バッド アップル

第43話 タイムロス

「ったく、佐川のおっさんが来るなら、最初から任せとけばよかったぜ」


 シャワーを浴びたてのシャンプーの香りを振り撒きながら、明日香は缶ビールをぷしゅりと開けた。


「しかし水無月がいなきゃ、被害が出てたかも知れないんだろう? 的確な判断だったと思うぞ」


 正論で返すのは、結局現場に間に合わなかった佐川誠吾。

 しかし明日香に正論で対抗するのは無駄であった。


「うるせえ遅刻野郎。カートン五つ貸しな」

「……うぐ、足元見やがって……」

「いやあ、頼みの始末屋がワンパンだったからさあ。明日香ちゃんに足止めして貰えて助かったよ~マジで」


 明らかに気落ちして日本酒をちびりとやる誠吾に代わって、揉み手をせんばかりに持ち上げるのは、公安特務課の本田時康だ。


「あとで時間外手当を請求しますから、楽しみに待ってて下さいね~」


 その横では、七瀬が眩い笑顔でえぐい要求をさらりと言ってのける。


「オーウ……お手柔らかに頼むね。また予算削られそうな瀬戸際なのよ」

「またですか?」

「少し前に、内閣の人事ががらっと変わったじゃない? その中に悪霊なんかなんぼのもんじゃって旧い考えのお爺ちゃんが混ざっちゃってねえ。国民の血税をオカルトなんぞにつぎ込むとは何事か! 自衛隊で十分だろう! てな具合で、上と派手に揉めてる訳よ」

「頭の固い人はどこにでもいるものですねー」

「それで振り回される現場はたまらんけどね。ま、自衛隊で片付けてくれるんなら、それはそれでかまわんのよ。おじさんは晴れて平の公務員になれて、肩の荷が下りる、と。願ったり叶ったりよ」


 そこまで言うと、チューハイを一気にあおって派手にゲップをしてみせる時康。その背中には疲労と哀愁が漂っていた。



 入浴中に用意したジャージに明日香が着替えると、今回の仕事に関わった面子がジェミニへ集結し、反省会にかこつけた飲み会が始まったのだ。


 しかし仕事の内容が悪すぎたため、出る出るわ愚痴の嵐。

 手配に手間取った本人である時康などは、小さくなるどころかすでに開き直っていた。


「にしても最近新宿にいる始末屋の面子、明らかに質が下がってないかい? 今日の彼も、触れ込みだけは立派なもんだったけど、あの体たらくだし」

「有能な奴は色んなところからお呼びがかかるからな。水無月みたいに一つ所に留まる凄腕の方が珍しいんだ」

「あー、だから不作の時にはしわ寄せが全部そっちに行くのね。ご愁傷様です」


 誠吾の説明で納得いったとばかり、両手を合わせて拝む時康に、握り潰した空き缶をクリーンヒットさせると、明日香は新たな缶に手を伸ばした。


「大体てめえら特務課がなってねえんだろうが。始末屋と結界師を同時に呼ぶなんざ基本中の基本だろ。「ほうれんそう」もできてねえのか」

「いや、そうは言っても人身事故だぞ? 俺がどうにかできる話じゃない」

「つーか機関に話通してヘリでも出せよな。こんなんでもいなきゃ始まらねえんだし」

「できるか! 仮に呼べても繁華街のど真ん中にヘリを降ろせる訳ないだろ!」

「電線に引っかかって堕ちる未来しか見えない」

「だよなあ」


 時康の同意に相槌を打つ誠吾だが、明日香は不思議そうな顔をしている。


「何言ってんだ? そこまで降りなくても、上空から飛び降りりゃいいだろうが」

「お前と一緒にするな! こちとら運動神経は並なんだよ!」

「ちっ。質が落ちたと言われる訳だぜ。へたれオヤジどもが」

「悪かったな!」

「で? 鑑識くらいはちゃんと税金分の仕事したんだろうな」


 すでに誠吾は無視し、ビール缶越しに時康を睨み付ける明日香の視線に若干怯えを見せ、


「も、もちろんさあ! そればっかりは失敗ポカできないからねえ。うちの選りすぐりの鑑識官達ががんばってくれましたよ、そりゃもう」

「時康さん、能書は苛立たせるだけだぞ。さっさと結果だけ簡潔に」


 佐川が耳打ちすると、ごくりと唾を飲み込んで、覚悟の表情を作る時康。


「結果から言うと……シロだった」

「はあ? んなわけねえだろ。どこからどうみても真っ黒なジャンキーボブだっただろうが」

「うん、狂暴性と身体強化……っつーか変化。どちらも既知の症状が出ていたのは間違いない。それでも、例の新薬の成分は検出できなかったんだと」

「ヤクの反応が消えるだと……? 七瀬、あり得ると思うか?」

「……方法は、なくもないかな。ちょっと難しいけど」


 テーブルに片肘を付き、少々考えるそぶりを見せる七瀬。


「さっすが七瀬! そこのボンクラどもとは違うぜ。で?」


 七瀬は少し歯切れ悪く続けた。


「噂の薬……もしかして、霊薬なんじゃないかな」



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