第30話 餌

午後から教場に集合、人数より席が多いので好きな場所へと言われて出口に一番近い後方の席に陣取ったのに、なぜか隣にアラン殿下が着席した。


「場所は広く使った方がよろしいと思うのですけれど」

と作り笑顔を向ける。近寄るなという意味である。


「気にするな」

とアラン殿下は鷹揚に言う。いや、気にしろよ…


「男性同士の方が話が合うのではないのですか?」

「いや、僕は女の近くの方が良い」

裏の意味が通じていない。

まさか貴族らしい言い回しに慣れてない? 


「皆様と違って私はなりたての大佐ですから、あまり殿下のお役には立てませんよ」

「女に頭の中身など期待していない」

にこやかに言っているが、これは喧嘩を売られているんだ。きっとそうだ。

「左様でございますか」

いい加減作り笑顔を続けているのも疲れていた。


「静かに」

入室してきた教官はそう言うと助教に命じて紙を配布する。

静かにしていないのは自分達だけだ。どうもすみません…

「何だこれは?」

アラン殿下は配布された紙を見て怪訝な顔をする。

「わら半紙です。漂白された紙と違ってとても安価なのです」

ダンジョン村ではあまり使わないが、士官候補生学校で大量に使用していたので知っている。

「そうか」

まあ、王族が安価な紙の存在を知らないのは仕方がない。


「参謀旅行も終わり後期からは若干人数が増えた。これから試験を行い、役職決定のための資とする」

教官は黒板にてきぱきと問題を書く。

『1 方面軍運用の基本的事項 2 機械化師団と歩兵師団の運用の差異 ……』

マリーは自分の名前を書き、第1問目から回答を記入し始めた。

師団運用や参謀勤務は昼間居眠りをして不名誉なあだ名をつけられるほどに頭に叩き込んだ教範事項である。方面軍運用の教範も前作戦部長が読んでおけと貸してくれたので記憶に新しい。

ここに居る大佐レベルの人であれば悩むほどの問題ではない。


ん?


なんか、アラン殿下がきょろきょろしている。

「殿下、あの黒板に書かれた問題の答えをその紙に書けばいいんですよ」

「答えとは、どこにあるのだ」

「教範です。方面軍運用と師団運用、それに参謀勤務に書かれている内容をそのまま書けばいいんです」

「その教範とやらはどこにあるのだ」

「は?」


い・ま・な・ん・て・い・っ・た


「学校の教務班から借りていないのですか?」

「借りていない」

まあ、今までの教育の中で筆写していれば借りる必要はないのだが。

「殿下、大佐になるまでに様々な課程教育を受けたと思うのですが、そこで教範を使ったでしょう」

「課程教育など受けておらぬ」

「…」

駄目だ、理解を超えた。

「教官」

「何かね?」

「アラン殿下が設問の意味が理解できないと仰せです」

「なら、分からないと書いて退出したまえ。今日はもう帰ってよろしい」

教官は手をひらひらと振った。



「って事があったんですよー」

「…」

マリーが校長室で前作戦部長で現校長のクリストフ大将に愚痴ると彼は眉間にしわを寄せた。

「はっきり言いますよ」

「うむ」

「馬鹿なんですか?」

「まあ、彼は生まれた時から誰にも期待されず、甘やかされて育ったそうだからなぁ」

「っていうか、何であれが大佐なんです?」

「まあ、カリカリせず、飲め」

そう言うとクリストフ大将は琥珀色の液体をマリーのグラスに注いだ。

樽の香りがする。間違いなく高級な酒だ。


「政治的配慮ってやつだよ」

「わかりました部長、いえ校長、それ以上は聞きません」

自分も政治的配慮で高級幹部になったのだ。人の事は言えない。


「そうしてくれ」

マリーがグラスの酒を呷るとクリストフ大将は注ぎ足して

「眠り、いや、マリーが既婚で助かった」

「いきなり何ですか?」

「いや、殿下は女好きでな、女を下に見る癖に自分が女性にもてると信じて疑わないのだ」

「あー…」

思い当たることが多すぎる。


「マリーはどう思う?」

「あんなのと付き合いたい女性なんているんですかね」

「…」

「だって、王位継承権なんてないようなものだから期待されてないんでしょ?」

「まあな」

「地位もない、学もない、自由にできる資産もどうせないでしょ。どこをどう愛せと?」

「まあ、大佐という地位はあるが」

「あんなんじゃろくに指揮も出来ないでしょう。兵に降格した方が良いのでは?」

マリーは部下が馬鹿な分には許容できる。だから部下がふざけて求婚もどきをして来た時も笑って流せたのである。ただし指揮官や司令官レベルとなると話は別である。

辛辣しんらつだな」

「というわけで、私にあれを押し付けないでください」

「そういうわけにもいかぬのだ。もう少し付き合ってやってくれ」


「もう少しですね。分かりました」

ここまで言ってクリストフ大将が引かないという事は必ず裏がある。

サミュエルと彼の方向性は同じな筈だ。

多分、アラン殿下はなのだろう。

何が喰い付くのかは知らないが。

「…いやに素直だな」

「あなたの派閥らしいですからね、私は」

「当然そう見られているだろう。仲良しだからな」

「仲良しなんですか?」

「そういう事にしておけ」

ほろ酔い状態でのこういう会話は嫌いではない。



学校の朝は早い。

軍の施設だからラッパ手が起きる時間を教えてくれる。

起床は日の出の時間だ。毎日微妙に違う。

マリーは起床して顔を洗ったら朝食までの間に軽く6kmほど走るのが日課だ。

将校は下士官や兵と違って整列点呼を受ける必要がない。

常に自らを律するのが将校としての矜持である。


「おはよう」

追い抜いて行ったり対向して走って来た者同士挨拶を交わす。

まだ名前と一致していないが、教室にいた学生であることは分かる。

学校は平坦地にあるが、外柵に沿って走ると約2kmあるので景色の変化が楽しめる。

森に接している部分では鹿が顔を出していたり鳥の鳴き声が楽しめたりする。


「手伝おうか?」

芝生の上で柔軟運動をしていたら声を掛けられた。

「ありがとう、お願いするわ」

互いに背を押したりしながら会話を交わす。

「貴官は我々に比べ、随分と若いな」

「あー実は、結婚して貴族になったので、とんとんとんと階級が上がったんですよ」

「そういう事があるのか」

「はい、自分でもびっくりです」

「そういえば、王子殿下も箔をつけるために入隊されたという話を聞いたことがあるな」

「そうなんですか」

「貴官はそれなりに実戦経験を積んできたのだろう?」

「下士官まではがっちり。将校になってからは新編部隊の隊長にされたので、全然です」

「ほう、隊長に」

「あ、いえいえ、多分あなたが想像しているようなものじゃなくて、自分で部隊を立ち上げたので必然的に隊長になっちゃった的な奴です」

「その方がすごいと思うが?」

「あはは、ありがとう」

「そう言えば、名乗ってなかったな。私はロラン」

「マリーです」

「親子ほど年が離れているが、仲良くしてくれ」

「そういうの全然気にしないです。夫と同じくらいですよ」

「そうか、ははは」

ロランは気の良いおじさん的な雰囲気をかもし出している。

しかしマリーは騙されない。

探るような鋭い視線が隠せていないのだ。

「ではロラン、後程教場で」

「ああ、またな、マリー」

軽く手を上げ、それぞれ好きな方向に走り出した。

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