第33話 転進
「方面軍の運用に際しては、敵とどのような形で戦端を開き、どのような形で終結に持っていくかを考えて戦場を選び、師団を運用することが重要であり……」
休日明けの座学は方面軍運用の基礎だったが、教官は教範を分かりやすく解説している。マリーはこの辺りの記述は
自分も座学で散々居眠りしていたので人の事は言えないが、隣の席まで酒精臭さを漂わせているのは如何なものか。
そもそもこの
開いた教範を見ているだけなら猫でも出来るが、教範を開こうともしないこの猫以下の生物に何を言っても無駄な気がする。
トントントン
入り口の扉がノックされ、校長が顔を出した。
教場内がざわめく。
「マリー大佐」
「はい」
「王宮からの出頭命令だ」
「時間の猶予は?」
「直ちにだ。ついて来い」
「わかりました」
直ちにという事は電信で命令を受けたのだろう。
王宮から直接飛んでくるような命令の内容は皆のいる前で口外できる筈もないから聞かない。
マリーはすぐに立ち上がり、教官に会釈をした後クリストフ大将の後に続いた。
磨き上げられた室内
さすが校長車だ。
側仕えを放置してクリストフ大将と同乗しているが、急に王宮に呼び出されるのには慣れている。いや、普通は呼び出されたりはしないんだけれども。
クリストフ大将は無口だ。
つまり、呼び出された用件については運転兵にさえ聞かれてはまずいという事だ。
仕方ないので窓の外を眺めて
「よう、学生生活はどうだ」
「
途中で合流した兵站部長に近況を述べながら会議室に入ると、既に国王陛下、参謀本部長、人事部長、情報部長、新作戦部長が席についていた。
「マリー大佐、参りました」
「まあ、座れ」
クリストフ大将及び兵站部長と一緒に席に着くと、すぐに目の前に紅茶とチーズケーキが置かれた。皆さん頭脳労働だから、甘いものが欲しくなるんだろうなぁなどとマリーがぼんやり考えていると
「今日までご苦労だった」
と作戦部長がマリーをじっと見ながら言った。
「は、はぁ」
なにがご苦労なのか分からないマリーは目を瞬かせた。
「将校学校については洗い出しが終わり、反国王派学生の粛清に入る。上手く奴らの目を惹き付けてくれた」
と情報部長が補足してくれたが、マリーには特段何かをしたという覚えはない。
「それでだ」
作戦部長が演技がかった声の抑揚で
「貴官をこのまま将校学校に置いておくのはもったいない。故に新たな任務を与える」
「あのう」
「何だ」
「新たな任務も何も、勇者支援隊長を拝命しておりますが」
「放っておけ」
「放るのかい!」
「ごほん」
クリストフ大将が咳払いをし
「マリー、少しお淑やかにしろ」
「あ、はい」
「それでだ」
作戦部長が続ける。放っておくで決定のようだ。
「第2方面軍管内はわかるか?」
「2国との国境警備にあたっているとしか」
「その通りだが、第1方面軍正面の戦場と連動するかのように2国とも国境に兵力を集めている。表向きは毎年恒例の演習だが、その実は大規模な予備役を含めた動員だ。情報部長」
「ああ、両国とも収穫時期にもかかわらず動員を解く気配がない。そのため国内の物流が混乱しているとの情報がある。これらの情報は参謀本部直轄の情報網から得られたものだ」
「え? 第2方面軍からの情報は?」
「ない。毎日異状なしの定時連絡のみだ」
「……」
「不思議だろう? そこでだ」
「第2方面軍を査察しろという事ですよね?」
「お、おう」
「いいですけど、一大佐にその権限はあるんですか?」
「国王代理の権限をくれてやる」
国王陛下が口を出した。
「そうだな、この任務に成功した暁には准将に昇任させてやるが?」
「准将ですか…」
「わかった、それではサミュエルを侯爵にしてやろう」
「やります!」
「そ、そうか」
「旦那様の為なら、頑張ります!」
国王陛下は不思議なモノを見るような目つきでマリーを見た。
「マリー大佐はこの任務終了まで参謀本部付となる」
人事部長がずれた眼鏡を直しながら
「人事的な要望はあるか?」
「それでは私の情報は大佐と伯爵夫人という事以外分からないようにしてください」
「うむ、だが知り合いから漏れるという線はないか?」
「あー、私をよく知る上官も同僚も殆どが戦死してますし、所属も第1方面軍隷下部隊ですから」
伍長の時に功績名簿を持って脱出した防御戦で原隊となる中隊は壊滅している。
一緒に脱出した兵士も今はいない。
「他に要望は?」
「人事ではないですが、第2方面軍に命令が届くのを発令から1週間自然に遅らせるわけにいきませんか」
「文書命令が不慮の事故で送達に遅延、まあ出来るな」
「面接と文書監査だけ方面軍計画としていただければ」
「方面軍計画では隠蔽に動くぞ」
「それでいいのです。あ、もし問い合わせがあったら、外相ではなく、中立派の伯爵とだけ伝えて下さい」
「よかろう」
マリーはケーキも紅茶もしっかりと味わい、細部について各幕僚と詰めた後、クリストフ大将の高級酒を目当てに夜の会議へと繰り出した。
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