第31話 兵棋演習

「お前、俺の部屋に来い」


「は??」


マリーは呆れた表情でアラン殿下を見る。

「女を抱きたいのなら娼館に行って金をばら撒くと良いですよ。どれだけ魅力のない殿方でも見目麗しい女性が寄って来るでしょうから」

お前に金以上の魅力はないとにこやかに言う。

そもそも既婚女性を連れ込もうなど、どういう神経をしているのか。


「それより、想定を読み込んで課題を始めなければならないのです」


課題は歩兵師団の防御想定での各部長見積りで、そう難しくはない作業ではあるが、その出来で兵棋演習での役職が決まってしまうのだから手を抜きたくはない。


「その課題の書き方を教えろ」

「はぁ?」

歩兵師団の想定は基本を問えるので学校では好んで使用される。士官候補生学校では連隊戦術を学ぶための前提としてさらっとやる程度だが、将校上級課程や参謀課程では徹底的に仕込まれる内容だ。

そんなものは出来て当たり前という前提で出された課題である。

上級課程を出ていないマリーでさえも出来る。

だから「はぁ?」なのだ。


方面軍戦術を学ぶには師団戦術が理解できていないと意味がない。

そのため師団兵棋演習を方面軍戦術を学ぶ前に復習がてら行うようにしているのである。しかし軽視していい課目ではない。

連隊長を下番してここに集まったような同期の皆さんは卒業したら将官となって師団長や方面軍参謀に配置されるだろうから、すぐに役立つのである。


「殿下はご自分でお勉強はなさらないのですか?」

「ん?」

「いえ、殿下の頭はただの帽子置き場なのでしょうか、と思いまして」

「なんだと」

「まずは教範をお読みください。話はそれからです」

マリーはつんとした態度でその場を離れた。

教範を読んでわからない部分を質問してくるのならいい。だが教範を読もうともしないで教えてくれと言われるのはマリーには受け入れられなかったのである。



アラン殿下は苛立っていた。

どうせすぐに無礼な物言いを謝罪しに来るだろう、そうしたら許して度量の広さを見せつけてやると思っていたのに一向に来ない。

教範など読んでも書いてあること自体理解できないのに課題などできるはずもなく、兵棋演習は開始され、何の役職も与えられなかったアラン殿下は広い会場をうろつく以外なかった。


「おい、何をやっているのだ」

「業務予定に基づき各部長を招致しているところです」

「業務予定?」

「詳しくはマリー大佐にお尋ねください」

そう言われてあの女を探すと違う区画の中でなにやら作業をしている。

アラン殿下はわざと足音を出すような歩き方でマリーに近付いた。


「おい」


「あら、殿下」

「あら、じゃない、何をしているのだ」

「情報見積りをしているのです」

「情報見積り?」

マリーはアラン殿下の方に視線さえも向けずに地図を睨みながら書き物をしている。

「教範に書いてある事そのままです」

また教範か、こいつは教範女か。

アラン殿下は苛立ち、癇癪を起こした。


「教範など意味が分からぬ!」


「ならば教範を読みながら皆の作業を眺めていらっしゃればよろしいかと」

「読んでも意味が分からぬと言っておるのだ」

「さようでございますか。お暇でしたらそこの地図の色塗りなどされてはいかがですか?」

この女、言うに事欠いて塗り絵だと!?

「僕にそのような下らぬことをさせようと言うのか」

「お気に召しませんか。でしたらそこにある兵棋でお遊びになってもよろしうございますよ。ついでに足りない駒がありましたら作成していただけると助かります」

そう言いながらもマリーは兵棋どころかアラン殿下さえも視界に入れていない。

こいつ、言葉は丁寧だが態度の端々から敬う気がないのが透けて見える。

「あ、情報部長、会議の時間になります」

「はぁい」

マリーは伝令兵に連れられてその場を去った。

アラン殿下は苛立ちを隠さぬまま別の区画へと足を向けた。



アラン殿下は全く意味の分からない兵棋演習とやらを眺めながら無為な1週間を過ごした。

全体が見渡せる2階のテラスに豪華な椅子と机とティーセットが運び込まれたので、そこに腰を据えた。恭しく案内され、側仕えが茶の支度をしたので王族はそういうものだとアラン殿下は勘違いしていたが、それは1階の戦場内をうろうろされて邪魔に思ったマリーが支援隊員に耳打ちして用意してもらったものだ。


そして演習が終了した夜、アラン殿下は「独身大佐会」というのに招待された。

酒だ!と喜んで顔を出すと茶話さわ会だったのにはがっかりしたが、そこにいる大佐連中はマリーとは違い彼を丁寧に扱ったのですぐに彼はすぐにご機嫌になった。


「そうなのだ。あの女は言うに事欠いて僕の事を残念王子などと呼びやがった」

「それは酷いですな」

「やはり女は駄目ですな」

「アラン殿下の素晴らしさをわかろうともしない」

彼らは口々にマリーの事をあげつらった。


「やはり殿下の傍に置く女としてふさわしくありませんな」

「殿下にはもっとこう、気立ての良い女がお似合いです」

よいしょされてアラン殿下は気持ちが上向いた。

そして彼は彼らを信頼できる男だと感じた。

それならプライベートな話をしても問題あるまい、と。


「あの女、僕が部屋に呼んだのに来ないんだぞ」

「なんと! それは不敬極まりない」

「お声が掛かって喜ばないなど、そんな女相手にする必要はありません」

「だいたい女は下士官以上になると生意気になって言う事を聞きません」

「どうですか殿下、従順な女の兵をお側に侍らせましょうか」

「それはいいな!」

「明日にでも呼び寄せますぞ」

「おお!」

アラン殿下は喜んだ。

「あんな教範を読め読めうるさい女よりその方が良い」

可愛い女性兵に囲まれる自分の姿を想像し、彼は幸福を感じた。


「ところで殿下、王宮ではどのようにお勉強をなさっていらっしゃったのですか?」

「ん? ああ、王宮では専任の教師が何でも教えてくれるぞ」

「おお、専任の教師ですか」

「そうだ。何百回でも理解するまで丁寧に」

「それはすごいですな」

「試験だってあるが、教師はちゃんと答えを言うから満点以外とったことはない。それがあの女ときたら!」

「まあまあ殿下、女などに期待するから腹が立つのです」

「そうですぞ、独身の我々こそが真なる味方」

「其方たち!」

アラン殿下は感動した。ここに忠臣がいたのだ、と。

しかし彼は知る由もなかった。

同期の大佐達に者など存在しないという事を。


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