければ、ここの住人はいなくなってしまう。だから、いろいろと手続きは済ませておいた。俺が帰ってこなかったときは、この家は親戚の財産になる。
「行こう」
プルオーバーパーカとスウェットパンツにランニングシューズ、鞄はリュック一つという身軽さで、俺は深夜、誰もいない我が家を出発した。秋の始まりを告げる虫のさざめきが聴こえる、涼やかないい夜だった。
カミサマゲームに参加する方法はいくつかあるが、俺がこれから試すのは、その中で最も実践しやすいものだ。
①七階以上あるエレベーターを探す。
今回は、昔通っていた塾のビルを利用する。古くてセキュリティもなにもあったもんじゃなく、裏口から簡単に入れることを知っていたからだ。
深夜のビルは電気一つ点いていなくて、寒気がするほど静まり返っていた。裏口から侵入し、暗い廊下を進んでエレベーターの前に立つ。
上ボタンを押すと、既に一階にあったエレベーターは、すんなりと開いて俺を迎え入れた。中の蛍光灯だけが、唯一の灯りだ。
②六階を押す。
扉が閉まり、エレベーターが上昇し始める。
③扉が開くと、降りずに五階を押す。これより先、自分以外の人間に見られてしまうと初めからやり直しになる。
暗記した手順を
④五階で降りず、二階を押す。
⑤下降を始めたら、五階から七階まで順に押していく。
⑥二階の扉が開く前に目を閉じる。二階に到着し、扉が開いたら、目を閉じたまま、外にいる何者かに向かって「お入りください」と声をかける。
暗闇に染まるビルの中で、エレベーターが下降を始めたところで、俺は五階から七階まですべてのボタンを押し、目を閉じた。視覚を閉ざすことで、内蔵が浮き上がるような下降感が、より鮮明に全身を包み込む。
エレベーターが、停まった。チン、と音を立てて扉が開いたとき、冷凍庫を開けたような冷気が入り込んできて、足首を舐めた。
――いる。
目の前に、人ではない何かが静かに立って、俺の言葉を待っている。
全身の細胞が震え上がった。原初的な恐怖と、興奮。やはりカミサマゲームの都市伝説は、真実だったのだ。
仮に引き返すのであれば、ここが最後のチャンスだ。目を閉じたまま、何も言わず、扉が閉まるのを待てばいい。
一番最悪なのは、目を開けてしまうこと。"ソレ"の姿を見た者がどうなるかは明らかになっていない。
カラカラに乾いた唇を開いて、俺はどうにか声を振り絞った。
「お入り、ください」
ソレは、ぬるりと音もなくエレベーターの中に入ってきた。たまらない悪臭が鼻孔を刺す。息を詰めて我慢し、エレベーターが動くのを待った。
五階から七階までが押されているはずのエレベーターは、ゆっくり"下降"を始めた。
十秒、三十秒、一分、ひたすら下へ降り続ける。このビルに地下のフロアはない。それなのにぐんぐん降りていく。地球の中心まで落ちてしまいそうな勢いで、目まぐるしく加速しながら、どこまでも。目を閉じた奥で、蛍光灯の光が消えるのが分かった。
どれくらい経ったろうか。エレベーターは停止した。いつの間にか、乗り合わせたはずの何者かの気配も消えていた。耳の中の脈が、ドクドク早るのが聞こえる。
ガコン、と扉が開く音に合わせて、俺はゆっくりと、目を開けた。
赤と黒の色の閃光が弾けた。
なんの変哲もない、古びたエレベーターの向こうは、闇の世界だった。蠢く瘴気が立ち込めて、酸素が薄い。それでも俺の心臓は、いつになく忙しく稼働し、ひっきりなしに血流を加速させる。エレベーターから一歩踏み出して、血で染めたようなレッドカーペットを踏んだ。
俺が降りた途端、扉の閉まったエレベーターは、そのまま闇に同化して溶けるように消えた。
『ケケケケケッ! たった今、百人目の参加者が到着したぜ!! お待たせぇ、欲にまみれたカス共よ!! これより、カミサマゲームを開催する!!!』
雷鳴のような絶叫とともに、爆音が轟いた。
閃光と爆風が駆け抜ける。闇が、吹き飛ぶ。たまらず顔を覆い、目を開けると――そこは、一瞬にして巨大なダンスホールへと様変わりしていた。
「わっ!?」
「きゃっ!?」
肩に温かい何かが触れて、同時に驚き、相手の方は尻もちをついた。――人だ。女の子だった。さっきまで闇一面だった世界に、いつの間にか、肩が触れ合うほどの距離に女の子が現れていた。
彼女だけではない。怪しげなパーティー会場を思わせる広大なレッドカーペットのホールには、俺たちを含め目算百名にも及ぶ数の人間が出現していた。
これ、みんな、ゲームのプレイヤーなのか。
「ごめん、大丈夫か」
「あ、はい、ありがとうございます。こちらこそすみません……!」
床に倒れ込んだ少女に手を貸してやると、彼女はペコペコ頭を下げながら俺の手をとった。
