第33話 ダイバーズハイ

「はっ! やってみりゃ、案外気分がいいもんだな!」


 先の見えない空中遊泳を試みた明日香は、作戦本部の混乱もよそに、全身で風を切る感触を愉しんでいた。


 片手間に一定の間隔をおいて、アタッシュケースから取り出した使い捨ての誘導灯を階段へと投げ込み、なけなしの光源を作っておく事も忘れない。


 機関が自衛隊の災害時救助用品として試供した特別性の代物で、多少の衝撃などものともしない強化プラスチック外殻と、48時間の連続稼働テストに合格したLEDを搭載した逸品である。


 水没した地下での光源用にと、田中が用意した装備の一つだった。 


「──ひぃいいい! あかん、あかんて! 堪忍やこれは! 僕はジェットコースターやらバンジーやら、落ちもの系苦手なんですわあああ~!!」

「大の男が女々しく騒ぐな! 耳元でぴいぴいうるせえんだよ!」


 肩に必死にしがみつく管狐越しに、情けなく喚く甲を明日香は一喝する。


「うう、ほな、着地するまで感覚切らせてもらいますわ……姐さん、どうかお達者で……」


 音を上げた甲が使い魔との同調を解くと、今度は本来の管狐の鳴き声であろう、きゅううと、ガラスを引っかいたような高音が発された。


「だからうるせえってんだよ! へたれなとこまで飼い主に似てんのか!」


 苛ついた明日香が怒鳴りつけるが、管狐の鳴き声は止まず。


 それどころか、さらに激しさを増した。


「きゅ! きゅ! きゅうおおう!!」


 鳴きながら長い尻尾を振り乱し、前足で明日香の肩をぺしぺしと叩く様には尋常ならざる必死さが見て取れる。


 ……落下に対する恐怖からの行動ではない。


 明日香は異変を感じ取り、首をねじって管狐の尻尾が指し示す先を確認した。


 そこには依然、自身と並行して落下している巨大な水柱がある。


 警戒度を上げた明日香が、そちらへ意識を向けた瞬間。



 ぴしゅん──



 としか形容のできない異音が、耳元を高速で通り過ぎて行った。


(……撃たれた……?)


 銃弾ほどではないにしろ、聞き留めた風切り音はそれに近い速度と形状を持つように思えた。


 明日香が現状把握を進める間にも、同様の飛来物が次々と放たれ来るのを感じ、明日香は空中で姿勢をひねって方向転換し、階段の手摺りを飛び移りながら不可視の弾丸を避けてゆく。


 暗中では確認しようもないが、着弾地点からはコンクリートを派手に穿つ打撃音が轟いている。威力に関しても申し分ないようだ。


 にわかに信じがたいが、轟々と流れ落ちる目前の大瀑布の中にて、それをやってのける何者かがいるのは明白だった。


「ふん。さっきのは訂正するぜ、犬ころ。俺様より鼻が利くとはな。飼い主よりよっぽど肝が据わってるじゃねえか」


 明日香にしては誠意を込めた賛辞を贈ると、壁を走りながら相手の位置を掴もうと知覚の触手を伸ばす。


 しかし少しでも思考に意識を向け過ぎると、隙を狙ったように弾丸が飛んで来る。

 その照準は徐々に精確になりつつあり、ついには体捌きだけでは避けられない致命的な一発が、明日香の眉間を捉えた。



 ──がごぉん!



 響いたのは、頭蓋を貫く音ではなく、金属がへこむ音だった。


 明日香が手にしていたアタッシュケースをとっさに盾にしたのだ。


「ふっ。田中の野郎、今回は気が利いてやがる」


 今回の支給品を詰め込んだケースは、およそ常人が使うには向かない重量を誇る、超硬度合金で作られたものだった。


 さすがにそれを貫通する程の威力は無かったが、仮にも金属を容易に歪ませる技を連射する相手に、明日香の闘志が燃え上がる。


 そして幸運にも、ケースで受け止めた事で弾丸の正体が掴めた。


 弾痕の手触りからして実弾などの欠片が残っておらず、表面は滑らかにして熱もない。ただ、びしょ濡れとなっているばかり。


 そこから明日香が導き出したのは、水を高速で噴き出す事で弾丸としているのだろうという考察だった。


 恐らくは螺旋階段も終点が近いのだ。


 気付かぬ間に宗栄と誠吾の張った結界をくぐり、蛟の捕捉範囲に入ったため、威嚇を仕掛けて来たというところか。


 蛟は基本単独行動が多いが、一定の年月を経て巨大化した個体は、自己分裂という方法で増殖する事がわかっている。

 水気の多い場所を縄張りと定めると、自らの妖気で周囲の水を侵食し、幼体を産み出していくのだ。


 作戦本部のモニター解析を通じ、蛟はすでに複数いるものと予測がなされていた。


 本体は貯水槽の最奥にいるはず。

 であれば、今攻撃を仕掛けている者は本体とは別の、下位増殖体である可能性が高い。


 成長し切っていない増殖体は、本体が倒れれば共に消滅するもの。

 わざわざ交戦して体力を消耗するのは下策である。


 そう結論付けた明日香だが、やられっ放しというのも、性格上気に入らなかった。


 そこへ一つ妙案を思い付き、思わずにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。


 アタッシュケースで水弾を弾きながら、足場のまともな階段へ着地すると、呼吸を整え、丹田を通じて全身の気門チャクラを開いてゆく。


 その感覚が、常より強く熱く感じられるのは、ようやく先程飲んだ錠剤の効果が出て来たせいだろう。


 機関との交渉の際、条件として出されたもの。

 即ち、災害にも匹敵する膨大な霊力を大幅に制限する事。


 その封印を時間限定で、2段階ほど解放したのだ。


「来たぜ来たぜ……懐かしい、この感覚」


 成長と共に力を制御する術を身に着けた事で、改めて己本来の力の膨大さに酔いかける明日香だが、左胸を正確に狙った一撃が現実に引き戻した。


 ぱあん! と、明日香の目前で水飛沫が破裂する。


 今回はアタッシュケースで防いだのではない。


 無造作に放った前蹴りで、高圧水弾を打ち払ったのだ。


 その事実に動揺したのか、狙撃手の攻め手が寸時途絶えた。


「いいコントロールじゃねえか、ピッチャー。せっかくだ、野球勝負と行こうぜ」


 その隙に声をかけた明日香は五体をすっかり晒し、あまつさえ手首をくいっと返し、あからさまに挑発してみせた。


 言葉が通じたかははなはだ疑問だが、獲物が逃げから攻めの構えに転じた気配は察したのだろう。


 今まで抑えられていた、瀑布に潜む刺客の明確な殺意が膨れ上がってゆく。


「いい気合だ。来いよ。場外までふっ飛ばしてやる」


 明日香は軽口と共に、アタッシュケースから誘導灯を取り出して、代わりに管狐を肩から引きはがして中に押し込んだ。


「きゅ!?」

「ここからは喧嘩の時間だ。大人しくしてろ」


 一声かけてケースを閉めると、誘導灯をバットに見立て、不敵な笑みを浮かべて水柱へと突き付けた。

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