お前が死ね


「お前が死ね!」


 叫ぶと同時に走りだした獲物を、獣は嘲笑うかのように見下していた



 速い。

 先程捕食者から逃げていた時よりも断然に。

 そのスピードにブラックティーガーは驚きながらも爪を振りかざした。


 少し早くなったところで、所詮猿は猿。

 無力な禿猿風情に、豹に勝る道理などない。

 さっさと死ね! ―――そんな風に考えるからダメなんだとは気づかずに。


 中途半端に知恵があるからダメなのだ。

 余計なことを考えるから、無駄な自尊心と嗜虐心が生まれる。

 結果、しなくてもいい怪我を負ってしまうのだ。


 普通なら、肉食獣は弱者を狩る時に欠片の油断も持たないというのに。

 追い詰められた弱者というものを理解していないこの畜生は、今日ここでその報いを受ける。




「正しき雷よ 我が元を照らせ ライトサンダー」



「―――!!?」


 黒豹の眼前に強烈な閃光が走った。

 バチバチバチィと、雷閃が空気を豪快に切り裂く音が響く。

 この二つによって黒豹は聴覚と視覚を一時的に奪われた。

 その一瞬をアルコは突いた。



 獣心流―――砕犀突。



 掻い潜った勢いを乗せての刺突。

 先程の同じ技とは思えない程の切れと威力。

 犀を幻視させるその一撃はブラックティーガーの首と肩の間に深々と刺さった。


 体重をかけ、力いっぱいに短剣でひっ裂いて傷口を広げる。

 ブチブチブチと、筋繊維を引き裂く感触が、短剣越しにアルコの手へ伝わる。

 しかし、彼には肉を切ったという自覚はない。

 それどころか現在伝わっている感触すら感じていないだろう。

 それほどまでに彼は必死だった。


 必死。

 世の中でよく使われる言葉だが、その真の意味を知る機会はまずない。少なくとも、前世の彼が知る機会は皆無であった。。

 だが今日ここで、異世界という『非現実』で。やっとその意味を体感することになる

 結果、彼は『眠っていた力』を引き出すことになった!


「がァァァ!!」

「……ッグ!」


 首の筋肉で無理矢理短剣を止め、アルコを振り払うブラックティーガー。

 しかし少し遅かった。

 既に短剣は鎖骨まで到達し、骨に減り込んでいた。

 黒い魔獣の右腕は、もう使い物にならなくなってしまった。


「◆◆◆◆◆◆◆◆◆!!!」


 黒い魔獣は、ぴくりとも動かぬ右腕を庇いながら、強引にアルコへと飛び掛かった。

 黄色い瞳にこれでもかと怨念を込めながら。

 もう、貴様の血肉など要らん! この傷の罰を今ここで下す!

 そして、そんな傲慢な思いが、彼に牙を剥く!!



