第44話 会食

各交差点での誘導員による誘導はあったが、基地での出迎えなどはないようなので、マリーは受け取っていた計画表の通り食堂に着けるよう運転兵に指示し、後続の車両には無線で食事後別命なく査察を開始するよう指示した。


マリーは食堂入り口で手を洗い、控えていた兵に制帽を渡すと、早歩きで誘導しようとする将校を無視し、およそ軍人とは思えない手を振らず肩を揺らさない歩き方でおっとりと会食場へ向かった。

査察官とはいえ階級は大佐。一大佐に出迎えなど不要とばかりに先に会食場に誘導し、将官を出迎えさせようという意図はすぐに分かったので、貴族らしい振る舞いで嫌がらせをしているのである。


会食場に入ると先に席に着いていた方面軍司令部の大佐以下の参謀は立ち上がった。

マリーは誘導してきた将校が示す椅子の斜め後方に立った。


「方面軍司令以下将官の到着までどうぞ着席になってお待ちください」

いつまでもマリーが立ったままなので司会進行役らしい少佐が近付いて来て囁いた。

無論無視である。

マリーが座らないので、他の参謀も座るわけにいかず、かといって無駄口をたたくわけにもいかず、困惑した空気が会場に満ち始めた。


会食会場はいかにも大きな食堂をパテーションで区切って作りましたと言う簡易的なものなので、時間的に喫食時のざわつきが伝わってくる。


マリーはテーブルの上を観察していた。

まずはフラワーポット

花瓶に生花ならまだ分かる。

可愛い花を咲かせていると言っても所詮は鉢植え。

土を食卓に載せるとはここの衛生観念はどうなっているのだろう。

それからカトラリー

この配置を見ると、フルコース料理でも出す気なのだろうか。

そして食前酒用のグラス

この独特な形には見覚えがある。

サミュエルが寝酒にとこの薄いグラスにホットワインを入れ、月にかざした時、黄金色に輝いたのだ。

聞くと交易を始めたばかりの遥か東方の国から外相へと贈られたもので、購入しようとしてもマリーの俸給ではとても手の出ない、貴族垂涎の逸品であるらしい。

それがなぜここに……


「方面軍司令臨場」

入り口から方面軍司令を先頭に将軍の参謀が入場する。


方面軍司令は自分の席に行きかけたが、ついっとマリーの隣に来て

マリーの椅子を引いた。

マリーは表情を崩さず、当たり前のように着席した。

会場はざわっとした。

方面軍司令はあたかも計画通りのように自分の席に着いた。


これだけでマリーには方面軍司令が本質を理解できつつも適切に指針を示すことが出来ない無能か、参謀長以下の暴走を止められない無能かのいずれではないかという仮説を立てることが出来た。

どういう事かと言うと、突き付けた査察命令は軍命令でなく国王命令、いわゆる御名御璽の記された文書である。

したがって査察官は一軍人ではなく国王代理という立場をとる。

国王代理を迎えるのだから、被査察部隊の長は会食よりも先に出迎えるのが当然だ。

式典を仕切るのは総務部長の役割で、それを直接指導するのは参謀長だ。

方面軍司令は査察の流れなどについての指針を示し、総務部長らの計画に不備があるならば仰指や決裁などの場で指導するか参謀長を通じて修正させなければならない。

だが、それが出来ていないというか中途半端な状況である。


「ま、いいか」

マリーはそう呟くとグラスに注がれた食前酒を口にした。

蜂蜜に似た風味を持つこのワインは、貴腐葡萄を使った高級品で平民が手軽に買えるようなものではない。

このワインのボトル一本だけでも兵の一日分の糧食費を上回るだろう。


ガチャリ

いかにも慣れていなさそうな勤務員が置いた皿には手で引きちぎったかのような葉野菜が盛られている。

「これはサラダと言って貴族は最初に食べると聞いた」

方面軍司令が蘊蓄うんちくを並べるが、マリーが顔をしかめたのは野菜を出してきたことに対する非難ではない。

葉野菜の上に鎮座まします青虫君を直視したからである。

「私には昆虫食の習慣はないので下げていただけますか?」

そりゃ、野戦だったら気にしないで食べるよ。

でもここは衛生観念のしっかりしている(はずの)場所だ。


案の定、食堂は騒ぎになった。

え?

虫だけをそっと除いて食べればいいじゃないかって?

気を使われる立場の人間に気を使わない相手に対して気を使ってどうするの。


「では査察を開始しますので、巡視開始時間になったら案内を書類検査会場に出してください」

マリーはそう言うと席を立ち、引き留めようとする方面軍司令を無視して食堂を後にした。

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