第43話 第2方面軍司令部【SIDE 軍司令部】

第2方面軍司令部はまるで敵の奇襲を受けたかのような混乱を呈していた。

参謀本部の突然の査察、しかも発令日は1週間前。

査察や検査の命令を受けた場合には直ちに対応しなければならない。

しかし、命令が手許に届いた時にはすでに1週間遅延している。

こうなると書類操作したり下級部隊と口裏合わせなどしている暇はない。

連日司令部内で会議が開かれ、微に入り細に入り決められて行く。

何時何分に誰がどの位置で車列を誘導して、誰がどこに警備に立って、誰が誰を誘導して、書類検査会場の勤務員配置や面接予定人員etc……


「この査察官マリー・ド・ミラーボ大佐について、知っているものはいるか?」

方面軍司令は会議室を見渡したが、ここにいる将官から大尉に至るまで、誰も彼女の事を知る者はいなかった。

「資料によれば、勇者支援隊隊長で伯爵夫人とのことで、参謀本部に問い合わせたのですが、好みも何もわからないとしか返答はありませんでした」

汗をぬぐいながら話す人事部長に方面軍司令は舌打ちをした。

「とにかく貴族だ。宿泊場所も待機場所も会場も会食場も、徹底して飾れ」

「基地内に芸術品はありませんが」

「美術館や博物館から借り受けろ」

「予算がありません」

「そんなもの、師団にまわす厚生費を引き上げろ」

「それだと隷下部隊が新聞も読めなくなります」

「新聞くらい部隊で発行させろ。それから食事も豪華にしろ」

兵站部長がおずおずと質問する。

「査察官の分だけでよろしいでしょうか?」

「そんなことをしたら怪しまれるだろう。全員分だ」

「糧食費が足りません」

「参謀本部に調整しろ」


こうして決められたことがロジブックとなって勤務員に配布され、何度も予行がされる。

並行して視察路の道路脇の草刈りはもちろん、道路に小石一つ落ちていないよう掃き清められて行く。

建物にはペンキが塗られ(しかし素人なので塗りムラが目立つ)、視察経路から外れた倉庫には大量の書類が運び込まれる。

焼却炉にはいつにない量の反古紙が運び込まれる。

食堂も会食の席次や特別献立の指導が何度も入り、専用の会場が整えられて行く。


「花屋が到着しました」

「よし、全テーブルにフラワーバスケットを置け」

「クローク担当の予行が終わりました」

「ウエルカムドリンク担当、氷を取りに来て下さい」

「指名札配置終わりました。確認願います」

昼食時に現れるマリー以下査察員の為の準備が朝から慌ただしく行われている。

それを渋い顔で総務部長が眺める。

「マイクの準備はまだか?」

「それはっ、通信係が準備中です」

「急がせろ」

「はっ」

「総務部長、スピーチの口述原稿、幕僚長の了解を頂きました」

「総務班長、遅いぞ」

「はい……」

「視察経路の点検は終わったのか?」

「これから行います」

「早く行け、もう数時間後には査察官が到着するのだぞ」

総務班長は小太りの身体を揺すりながら食堂を出て行った。

全く無能が、と総務部長が毒づいたが、部下が出来ないのなら自らがやればいいという思考はなかった。


書類検査会場では帳簿類が続々と持ち込まれ、各検査担当の机の後方に積み上げられた。

通信係はこの会場から各部の担当を結ぶ有線を構築するので手一杯であった。

「おーい、総務部長から会食会場のマイクを準備しろと」

「そんなのそっちでやれ!」

「出来んって、マイクある場所も知らんし」

「食堂で持ってるから、奴らに自分でやれと伝えろ」

「やれやれ」

伝令で来た兵は眉を下げながら食堂へ戻って行った。


「おい、磨いた窓は全部右に開けた状態にしろ」

「廊下の帽子掛けのフックは磨き上げろ」

「床も景色が映るほどに磨け」

「廊下にある余計なものは隠せ」

視察経路にあたる隊舎部分では兵たちが大わらわで清掃の仕上げをしていた。

「おーい、外の部分は終わったぞ」

「馬鹿、靴の裏を拭け」

「あ、悪ぃ」

「刈った草は散らばってないだろうな」

「ああ、全部集めて袋ごとゴミ箱に放り込んでおいた、あ、鎌の整備忘れてた」

「そんなの視察後でいい、それよりお前は倉庫の整理の方へ回れ。手が足りてない」

「おうよ」


交差点という交差点には憲兵が立ち、司令部の入り口には執銃の衛兵が立つ。

査察期間中、休務の兵は隊舎外に出ないよう業務連絡が出ていたこともあり、

その厳戒ぶりに方面軍に文書受領に来ていた各師団は目を見張った。


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