第40話 メイベル憲兵中尉

第2方面軍前線左翼を構成する第32師団司令部にマリーは足を踏み入れていた。

司令部はこの街にあった平民学校を接収して(というより平民を無理矢理追いだして)開設されたため車寄せなどはなく、マリーは校門から玄関まで僅かな距離ではあるが歩いて行くことになった。

マリーが外套を車において歩き出すと、すれ違う将兵がギョッとして立ち止まり、慌てて敬礼をして来る。見たことのない大佐だとはいえ大佐は大佐、師団司令部で言えば課長クラスにあたる。(参謀本部で作戦部長に相当するのが師団司令部での作戦課長にあたる)


マリーが玄関に入ろうとした時、見覚えのある顔がすれ違った。

「メイベル?」

「えっ、マリー?」

彼女はメイベル憲兵中尉(以下「メイベル中尉」という。)

士官学校の同期で、女性で珍しい憲兵下士官だったこともあり、マリーの方から接近して友人の座を確保した。


「えっと」

メイベル中尉は周囲を見回して、中庭にマリーを引っ張って行った。

まあ、玄関で立ち話してたら迷惑だね。

「ここに座ろ」

メイベル中尉は塗装が剥げた粗末なベンチに腰掛けた。

マリーも彼女の隣に腰掛けた。


「お久だね」

「そうね、メイベルも元気だった?」

「捜査が多くてねぇ」

疲れ目をしている。化粧で顔色と隈を隠しているのだろう。

「ちゃんと寝てる?」

「あんまり……」

「そっか、無理しないでね」

「うん、マリーは、その」

メイベルがマリーの階級章に目をやる。

「ああ、伯爵夫人になったら急に階級が上がったよ」

「伯爵夫人って、結婚したの?」

「まあ、第2夫人だけどね」

愛人と違って夫人とつくと爵位に伴う権力が行使できる。第1夫人と違うのは家内で振るえる権限がないということだけに過ぎない。


「ちょっと待って、王族とその係累の公爵は除いて、貴族は侯爵、辺境伯、伯爵が上級貴族で、伯爵って大臣クラスで合ってるよね」

「うん、そうね」

「ど、どこで知り合ったの?」

「パーティー、よく参加させられない?」

「ああ、あれ……」

「参加していないみたいね」

「だって、私が出たら摘発に来たと思われる」

「ああ、後ろ暗い人ばかりだからねぇ」

「でしょ」

「私は政治ってそういうものだって思うけど、メイベルは許容できなさそうだものね」

「性分がね」

「メイベルは法を守るのがお仕事、私は法の裏をかくのがお仕事」

「何それ?」

「今ね、勇者候補生を教会から引き取って育ててるの」

「そうなんだ」

「うん、まあ、勇者にするまでは他の貴族や教会とやり合わなきゃだし、色々と法に書いていないことをやるけど、気にしないでもらえると助かる」

「いいよ、マリーだって私の捜査情報ひみつを聞いたりしないでしょ」

「そうね」

「メイベルにはとても感謝してるの。候補生学校時代すごく助けられたわ」

「そうだっけ?」

「うん、私って丸暗記苦手だからさ、法制とかの暗記方法教えてもらわなかったら絶対試験赤点だった」

「それ言ったら私だって、野外の課目はずいぶん助けてもらったわ」

マリーとメイベル中尉は笑顔で互いを見た。

メイベル中尉は私服を着ていたらとても憲兵には見えないだろうというほどの人懐っこい笑顔をマリーに見せた。


「ねぇ、メイベル」

「なぁに?」

「第2方面軍の正面って脱走兵多いのかしら」

「え? そうね」

メイベル中尉は少し考えこんで

「多いけど、前線からの離脱より休暇からの未帰還が多い」

「そうなんだ」

「マリーだから言うけど」

「うん」

「私、前にね、軍憲兵隊長に同伴して貴族院に脱走兵の現状についての説明に行ったことがあるの」

「うん」

「で、当然捜索して逮捕し、軍法会議に送らないといけないけど憲兵隊の隊力が足りないから貴族の私兵の協力を要請したいって言ったらものすごく渋られてね」

「あぁ」

貴族は自分の利にならないことはしたがらないからね。

「そこに視察のために来ていた第4王子がいて、そんなもの休暇を無くせばいいだけだろうと発言されて」

「え゛」

「貴族院長も王族のご発言だからと即採用をされて、年1度許されていた帰省休暇を撤廃する改正法を法案審議会に送ったのよ」

「何てことするんだ、あの第4王子ばか

「発言は不敬だけどその通りよ。そんな改正法が通達されたら何が起きるかわかったもんじゃないのに、貴族って想像もできないのかしら」

「貴族にとって貴族以外はどうでもいいのよ。自分達の不利益にならない限りはね」


マリーとメイベル中尉は互いにはぁーっとため息を吐いた。



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