黒のボブヘアーがよく似合う、柔らかい垂れ目の、どちらかというと気の弱そうな少女だ。華奢な手を引き上げると、あまりに軽かった。
「君もこのゲームに?」
「その、はい、一応」
煮えきらない返事。見たところ十五歳くらい……俺より二つ三つ歳下だろうか。ちょうど同じ年頃だった妹を重ねて、どうにも放っておけなくなってしまう。
「おい、お前らうるせえぞ!! 説明が始まるだろうが!!」
背後からの怒声に、少女が気の毒なほど飛び跳ねて怯えた。「すみません、すみません」と振り返って謝る相手は、色素の薄いサングラスをかけた、いかにもガラの悪い縦縞スーツの男。
「チッ……なんでこんなガキどもまで参加してんだよ」
言い捨てて男は、既にサングラス越しの視線を一点に投げていた。釣られてそちら――ホールの中央部に目を向けて、絶句した。
バケモノが、宙に浮いていた。
『ケケケケケッ!! 今回はオレ様のために、このような会を開いてくれてありがとよ! ケケケケケッ!! 違うか!!』
直径八十センチほどの、風船みたいに膨らんだ紫色の体。ギロリと開いた真っ赤な目。ギザギザの歯。頭にかぶったド派手なピンクのシルクハットを挟み込むように、ピン、と三角の耳が二本垂直に伸びている。
手足は極端に短く、まさしく球体に近いフォルムだ。ガラガラに嗄れた甲高い声。不気味だが、恐ろしさ以前に……。
「ちょっと、可愛いかも……」
隣の少女のつぶやきに、心のなかで同意した。
『オレ様は、"カミサマ"だ! 名前じゃねえが、そう呼びな、クソ共! ケケケケケケケッ!!』
短い手足をピコピコ動かして、宙に浮いたカミサマは叫ぶ。
『ここには総勢、百名の老若男女が集まった!! ここに来るにはいくつか方法があるが、お前らよく調べてきたな! 今回は百人集まるまで、たったの二年しかかからなかったぜ! このゲームも有名になったもんだな!』
「二年……最初にここに来たやつはそんなに待ったのか」
「私、ついさっき来たばかりですよ」
「俺もだ」
『ケケケケケッ!! 何年待とうが、お前らの体感時間は一瞬なんだぜ! ゲームのロード時間ほど、退屈なもんはねえからな! ここから出るときは、ちゃぁんと元の時間軸に戻してやるから安心しろ!』
「意外と良心的……」
少女のつぶやきに、またも心のなかで同意した。
「まぁ……出られたらの話だけどな」
ふと笑みを消して低い声で言ったカミサマに、背筋が凍る。
『ケケケケケッ、じゃあ、重々分かってここに来たやつがほとんどだと思うが、一応説明しておいてやるぜ!! このカミサマゲームは、オレ様の、オレ様による、オレ様とお前らゴミクズ共のための祭りだ! これからお前らには、オレ様の用意したゲームに、命を賭けて挑んでもらう! 勝てば官軍負ければ賊軍、勝ったやつには神であるオレ様の力で、どんな願いでも叶えてやろう!』
それさえ聞ければ、十分だ。冴えた瞳でカミサマを見つめる俺を、少女が怯えたように見上げる。
「ま、負けたらどうなるんですか!?」
誰かが手を挙げて尋ねた。多少のざわめきが伝播していく。
そんなきくまでもないことを、わざわざきくなよ。
『お前、バカか? オレ様はさっき、命を賭けて挑んでもらうと言ったんだぜ』
底冷えする声で呟くカミサマに見下ろされ、尋ねた男が震え上がる。
『死ぬんだよ。肉体も魂も車裂きにしてオレ様のおやつにする』
男の悲鳴がざわめきを伝播させた。中には泣き叫ぶ者までいる。どうやら、そこまでは知らずにここへ来た者も、いくらかいるようだ。
「な、何が目的なんだよ!? こんなことして何が楽しいんだ!? なにが神だ、イカれてるよお前!」
命知らずの絶叫に、カミサマの口が、ニタァ、と三日月型に裂けた。
『イヒ、イヒヒ……オレ様の目的ィ? それはまさに、今のお前だよォ。怒り、悲しみ、恐怖、悔恨、絶望……それがオレ様の養分なんだ、オレ様、それがないと生きていけないんだぜェ。そういうのが、一番効率的に集められる方法がなんだか分かるかァ? こうやって、命をベットしたゲームをやることさ! 死にたくねぇって感情が、もっとも醜くて美味えんだ! 大勢の黒い感情がぶつかり合って火花を散らし、煮詰まって、ミディアムに焼き上がる……ここは至高の調理場なんだぜ。お前らは願いを叶えられる、オレ様は美味いエサを喰える、だから言ったろ!? これはオレ様のオレ様による、オレ様とお前らゴミクズ共のための祭りだってな!!』
雷轟のような咆哮に、広場はついに静まり返った。
やはり、そうだ。
この世に神はいない。しかし、神を名乗る悪魔ならば、実在する。
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