第39話 オン ザ ストリート
明日香の俊足もあり、現場へはすぐに到着した。
多数の観衆が足を止め、広場の一角を囲んでいるのだ。間違えようもない。
「おい。何の騒ぎだ」
輪の外側にいた顔見知りのホストを捕まえると、明日香は尋ねた。
160cmに満たない明日香の身長では、人垣の中心まで見通せなかったのだ。
向こう側からは鈍い打撃音と、怒声だけが響いている。
「あ、明日香さんチッス! ちょうど盛り上がってるとこっすよ」
長身で白スーツを着たホストは、明日香を認めるなり楽し気に笑いかけると、ボクシングで言うシャドーらしき動きをして見せた。
つまりは絶賛喧嘩中だと言いたいのだろう。
「どこのどいつがやりあってる? 原因は?」
その
「さーせん、オレも来たばっかなんで、原因までは。今はガタイのいい黒人一人と、チーマーの連中がやりあってますね」
瞼の上に手の平を置いて人垣の向こうを眺めるホストが、のんびりとそう答える。
わざわざ人込みを割って入るのも面倒に思い、明日香はそのままホストに実況をさせることにした。
「多対一かよ。情けねえ。新宿の喧嘩屋も質が落ちたもんだな」
「いやー、そうも言えないっすよ。あの黒人、マジパネェっすから」
「具体的に説明しろ」
「見た方が早いんじゃないすか? オレ、肩車しますよ」
軽い調子で手を差し出すホストを、ぎろりと明日香が睨む。
「ぶっ飛ばされてえか?」
「さ、さーせん!!」
現場を見られない苛立ちを込め、殺意さえ感じる視線に、慌てて謝罪し、実況を再開するホスト。
「えーと、アロハにジーパンっつー格好の黒人なんすけど、これがまたムキムキマッチョで。チーマーの奴ら、突っ込んではワンパンでぶっ飛ばされての繰り返しっす」
「複数でかかってそれかよ」
「ね? マジヤバっしょ?」
「サツは来てんのか?」
「いますよー。捕縛は速攻諦めて、野次馬の整理に必死っすね」
「ふん。だろうな」
「全く、普段えらそーなんだから、こういう時くらいびしっとお仕事して欲しいっすよねえ」
ホストが苦々しく溜め息をつくが、明日香は賛同しなかった。
それはそれで、警察の役回りだからだ。
もちろん通常の酔客同士の喧嘩や、未成年による悪ふざけ程度であれば彼らで事足りる。
警察にも格闘技有段者はいるのだから。
しかし、喧嘩にも質の違いというものがある。
あくまで例えだが、喧嘩を起こしたのが、明日香のような異能者だとしたら。
警察が全く役に立たないだろう事は、火を見るより明らかだろう。
そういった場合、警察は速やかに公安特務課を出動させ、始末屋への援護要請、及びひたすら現場保全に努める事になっている。
後は、始末屋の到着まで時間を稼げばよい。
突発的に騒ぎを起こすような異常者は、冷徹な戦闘のプロである始末屋にそうそう敵うものではない。
あっさりと意識を刈り取られ、そのまま捕縛という流れが常だった。
こうして互いに役割分担する事で、一般人への被害を最小限に食い止めているのだ。
どれだけ弱くとも、できる範囲の仕事をこなしている者を、明日香は決して笑わない。適材適所という言葉がある故に。
そして、現状その措置が取られているということは、警察はアロハの黒人を特殊災害と認定したことになる。鎮圧されるのも時間の問題だろう。
それから数分、ホストの実況を交えて立ち話に興じた明日香だが、事態は一向に動こうとしなかった。
「……なかなか埒があかねえな。俺様に連絡がねえってことは、他の始末屋が来るはずだが」
「あ。あー、それっぽいのが今来て……お、おお? あ、やべえ」
「てめえ日本語喋れ。何が起きた?」
「始末屋さんが! タックル食らってこっちにぶっ飛んで来てるっす!!」
ホストの言葉の通り、あれだけ分厚かった人垣が綺麗に割れて行き、大柄な男が明日香達の方へと勢いよく飛来するのが見えた。
ホストはさっさと逃げ出したが、明日香は冷静なまま、まるでサッカーボールのパスであるかのように、男の頭を足でふわりと受け止め、路上に横たえた。
「よし。生きてるな。あの獲物は俺様がもらう」
明日香は生死のみを確認すると、返事も聞かずに割れた人込みを進み始める。
取り残された、顔見知りだが名も知らぬ始末屋は、重傷を抱え口をぱくぱくさせるのみであった。
しかし命があるだけましだというものだろう。
もしあの場に明日香が立っていなければ、勢いを考えるに、ビルの壁に激突していたはずである。そう思わせるだけの速度が出ていたのだ。
「──お~! 明日香ちゃん、グ~ッドタイミ~ング!!」
人込みをかき分けて内側へ達した頃、公安特務課課長、本田時康が目聡く明日香を見付けて歓声を上げた。
「ちょうど応援の始末屋がやられちゃってさぁ。ちょいと代役頼めない?」
「そのつもりだが酒くせえ近寄るなクソオヤジ」
いつも通り缶チューハイ片手に現場に立つ時康へ、
「ヘイ、ボブ。ちょっとばかりおいたが過ぎるぜ。何か嫌な事でもあったのか」
「what? おいおい、次の相手はこのプリティーガールだって? 冗談にも程があるぜ。それとなお嬢ちゃん。オレはママに貰ったマイクって立派な名前があるんだ。黒人全員ボブだと思うなよ?」
応援の巨漢があっさり倒されたにも関わらず、動揺も見せずに立つ明日香の言葉に、自称マイクは言い返した。先刻のバーテンボブよりは流暢な日本語である。
お嬢ちゃん、という単語に明日香のこめかみがぴくりと反応するが、一瞬の事だった。
「いいから聞けよボブ。もう夜も遅いだろ。とっととそのママのところに帰りな。今なら見逃してやるからよ」
ジャージのズボンのポケットに両手を突っ込み、こきりこきりと首を回す気怠げで小柄な女性から、そんな言葉が飛び出したのだ。
喧嘩で沸騰しているだろう脳筋男が、忠告を受け入れようはずもない。
「ハァ? お前誰に向かって言ってんだ? お仲間は全滅してんだぞ! 見逃してく・だ・さ・い、の間違いだろうが!」
マイクの言う通り、広場にはチーマー達が倒れ伏し、順番に救急車に担ぎ込まれているところだった。
つまり一人で新宿の喧嘩チーム一つを潰してしまった事になる。
戦闘特化の始末屋でもなければ、なかなか出来る所業ではない。
「Bad Boooooo!!
マイクは突如奇声を上げたかと思うと、ドレッドヘアーをなびかせながら路面を蹴り、明日香へ向けて大きく右腕を振りかぶった。
「残念だったな、ボブ。もうママのところには帰れねえぞ」
迫り来る拳に向け、ぽつりと呟く明日香。
次の瞬間、鋭く振り下ろされた拳が、天へ向かって跳ね上がった。
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