第24話 音楽

「よう、眠り姫」


マリーが作戦課に入室しようとすると、作戦部長が部長室から顔を出し、手招きをした。


「部長、お早うございます」

マリーが担当者案たたきだいを作戦部長に差し出すと

「これは後で浄書させて参謀総長に見せておく」

と言って受け取り、部長室に入るよう促した。

つまり見る暇もないからお前を信用して決裁を通過させておくと言っているのだ。


「どうしたんです?」

今まで部長室に押し掛けることはあっても招き入れられた事がなかったのでいぶかしんだが

「ここじゃなんだ、中で話す」

との事なので素直に中に入った。


「音楽隊長は朝礼が終わったらここに来る。まあ、座れ」

ソファーに腰掛けると当番兵がすぐにコーヒーを運んでくれる。

「どうかしたのですか?」

「早朝から敵の砲撃が始まった。今までにない広域で濃密な砲撃だ」

「攻撃準備射撃ですか」

「多分な。それで当面戦場はがやがやしとる」

ということは、作戦課内は課員のみならず人事・情報・兵站の参謀も加わってカオス状態になっているということだ。

「ああ、じゃあ(作戦課には)入らない方が良いですね」

「そういう事だ」

「部長」

ノックとともに作戦課員が部長室に顔を出した。

「当面戦場までお願いします」

「おう」

作戦部長は立ち上がった。

「じゃあな、ゆっくりして行け」

マリーは作戦部長に目礼して見送った。



「入ります」


マリーは座っている背にその声を聞いたが、特に何も反応しなかった。


「作戦部長は」

「当面戦場です」

振り向くこともせずにそう答えると

「貴官は?」

むっとしたような声でそう問われた。

「ここで音楽隊長を待っています」

「私が音楽隊長だ」

「そうですか」

マリーはソファから立ち上がって向き直った。

「では、行きましょうか」

「待て、私は隊長に帯同するよう言われている」

「私が隊長です」

音楽隊長はマリーの階級章をしげしげと見詰め

「はっ、少尉が隊長だと?」

嘲笑あざわらった。

「少尉が隊長なんですよ」

マリーは得意の作り笑いを返した。


軍隊は能力主義なので一般社会のように女だからと侮られることはないが、階級による組織ヒエラルキーが存在するので、階級を何より重視する者は多い。今まで仕事をして来た参謀本部等の司令部勤務者には無頓着な者が多かっただけだ。

ここで階級よりも職務を優先するという部隊の慣例、つまり指揮官が戦死するのはよくある事なので指揮を継承したものが例え最後に残った兵卒であっても部隊長として臨時指揮をとっていれば部隊長として遇している事例を知っていればお互い楽しい時間を過ごすことが出来ただろう。

