第45話 リフレクション

 昇竜会の事務所は、麻雀クラブに偽装したビルの最上階にあった。


 煙草の匂いをかきわけ案内された先の部屋に通されると、明日香の流麗な眉が途端に引き締められた。


「……よう、水無月の。よく来てくれた」


 くぐもった壮年の男の声が、医療用ビニールカーテン越しに聞こえる。

 無理もない。男はベッドに横たわり、酸素吸入器を装着していたのだから。


 薄暗い部屋全体に護符が敷き詰められ、カーテンにも隙間なく貼られている様を見るだけで、どれだけ相手の呪詛を恐れているかがよくわかる。


 そして、そこまで防護策を取っていながら、寝込んで点滴が必要な程の呪を受けている。相手は相当な使い手であると改めて知れた。


「売り子を確保しただけで、ずいぶん恨まれたじゃねえか。そこまでひどい拷問しやがったのか? 大門よお」

「下のもんに任せてたからな……最近の奴は加減を知らんらしい」


 大門だいもん景義かげよし。それが男の名だった。

 新宿でも老舗に入る極道一家の頭を務める大物である。


 大門が言うには、ようやく見つけた売人の連絡先に、囮役で偽の取引を持ち掛けて、まんまとひっかかった売り子を拉致したまでは良かった。

 しかし部下が独断専行して口を割らせたところ、運悪く売り子にかかっていたが発動し、口を割らせた本人と、責任者である大門に呪いが降りかかったのだ。


 かくして本人は即死、大門はご覧の有様という訳であった。


「ふうん。まあ、応急処置にしては上出来だよ。さすが昇竜会付きの結界師だ」


 看護師姿の女から子細を聞いていた誠吾は、一瞬で呪いの種別と、対抗に用いた結界を看破した。


「俺を呼んだのも正しい。このままじゃ、あと二日も持たなかったろうぜ」


 言いながら、北東──つまり鬼門の方角に貼られていた護符を見やると、すでに半分ほどが火であぶったように黒ずんでいた。


「そんな、朝新しい護符と変えたばかりですのに……」

「姐さん、こりゃ日本式で防げる代物じゃない。なあ、大門の旦那。相手……中華系チャイニーズだろう?」

「ごふっごふっ! はあはあ……ああ、そうだ」


 激しく咳き込みながらも、大門ははっきりと答えた。

 相手の情報を漏らすだけでも呪詛が身体を締め付けるだろうに、さすがは組を背負って立つ人物だと言えた。


「とりあえず毘沙門符びしゃもんふじゃこれ以上持たん。全部泰山夫君たいざんふくん夜摩やまの符に貼り替えて、中華あちら式の結界を張り直すぞ」

「はい!」


 誠吾と看護師が作業を開始すると、明日香はビニールカーテンを無造作にくぐって大門へ近寄った。


「今更禁煙だとか抜かすなよ」


 明日香は煙草に火を付けると、大きく息を吸い込み、カーテン内に煙を充満させてゆく。


 するとどうか。


 あれだけ死相が浮かんでいた大門の顔色が、多少ではあるが良い方向へ回復していた。


 煙を介して明日香の気で満たし、相手の術師の呪詛の影響を弱めたのだ。


「世話んなるな……多少楽になった」


 大門は極度の緊張状態から脱し、明日香に一枚のメモを渡した。


「売り子から引き出したアジトだ……後は頼む……」

「おう。先に逝くんじゃねえぞ」


 明日香はメモを受け取りちらりと目をやると、ズボンのポケットに突っ込み、誠吾に声をかける。


「ここは任せて平気だな?」

「ああ。お前が戻るまではもたせるさ」


 誠吾が差し出した手をぱんと叩くと、明日香は咥え煙草のままに部屋を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る