第14話 初出勤

「隊長おはようございます!」


マリーが伯爵邸の玄関から出ると、既に車寄せに横付けされていた隊長車の後部座席ドアを開けて押さえながらマルコ伍長が元気に挨拶してきた。


「時間に正確ね」

乗り込みながら呟くように言うと

「昨日しっかり測りましたから」

とマルコ伍長がどや顔をする。


「隊長すごいですね」

マルコ伍長が運転しながらご機嫌な調子で話し掛けてくる。

「なにが?」

「だって伯爵っすよ。それもあの伯爵は御前会議に呼ばれる雲の上の人ですよね」

「そうね」

「そんな人の愛人になっちまうなんて、運転手としても鼻が高いです」

「あ、もしかして、他の人に喋った?」

「はい。事務室のみんな目を丸くしていましたよ」

まあ、いきなり伯爵の後援が自分達についたなんてびっくりするよね。

「少なくとも納品の問題は解決したはずだけどね」


宿営地、所謂いわゆるダンジョン村に近付くと車は前照灯を点灯する。

歩哨に向けて前照灯を点灯する意味は「VIPが乗車しているので対応よろしく」だ。

別に欠礼されても気にしないのにと思いながら表門歩哨の動きを見る。


「え、ちょっと待って、止めて!」


マリーはマルコ伍長に急ブレーキを掛けさせると車外に出た。

普通に銃礼しているのなら乗車したまま通り過ぎようとしていたのだが、歩哨は明らかにマリーに向けて捧げつつの敬礼を行っている。

「おはようございます!」

マリーが歩哨に正対すると大きな声で挨拶をされた。

いくら隊長だとしても、まして一少尉に捧げ銃なんてあり得ない。

だが礼式に記された以上の敬礼を捧げられて怒る軍人もまたいない。

「おはよう」

マリーは作り笑顔で答礼すると整列している衛兵司令指揮する分隊へ歩を進めた。

「捧げ、銃」

おいおい、喇叭らっぱの吹奏はやりすぎだろ。まあ、いいけど。

「服務中異状ありません」

「ご苦労様」

答礼をして車に乗り込むと背後で銃の床尾板が地面を打つ揃った音が聞こえた。



「朝から何なのよ、あれ」

事務室に入ると気が緩み、ため息が出る。

「どうかしましたか? 隊長」

「警備小隊がね、私に過剰反応するの」

「ああ、それは隊長が本物の貴族になったんで大騒ぎなんですよ」

にやりとしたのはヴァラード先任曹長だ。

そう、貴族待遇の将校とは違い、貴族の愛人は同等の爵位を持つ貴族として遇される。愛人を囲う主な理由は子作りである。貴族の子の親が平民であってはならないのだ。子を望まない一夜限りの遊びであれば娼館に行けば良いのだから。

愛人を養う為の財源は当該貴族持ちであるし、平民がいきなり貴族の権力を持つと言っても正妻には及ばない(正規の夜会に伴う事はない)ので王宮も黙認している。

要するにマリーは付けている階級章こそ少尉だが実態は伯爵、軍の階級で言えば将官の身分を有していることになる。

「そんなことよりはですね」

「ん?」

「隊長が伯爵をたらし込んだって方がびっくりですよ。隊長、女だったんですね」

「ええ、私だって女だよ」

「分かりました。ランキングを修正しないとですね」

何のだよ…



「隊長」

隊長室で未決箱に入っていた文書にサインをしていると訓練係のウォトカ軍曹が入室した。

「勇者候補生たちに射撃理論の座学を終え姿勢練習に入りました。ご覧になりますか?」

「そうね」

マリーは立ち上がってから一回伸びをして

「案内してもらえる?」

「はっ、どうぞこちらへ」

ウォトカ軍曹は半歩先を緊張気味に歩く。

まあ、隊長の訓練初視察だから緊張もするか…

「ところで、彼らはどんな感じ?」

「熱心ではないですね。覚えようという気がないように思えます」

「使った頭も流した汗も自分の命を守るのに、愚かなこと」

「あの世へ行かなかった者だけがその真実に気付くのではないでしょうか」

「行かれると困るから訓練してるんだけど」


マリーがウォトカ軍曹の案内で訓練場に着くと、ミハイル候補生が立ち上がって敬礼をした。

「続けて」

ミハイル候補生は引き続き勇者候補生たちの射撃姿勢の矯正を始めた。

彼は先月下士官候補生試験に合格し、再来月には近衛師団の下士官教育隊に教育入隊する。原隊復帰まで半年穴が開くことになるが、部隊で人材を育てるメリットの方が大きい。彼にとってもここでの勤務経験は教育隊で役に立つだろう。


「左手に力を入れない」

勇者候補生たちは草地に敷かれた毛布の上で伏撃ちの姿勢で小銃を構えている。

50m先には縮小的が地面に刺さっている。


「ウォトカ軍曹」

「はっ」

「今ミハイル候補生が左手に力を入れないって言ってたけどなぜ?」

「はい、左手の指に力がかかると銃が傾きます。銃が傾くと弾がその方向に逸れます。だから左手は銃を支えるだけ、指は添えるだけにするのです」

「さすが私の訓練係ね」

「ありがとうございます。あと、ご覧の通り助手を2名、うち1人は女性を配しています。まあ、階級的にはひっくり返りますが」

候補生兵長に軍曹が助手でつくのは確かに階級的にひっくり返っているが、これも指導法という下士官になる為の勉強の一環である事は皆通って来た道なので理解している。

「構わないわ。皆で育てましょう。勇者候補生も下士官候補生も」

「はい」


「マリー少尉」

「ん?」

珍しくマリー少尉と呼ばれたので視線を移すとチヒロが小銃を置いて立ち上がった。

「なんで女子がこんな事しなきゃならないんですか」

「女子が、ではなくてあなた方全員が生き残るために身体に覚え込ませなきゃならないの。敵を目の前にしてあれこれ考えていたら、死ぬわよ」

「隊長、申し訳ありません。訓練の意義は教えているのですが」

「ああ、気にしないで、大丈夫。私も一度や二度聞いて身につくとは思っていないから。それより、チヒロ」

「何?」

「この場ではあなたの上官はミハイル候補生よ。彼の許可なく勝手な行動はとらない事」

「マリー少尉はその上官じゃない」

「そうよ。でもね、意見の具申や苦情はまず直近の上官に上げなさい。上げたけれど無視されたとか直近の上官が苦情の原因とかなら私に言って来ても構わないわ」

マリーは手をひらひらとさせた。

これ以上話を聞くつもりはないというゼスチャーだ。

「さて、残務を片付けなきゃ。そう言えば、弾薬申請について指導をって付箋貼っていたでしょ」

「あ、はい。昨日弾薬の差引簿を作っていて、どうも腑に落ちない点があったので」

「事務室に行った方が良い?」

「いえ、隊長室に参ります」

「じゃあ、隊長室まで一緒に行こっ」

「はい、喜んで」

ウォトカ軍曹と並んで歩きながら後方に視線を向けると、チヒロがまだ悔しそうな顔をしてその場に立っていた。





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