第19話  バディー

「バディー、もっと早く歩け。ナメクジと競争しているのか」


先行するミラ軍曹が振り返りもせずにゼンにハッパをかける。


「はぁはぁはぁ、待ってくださいミラ軍曹」


肥満した身体に砂袋が詰まった背嚢はいのうは辛いようで息を切らしている。


「ミラ軍曹じゃない、バディーと呼べ」

「バディーって何ですか?」

「戦友の事だ、特殊部隊では互いにそう呼ぶんだ。いいか、バディーとして恥ずかしくないようにノウハウを叩きこんでやる、おっと」

ミラ軍曹は岩に飛び乗ると振り返り、ゼンに手を差し伸べて引っ張り上げる。


「いいか、私の尻ばかり見てないで回りにもっと目を向けろ」

「バディーの小さい尻なんか」

「あ゛?」

「いえ、なんでもありません!」

「あと、私に敬語は不要だ。バディーなのだからな」

「わかりました! いえ、わかった」

「足を止めずに見ろ、そこ、木につたが絡みついているだろう」

「あ、うん」

「葉っぱの形を覚えておけ、その根っこを掘れば芋が手に入る」

「芋!」

「次にそこ、草むらの中に花があるの分かるか?」

「うん」

「それも掘れば球根が食える」

「次、そこに密集している草は胃薬になる。寒くなると白い花が咲く」

「これ?」

「そうだ。見つけても全部は抜くな。残しておけばまた生えてくる」

「分かった」

「そしてこれ」

ミラ軍曹が一本の草を引き抜いた。

「これを覚えておけ。葉っぱが細い、どこにでもある草だが、これをすり潰して傷に塗って置けば化膿せずに済む」

「えっ、どれ?」

ゼンはミラ軍曹に駆け寄って手をがっしりと握った。

おかげで歩を止めざるを得なかったが、ミラ軍曹に不快な表情はなかった。

ゼンが息を切らしながらも真剣な目で草を見つめていたからだ。

「名前は覚えなくていい。この草の姿をしっかりと焼き付けておけ」

「うん、じゃあ、持って帰る」

「駄目だ。先程の草は乾燥させても良いが、これは生のまますり潰して使う。急ぎであれば揉んで草汁だけでもいい。だからこれは捨てる。おい、手を離せ」

「あ」

ゼンが手を離すとミラ軍曹は躊躇ちゅうちょなく草を捨てた。


「行くぞ、なんだ?」

「あ、いや…」

ゼンはミラ軍曹の顔を凝視したまま固まっている。

「なんだ?」

「…」

「なんだと聞いている」

「あ、その、女子と話したことなくて」

「ずっと話しながら歩いているだろう」

「こんな近付いたのは…」

あー、そう言えば昨夜女どもに避けられていたな、とミラ軍曹は思い出した。

「バディー、お前はクマか何かなのか?」

「いや、ただの人間だけど」

「だったら問題ない、行くぞ」

ミラ軍曹の任務はゼンを鍛えること。明快であり、そこには彼を避けるという選択はない。彼女にとって隊長から与えられた任務が全てなのである。


「雨が降る前に潜伏地点に潜り込むぞ。ほら、急げ」

潜伏地点は拠点ではないので、いかに早く到達して隠蔽いんぺいするかが鍵になる。

もともと隊長の教授計画を具体化したものなので、各地点の場所と到着予定時間を隊長は知っている。遅くなると隊長の性格的に何か仕掛けてくる可能性が高い。

「出発地点で他の奴らが罠に引っ掛かっていただろう。ああいうのを仕掛けられたくなければ急げ」




1時間ほど前、出発地点で各人に地図が配られ、次の前進目標である第1潜伏拠点が示された。

まずは現在位置を標定しなければならないが、遠くに山頂が2つ見えるので後方公会法を使えばすぐに判明する。

ゼンは真面目に授業を聞いていたのですぐにコンパスを取り出して地図を北に合わせ標定を始めたが、他の勇者候補生たちは何もせず、にやにやしながら遠巻きにうかがっていた。ゼンに寄生、もとい同行する気満々である。


彼らの仮戦友の下士官たちは助言を求められていないので放置といった態度である。潜入スキルのない給食小隊所属の下士官は適当にぶらついているが、その他の下士官は気配を消して目に付かない場所に移動している。


「食い物があるぞ」


遠くから声がした。

ゼンが標定を終え、ミラ軍曹に現在位置と前進方向を指してOKをもらった時には周囲には誰もいなくなっていた。


パーーン


破裂音と同時にゼンはミラ軍曹に手をつかまれ森の中へと引っ張り込まれた。

「あの音は催涙手榴弾。巻き添えを喰らう前に行くわよ」

ミラ軍曹の振り返った顔の口角が少しだけ上がったように見えた。





「急げ、バディー」

「はぁはぁはぁ…」

「雨が降ったら滑って登れなくなる。苦しくても登り切れ」

「お、おう」

「本当にダメだったらロープ掛けて引っ張ってやる」

ゼンは喘ぎながらも首を振った。

こいつ、見込みがあるとミラ軍曹は思った。

体育は苦手だという評価だが、今必要な能力は短距離走破能力でもなければ投擲とうてき能力でもない。持久力と精神力だ。それさえあれば行進速度など鍛えればどんどん伸びていく。


銃を持っていないので両手が自由に使えるといっても、今の段階であきらめずにミラ軍曹について来ようとする精神力は褒めてやっても良い。


「バディー、私に負けるのはいい。自分にだけは負けるな」


ミラ軍曹は自分に負けるなという言葉が持つ力を理解している。

限界に近くなるほど自分自身を鼓舞する言葉が効くのだ。

そう、一番の敵は自分の中にいる弱い心だ。それを理解できるようになれば有象無象の他人の目など気にならなくなる。

「バディー…」

ゼンが荒い呼吸のままミラ軍曹に言葉を掛けた。

ミラ軍曹は反射的に腰につけたカラビナに手をやった。

ゼンを引っ張る準備が必要かと思ったからだ。

「バディー…」

「どうした?」

「やっぱり…」

「なに?」

「尻を見てていい?」

こいつ、思ったより大物かもしれない。



「バディー、地図を見ろ」


小高い開けた場所に出た時、ミラ軍曹は足を止めた。

ゼンが地図を見ると、その場所は道路上という事もありすぐに分かった。

そこは第1目標として示された大きな円の中に入っている。


「えっと、第1目標到着」


うんうんとミラ軍曹は頷いた。

「よし、潜伏に良い場所を見つけてさっさと隠れるぞ」

「潜伏に良い場所って?」

「ここまで登っている時、どこに目を向けていた?」

「バディーの尻」

「お前なぁ、まだ余裕があるみたいだな」

「どうも」

「どうもじゃなくって! 普通警戒に意識を向けていなければ足元に目が行くんだよ」

「うん」

「だからこういう場所では道の周辺と延長線上を避ければ意外と見つかりにくい」

「なるほど」

「で、こういう高い場所は遠くまで警戒できる代わりに遠くから発見されやすい」

「うん」

「これから雨が降るって時に低い場所は論外だ」

「うん」

「だから、中途半端に高くて草木が茂った場所を選ぶ」

「とすると、あそことか?」

ゼンは右前方の森の手前にある草むらを指差した。

「いいね。行ってみよう」

候補地点はいくつもある。

ミラ軍曹としてはどこでも良かった。ゼンが自分で選んだという事が重要なのだ。



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