毒龍の爪先


『なっさけな』


 湿っぽい洞窟の湖の中、一匹の蛇が落胆してため息を付いた。

 天井に映るのは腰を抜かすアルコ。

 まるでTVのように映し出されるソレに苛ついた視線を向けた。


『才能はあるんだけどな~。なんていうか……平和病って奴か』


 再度ため息を付きながら愚痴る蛇。


 蛇にとってアルコは年齢にしてはそこそこ強い方であった。

 魔力は申し分なく、剣術の腕もあり、強くなるための向上心もある。

 ただ、実戦経験がない。これが少し痛手だった。


『戦わない剣に……血の味を知らない武器に意味はねえ。ソレは単なる飾りだ』


 訓練が実戦を超えることはない。

 殴る殴られるの経験が無いものどんなにシャドーをやっていても、ソレは単なる踊りに過ぎない。実際の経験があってこそその訓練は活きるのだ。

 


『どれ、ちょいと背中押してやるか』


 彼の中で嗤う龍は、脆弱な小虎に牙を貸した。










「…がッ!」


 突如、アルコの体に痛みが走った。


 

 これは合図。

 アルコに眠る『何か』が、やっと力を示す瞬間である。


 左胸あたりから走るビリっとした感触。

 心臓部から血管を伝って、エネルギーが全身に行き渡る。

 筋肉や骨や神経や皮膚。肉体のあらゆる部位を強化していく。


 しかしソレは、断じてアルコの魔力ではない。


 魔力とはまた別の、異質なエネルギー。

 本来ならば、人間にはないはずの力。

 心臓部から流されたソレは、やがて体外に溢れ、オーラのようにアルコを包み込んだ。

 毒々しい紫色のオーラを発しながら、アルコはゆらりと立ち上がる。


「……キヒッ」


 アルコの青い目が、紫色に変わった。




 ゆらりと、アルコは立ち上がった。


 懐から予備の短剣を引き抜き、身体に浸み込んだ構えを取る。

 


 眼前の理不尽からは逃げられない。


 死が迫る現実からは、目を逸らすことができない。


 今まで『彼』がしてきたように、逃避することは死を意味しているのだから。




 だからこそ、剣を振るうのは彼ではない。彼ではない『何か』が彼の身体を乗っ取り、その剣に手を伸ばす。


 剣を振るうのは覚悟なんてカッコいいものではない。精神や意思ではなく、今の彼の心中を支配する、冷たい衝動。


 すなわち、『恐怖という化け物』である。


 


「死にたく、ない」


 

 生きとし生けるもの全てが等しく保有する、原初の感情。


 絶対かつシンプルな支配者。本能が脆弱な精神に代わり、敵を排除しようと動く。


 


「死にたくねえ!!!」




 純然たる生命の咆哮。その声に応えるかのように、彼を包み込む毒々しいオーラが強まる。



「だから……お前が死ね!!」


 紫色に目を輝かせながら、彼は走り出した。

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