また、今は戦時中であり、戦闘に直接かかわらない新設部隊の隊長ポストに佐官など就けられないであろうことくらい少し考えればわかりそうなものだ。


「ふん、では私が行くまでもないだろう。手の空いている軍曹にでも命じるとしよう」

これはかなり嫌味な言い方だ。少尉の相手など軍曹で十分という意味なのだから。

「いいですが、トランペットの事が分かる方にして 下さいね」

マリーはにこやかにそう返したが、これは嫌味返しだ。

お前の部下にマルチプレイヤーなどいないだろうという意味である。

歩兵中隊長に機関銃の事が分かる軍曹を(歩兵は下士官教育で機関銃が必修)というくらいに失礼だ。

「いいだろう」

音楽隊長には嫌味が伝わらなかったらしく、尊大に頷いた。

ここを戦場にするつもりのないマリーも引き下がることにした。

「では、下の駐車場で待っていますので」



「えっと、この車が…」


駐車場にやって来たのは丸顔の小柄な軍曹だった。

片手に黒い楽器ケースをげている。


「あ、音楽隊の?」

「はい、第一方面軍音楽隊楽士のグラシアン軍曹です」

「マリー・スピアース少尉よ、よろしくね」

「これは隊長殿のお車ですか?」

「そうよ」

「これ、大佐以上じゃないと配車されない高級車ですよね」

参謀本部の敷地だから目立たないが、確かに一介の少尉に配車されるような車ではない。

黒塗りの、それも不整地に強い6輪という特別仕様である。

当然のように積まれた車載通信機用のアンテナに指揮官を示す小旗が取り付けてある。ただし将官や佐官と違って旗に色はついていない。

逆に白い旗だから目立つとも言えた。

「あら、車お好きなの?」

「はい、乗り物が大好きです。こんな車に乗れるなんて、来てよかったなぁ」

「喜んでもらえて嬉しいわ。立ち話もなんだから乗って」

グラシアン軍曹は喜んで運転席の隣へ乗り込んだ。

私の隣でいいとマリーは言ったが、それは固辞された。



「隊長、おはようございます」


グラシアン軍曹を伴って事務室に顔を出すと、ヴァラード先任曹長が機嫌良く挨拶してくれた。


「おはよう」

「拠点は結局3か所になりました。地図にプロットしてあります」

「ありがとう、後で回ってみるわ」

「後ろの方は?」

「紹介するわ。グラシアン軍曹、第一方面軍楽隊の楽士よ」

グラシアン軍曹はさっと敬礼し、ヴァラード先任曹長は答礼した。

「ここの先任曹長やってるヴァラードです、よろしく」

「ところでミクとアルト軍曹は?」

「教場で待機させてあります」

「ありがとう。グラシアン軍曹、ちょっと休憩してから行く?」

「いえ、自分は大丈夫ですので」

どうもグラシアン軍曹は遠慮がちな人間のようだ。

「わかった。先に用事を済ませてから休憩しましょ」



「敬礼!」


マリーが教場に入るとアルト軍曹が立ち上がって敬礼した。

ミクも立ち上がって頭をぺこりと下げた。


「君が音楽隊を希望している子?」

グラシアン軍曹は優しくミクに声を掛けた。

「はい、ミク候補生です」

「委細は車の中で隊長殿に伺ったんだけど、トランペット経験者だって?」

「はい」

Bべー菅?」

「はい」

「じゃあ、まずこれ見て」

グラシアン軍曹は1枚の楽譜をミクに渡した。

初見しょけんで歌って」

「え、は、はい」

ミクはにらむように楽譜を見ていたが、すぐに歌いだした。

楽し気に迷いなく歌うその姿にアルト軍曹は文字通り目を丸くしていた。


「いいでしょう」


グラシアン軍曹はにこやかに言った。

「あなたにこれを貸与たいよします」

机の上に黒い楽器ケースが置かれた。

「確認してください」


ミクがケースを開くと中には金メッキを施されたトランペットとマウスピースが収納されていた。

「手に取っても?」

「もちろん」

ミクは迷いなくトランペットをケースから拾い上げ、マウスピースを装着すると嬉しそうにピストンを指でカチャカチャと上下させた。

「さすがにここで吹くのはあれでしょうから、音楽隊の練習場に案内します。で、いいんですよね。隊長殿」

まあ、ここは防音処置していないからね。

「そうね」

マリーは少し考えて

「アルト軍曹、ミクちゃんと一緒に行って毎日状況を報告しなさい」

「はっ」

「えっと、練習場って方面軍の、よね」

「はい、方面軍司令部付隊です」

どこまで顔が広いんだあの作戦部長おやじは…

「わかった。宿泊と給食依頼はしておくから、音楽隊に受け入れてもらえるようだったら言って。参謀本部の人事部に調整して異動させるから」

「わかりました」

「隊長殿、その時にはこちらからも司令部を通じてお願いしますので、よろしくお願いします」

部隊まったん同士で話が通っているなら人事部も余計な調整が必要ないので書類の受け渡し程度で終わるはずだ。

「あ、そうそう」

グラシアン軍曹は腰の書類鞄から受渡証を取り出した。

「えっと、ミク候補生?」

「はい」

「ここにサインを、楽器の借用書です」

「わかりました」

ミクは示された場所に自分の名前を書き入れた。

それはこの国の文字ではなかったが、自筆であるという事が重要なので問題ではない。管理簿に登記された物品の行先が分かればそれでいいのだ。


「これで楽器は正式にミク候補生に貸与たいよされました。可愛がってやってください」

「はい、もちろんです」

ミクはトランペットからマウスピースを取り外し、ケース内にあった布で楽器に触れた部分を丁寧に拭くと名残なごり惜しそうに収納した。

「まあ、音楽隊の練習場ならバルブオイルやスライドグリスのような消耗品にも困ることはないので」

「グラシアン軍曹」

「はい」

「3人を方面軍司令部付隊まで送らせるので、後はよろしくね」

「お任せください」

グラシアン軍曹は自信たっぷりに胸を叩いた。




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