「サンダー!」


 もう片方の手に持つ杖から、強烈な閃光が走った。

 青白と紫が混じった雷光。

 雷のように轟きながら、ブラックティーガーの全身を駆け巡る。


「~~~~~~~~!!?」


 今まで体感したことが内容な激痛が黒豹の肉体を走る。

 痛覚に直接電流を流されたかのような痛み。

 そのせいで筋肉が誤作動を起こし、繰り出した爪撃の威力が落ちてしまった。


「カハッ……!」


 オルカの肉体が枯葉のように吹き飛ばされた。

 身体を粉砕するような、強烈な衝撃。

 いくら衝撃の9割が消えたとしても、その一割が1tも10tもあれば、その一割の力で潰れてしまう。

 巨大な魔獣の一撃は、一割でも幼子一人殺すにはオーバーキルであった。


 殴り飛ばされたアルコは木にリバウンド……ではなく木をへし折りながら、地面に衝突した。

 反射的に受け身は取ったものの、ダメージは大きい。

 すぐさま立ち上がろうとするが魔獣は許さなかった。


「ガアアああああああああああ!!!」


 獣が一跳びでズウマに追いつき、アルコの腕に噛みついた。

 現実世界のライオンや虎の噛みつく力は、人間の約十倍あるという。

 その威力は、牛や馬の太い脚の骨をへし折る程。

 たかが子供の腕一本、軽く折ってみせる……。


「ぐ、うぅ……!!」


 アルコの腕はブラックティーガーの牙を受け止めて見せた。

 魔力と“力”を右腕に集中させ、鉄のように硬化。

 こうして獣の牙を辛うじて防いだ。


「ぐ……ああ!!」


 皮膚が破け、肉に食い込み、骨が軋む。

 その痛みを堪えながら―――脳は無視して次の手に出る。



 ブチュリ。


 アルコの指が、獣の目を潰した。


 決して意識的にやったものではない。

 死の間際だからこそ生まれる爆発的な集中力と、瞬間的な直観力。

 命懸けの戦闘によって、アルコの生存本能が取った選択だった。


「グ……ガァ……!?」


 突っ込んだ指をグチャグチャと搔き混ぜ、内部を乱す。

 網膜を破られ、視神経を破壊され、肉を掻き切られ。

 獣は痛みのあまり吠えるどころか動くことすら出来なかった。

 無論、今のアルコはその感覚に気づかない。

 殺すためには、そんなものなど必要ないから。


 死への恐怖は殺意へと変じている。

 理性は恐怖に支配され、恐怖は殺意へ化している。

 こうなってしまえば、普通の状態ならば躊躇うであろう行動に、一欠片の躊躇も失う。


 殺意に飲まれ、殺意の隷奴へと下った彼の行動は、一つの行動に集約される。

 如何にして眼前の敵を排除するか。

 ただそれだけのために動く。

 

 ブラックティーガーが、抵抗しようとしない。

 身体が痙攣している。

 口から僅かではあるが泡を吹き、今にも倒れそうな程にガクガクと震えている。


 急に現れたブラックティーガーの変化。

 アルコのとは違い、明らかに不都合なソレ。

 何故、いきなりこんなことになってしまったのか。

 その答えを知る者は、ここにはいない。

 なにせ、その変化を引き起こした本人すら、その自覚がないのだから。


「正しき雷よ! 我が敵に裁きを! サンダー!」


 トドメの一撃。

 魔力を全て指に込めて、アルコは雷の攻撃魔法を発動させた。

 コレで終われ。この一撃で死ね。

 主の殺意に応えてか、発動させれた魔法はアルコ史上最大級の威力を発揮した。


 ビリビリビリビリィ!!

 その日、強烈な光が森を照らした。

 ブラックティーガーの全身を駆け巡りながら閃光を発し、筋肉組織を焼き、神経組織をショートさせ、脳をグジュグジュに溶かす。


「……!……!!」


 轟音が鳴り止む。

 そのころには、アルコの眼前に敵などいなくなった。









「ぐ…グルルぅ………」


 倒れた。

 やっとブラックティーガーは倒れた。

 ゆっくりと、魂が抜かれたかのように。

 ドスンと大きな音を立てながら、巨体を伏した。


「はぁ…はぁ…はぁ……」


 獣が倒れ伏した瞬間を見届けたアルコは、その場を座った。


 もう彼の命を脅かす敵は存在しない。

 命の危機を乗り越え、襲いかかった敵を排除した。

 彼は絶望的な状況から、生きる資格を勝ち取ったのだ。


 勝った。

 アルコは勝利したのだ。

 しかし何故だろうか……。




「あ、あぁぁ……」


 何故、アルコはこんなに震えているのか。


 彼は勝者である。

 喰い合いという原始的な決闘の末、自身の力を示した。

 敵より強いと、強い己こそ生きるに相応しいと証明した筈である。

 なのになんだこの有様は。


 もう一度言う、勝者は彼である。

 生物が他の生物を殺すのは自然なこと。

 食う以外でも日常的にしており、人間でも例外ではない。


 彼は正しいことをしたのだ。

 生物として戦い、そして勝った。

 何も恥じることはなく、むしろ喜ぶべきなのである。



「あ…あぁぁ……!」


 上を見上げる。

 綺麗な星空。

 前世ではなかなか見れなかった光景。

 勝利したアルコを祝福するかのように輝いている。

 生きて見ることが出来た。これはその褒美なのだ。



「あ…あああああああああああああああああああああああああ!!!?」


 なのに何故、彼は喜ばないのか……。

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