第32話 マリーの休日
「サミュエルに何書こうかしら、うふふっ」
マリーは上機嫌で紙袋を胸にギュッと抱えた後、随行しているパトリシアにそれを渡した。
本当はずっと持っていたいのだが、高級将校が軍服姿で手荷物を持ってうろつくわけにはいかない。
兵棋演習後の休日、マリーは街へ下りた。
帰宅しても良かったのだが、折角将校学校へ入校したのだから街歩きを堪能したかったのである。
ウインドウショッピングが大好きな一人の女の子として。
だったら軍服じゃなくて可愛い服着て来いよという無粋なツッコミはなしだ。
文房具店で素敵な便箋を見つけ、これで夫にラブレターでも書いて喜んでもらえたらなぁとウキウキ気分でいる。
だったら軍用郵便の封筒を使うなよというツッコミもなしだ。
そう、軍服には軍人割引が、軍用郵便には無料配送という特典がある。
マリーはそういう「お得」が大好きなのだ。
「あら?」
前方の交差点が人で賑わっている。何かの催しだろうか。
近付き、人をかき分けて前に出ると
「隊長殿!」
と声を掛けられた。
「グラシアン軍曹!」
きゃあ、と駆け寄ると演奏服に身を包み、トランペットを持ったグラシアン軍曹と、その隣でぺこりと頭を下げるミクがいた。
「ミクちゃん久し振りっ、一員になれたのね」
そう言って抱き着くとミクは楽器を持っていない右手をマリーの背に回し
「はいっ」
と嬉しそうな声で返事をした。
「ミクちゃん演奏服がとっても似合うよ。可愛いっ」
「えへへ」
はにかむミクも可愛いなぁ、とふと目を上げると周囲の隊員がこちらを見て驚いている。
「あ、ごめん」
いきなり高級将校が街中で仲間に抱き着いてきたりしたら、そりゃ驚くよね。
「あの、マリー隊長?」
「うん?」
「その階級章」
「ああ」
そう言えばミクの中で私は少尉だったなとマリーは思い至った。
「私ダンジョン村の村長じゃない。だから大佐になったの」
「あの、ええと」
うん、説明不足だよね。わかるよ、わかるんだけども……
「ミクちゃんは「隊長」って呼んでくれればいいから」
とりあえずこれで許してもらおう。
相手の階級を間違えて呼ぶことは失礼にあたる。
しかし職名ならこの限りではない。何故か。
例えば相手が師団長だったとして、その人が中隊長時代に自分がとてもお世話になった事を今でも恩義に感じていて「中隊長!」と師団長を呼ぶことは、その人に限り許される。あなたの事を当時から尊敬申し上げておりますという事が周囲にも伝わり、規律に厳しい参謀長からも温かい目で見られるからだ。
軍隊にはこういう暗黙の了解が存在する。
「あの、えっと、大佐殿?」
振り返ると(あの嫌味な)音楽隊長が指揮棒を持って立っていた。
後ろには指揮杖を抱えたドラムメジャーを帯同している。
もう始まる時間なのかな。
「あ、ごめんなさい。邪魔するつもりじゃなかったの」
「あ、いえ、その」
明らかに表情が焦っているというか混乱している。
マリーは落ち着かせようと答えやすい質問をすることにした。
「今日は何かのイベント?」
「はい、家族の日のイベントの一環としてこれから通りを演奏行進します」
「そうなの、頑張ってね」
うん、大人の対応だね。
マリーはそれだけ言うとミクに向き直った。
「ミクちゃん、今、幸せ?」
「はいっ、毎日楽器が吹けて、とても幸せです」
「そう、よかった」
マリーは心からミクの笑顔を見られて嬉しいと思った。
「もし、これから先、苦しかったり辛かったりしたら、抱え込まないで私の所へいらっしゃい。いつでも力になるわ」
「はいっ」
元であろうと部下の為なら職権乱用も厭わないマリーである。
「グラシアン軍曹もミクちゃんを受け入れてくれてありがとう。どうかこれからもこの子の力になってくださいね」
