第34話 スラッシュ&クラッシュ

 水柱と明日香の間に、ぴりりと張り詰めた緊張が走る。


 これまで無節操に連射されていた水弾は不意に途切れ、明日香の隙をじっくりと伺うよう鳴りを潜めた。


 対する明日香は肩を回しながら、バッターボックスへ立つように悠然と構え、鋭く正面を見据える。


 逃げ回る事をやめ、攻めに切り替えた明日香の思考はすぐさま冴え渡り、研ぎ澄ました感覚は限界を超え、視野が一気に拓けてゆく。


 直後、目に映るもの全てが、静止画のように止まって見える程の緩やかな時間軸に入り込んだ。


 己の一呼吸は無限に続くかのように感じられ、流れ落ちる無数の雫の一滴ずつまでもが鮮明に捉えられる。

 それ程の領域まで、明日香の集中は昇り詰めた。


 動きを止めた視界にて、自分に向けられた確たる殺意を感じ取る。


 水柱の表面を突き破り、今にも撃ち出されんとする弾頭。


 その数はこれまでの比ではなく、ショットガンのように広範囲にばら撒かれ、全身の急所を目掛けて襲い来るイメージが、明日香の引き延ばされた意識の中を横切った。


 しかし明日香は怯むどころか、それらの軌跡を見切るや否や。


「──まとめて吹っ飛びな!」


 霊気を込めた誘導灯を両手で握り締め、横一文字に振り抜いていた。



 ──ヒュ──



 音を置き去りにした明日香のフルスイングが、止まった時間ごと空間を切り裂いた。


 動き出した時間は後れを取り戻そうと、全ての事象を一辺に吐き出してゆく。


 発射された無数の弾丸は、狙撃手の潜む水流ごと派手に弾け飛び、激突した壁に深い亀裂を生んで水煙と消えた。


 それまで途切れる事のなかった瀑布は引き裂かれ、わずかに遅れて、巻き上げられた大量の水が雨の如くに降り注ぎ始める。


 明日香はその一瞬の内にアタッシュケースを拾い上げると、降雨に乗じて一気に階段の底まで飛び降りていた。


 思った通り最下層まではさほどの時間もかからず、強化された明日香の身体能力にしてみれば、あっさりと着地が叶う程度の距離だった。


 ただし、と言うには少々語弊がある。


 何しろ1フロア分はすでに水没し、明日香が降り立った場所も水面だったのだから。


 落下中に着地点の水かさを見て取った明日香は、とっさに誘導灯を投げ、その上につま先立ちとなって入水を避けていた。


 もちろん最新鋭の誘導灯であっても、人一人が立ち乗りできる程の浮力がある訳ではない。


 明日香の操る気功の内、軽身功けいしんこうと呼ばれる、読んで字の如く身を軽くする秘技の成せる業であった。

 今の向上した明日香の気をもってすれば、水上を駆ける事も容易いだろう。


 しかし明日香はそのまま闇雲に走り始める愚は犯さず、アタッシュケースからありったけの誘導灯を取り出すと、辺り一帯へばら撒き足場と光源を確保した。


 その際に管狐も飛び出して、再び明日香の肩にするするとよじ登る。


「あー、よかった! 無事で何よりですわ、姐さん。クダがなんやえらい信号出しよったんで意識を繋いだら、真っ暗やし身動き取れんしで、えろう焦りましたわぁ」

「問題ねえ。お前よりこいつの方が頼りになった」


 心底ほっとしたような甲がまくしたてるが、明日香は冷たく言い放った。


「は、はは。そら冗談にしちゃきっついわぁ」

「マジだ」


 短く返しながら、明日香は管狐の首根っこを掴むと、貯水槽の天井目がけて放り投げた。


「んなああああ!? 何しはりますのん!?」


 管狐はびたんと壁にぶつかるが、なんとか爪を引っかけて身を固定した。そして恨みがましく明日香を見下ろす。


「敵に気付かれた。くっついてると安全は保障できねえ。その辺で適当に監視カメラにでもなってろ」


 その時すでに、明日香の視線は管狐を捉えていなかった。


 奥に立ち並ぶ柱の周囲から、ごぼごぼと大きな気泡が浮かんで来るのが見える。


「あ、ああ……こらえらいこっちゃ」


 頭上から震える声が聞こえるが、明日香の意識にはもはや届かなかった。


 水中に潜む者から気を逸らしてはいけないと、直感で悟ったのだ。



 明日香が見据える先、誘導灯のまだらな光が乱射する水面から。


 一つ。また一つと、半透明の鎌首が次々と持ち上がる。



 水がそのまま蛇の形を模したもの。

 半ば精霊とも呼べる、あり得ざる幻想種。



「ふん。八岐大蛇やまたのおろちどころじゃねえな、こりゃ」


 大小入り混じる蛟の大軍が、明日香の目前へ全貌を露わにし始めた。

 現時点で見える範囲で100は下るまい。


「フロアの水全部が蛟と考えた方がよさそうだ」


 空になり、用済みとなったアタッシュケースを、手近に寄ってきた首の一本に投げ付け、ばしゃんと破裂させる。


 すると一斉に無数の首がふしゃあ、と威嚇音を発し、水面が激しく波立った。


「リハビリには丁度良いか。ほら来いよ。楽しく暴れようぜ」


 何万tにも及ぶ容量の蛟の群れに対し、明日香は不敵に中指を突き立てた。

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