「はっ、隊長殿!」
グラシアン軍曹は美しい敬礼をした。
マリーは答礼をし、これ以上邪魔しないよう群衆に混じった。
自分が近くにいては丁重に対応しなければならないだろう。何せ大佐の行動を統制できる者など階級的にここにはいないのだから。
「パトリシア、始まるよ」
「そうですね」
道路に4列縦隊で整列した音楽隊の先頭で音楽隊長が指揮棒を振るうと同時にドラムメジャーが指揮杖を掲げ、隊員が楽器を構えた。
マリーは音楽に精通しているわけではない。
だが、ブラスの響きは心地良く感じるし統制された動きは綺麗に感じる。
演奏服の飾りとして着けられている参謀肩章の分銅や楽器の金属にきらっと太陽が反射する。
演奏しながら通り過ぎる時にミクが流し目でマリーを見てにこりと笑う。
可愛いなぁ、とマリーは思う。
音楽隊が通り過ぎ、周囲が道路に沿って動き出した時、マリーは喫茶店を見付けてパトリシアを引っ張り込んだ。
「ねぇねぇ、ここ座ろ」
案内を頼むような店ではないため、花が飾られた窓辺の席を見付けてそこに座った。パトリシアは恐縮ですと言った表情で、それでも素直に対面に座ってくれた。
「いらっしゃいませ」
「私メレンゲで、パトリシアは?」
「カフェオレでお願いします」
「かしこまりました」
注文を取りに来た店員に素早く頼む。
パトリシアはミルク派かぁ、とマリーは意外な一面を見た気がした。
クールな女性というイメージだったのでコーヒーはブラック派なのだろうと勝手に思っていたのだ。
「ねえ、パトリシア」
「はい」
「私餌だよね、あなたたちの」
「はい」
パトリシア達が潜入捜査するためのエサだよねと聞いたらあっさりと認めた。
「じゃあアラン殿下はなに?」
「奥様」
「うん?」
「釣りをしたことはありますか?」
「うん、生存自活のために何回かね」
「それならばイメージしやすいと思いますが、川の小魚が好む餌を海の大魚が好むとは限らないという事です」
「殿下も餌なんだ」
アラン殿下を餌に釣るとなると相当な大物だろうか。
何にせよパトリシアたち以外にも影で動き回っている人たちがいるのは確かなようだ。
「お待たせいたしました」
テーブルにはコーヒーと大きな水差しが置かれた。
水差しは「少しでも長く寛いでください」という意味で、濃い目に入れられたコーヒーに少しずつ足し水をしつつ長く居座って欲しいという意思表示だ。
「ねえ、パトリシア」
「はい、奥様」
「殿下ってそれだけのためにいるの? 全く勉強しようとしないし……」
「いえ、そういうわけでは」
「あ、何か知ってるのね」
「はい、現在各貴族の私兵を召集しようとしているところでして」
「貴族でなく?」
「そんな事をしたら反乱がおきますから」
「それもそっかぁ」
貴族は他の貴族や平民がどうなろうと気にしないが、自分の血筋に関しては過敏になる。国の難事に貴族が率先して立ち向かったのは遥か昔の事であり、今は各貴族の既得権益を守るためにそれぞれ兵を有している状態である。
数だけで言えば国軍の兵よりも多い。
しかし国軍を下に見ているため連携は困難であり、自領から敵が出てしまえば戦闘に協力しない。
「だから王族すら軍にいるのだからお前たちも兵を差し出せと」
「ああ、それで」
頭の残念さは特に問題にならないと。
「王族から見たら第4王子は戦死しても痛くはないですしね」
「納得……」
「というわけで」
「生きているうちに餌として働いてもらうという事ね」
「今のところ、食いつきは良いみたいですよ」
「ふーん」
何やら裏で何かが動き出しているようだとマリーは感じた。
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