第31話 タイムリミット

「明日香さんへの説明も兼ねて、現状のおさらいをしましょう」


 田中はタオルを頭にかぶったまま、濡れないようプラケースに入れられた地下水路の見取り図を指差した。


「結論から言いますと、このまま雨が降り続いた場合、二日後には貯水槽が決壊します。その結果、東京は数日もせず水没するでしょう」


 貯水池の区域を指でとんとんと叩きながら、田中はあっさりと非情な現実を口にする。


「……は?」


 流石にそこまで差し迫った状況だとは考えていなかった明日香は、一瞬理解が及ばなかった。


「正確には、残り40時間程ですね。もう二日を切っています」

「おい待て。この面子が揃ってて、そこまで追い込まれてんのかよ。どういうこった」


 細かく言い直す田中には構わず、明日香はテーブルを囲む面々を見回した。


 先に作戦へ着手していた彼らは、それぞれの分野で名の通った実力者である。


 面子を見る限り、この案件はすでにある程度収束に向かっているものと明日香は楽観視していた。

 自分が呼ばれたのも、たまたま付近にいたためで、予備戦力程度の扱いだろうとの考えを抱いたものだ。


 しかし実際は真逆で、むしろ追い詰められていると言う。


 田中から詳細を聞いていなかった明日香にとっては、まさに寝耳に水だった。


「どうもこうもないて。うちらかて、手抜きしたんとちゃうよ。相手はんがうちらの想定を、えらい超えてはってなぁ」


 由良が忌々しそうに唇を尖らせる。


「僕らも初めはすぐ片が付くやろ思たんですわ。せやけどいざ調べ始めたら、どえらいのが巣食うてましてん」


 姉の後を甲が慌てて取り繕う。


「相手の居場所は掴んどりますけど、僕らではどうにも手ぇ出せまへんのや」

「まあ、見た方が早い。ほれ、ちょうどそっちに良い角度で映ってるぞ」


 誠吾がテーブルに伏していた顔をごろりと明日香へ向けると、気だるげに複数あるモニターの内、一つを指差した。


 そこには神殿よろしく立ち並んだ列柱と、それらが半分以上濁流に飲まれた貯水槽が映っていた。


 しかしよくよく見ると、荒ぶる水流がうねる中、水面を飛び跳ねる流線形のものが目に付いた。


 ある一点から太く長い水流が噴き出したかと思うと、弧を描いて離れた波間へと勢いよく潜り込んでいく。その一連の流れが、貯水槽の至る所で起こっている。

 その大きさたるや、居並ぶ柱にも迫らんばかり。


「なんだありゃ。……龍……いや、蛇か」

「然り。ここまで巨大な個体はわしも初めて見るが。水蛇すいだみずちの類で違いあるまい。奴めがこの豪雨の元凶という訳よ」


 画面を見つめる明日香が呟くと、我が意を得たりと宗栄が大きく頷いた。


 蛟とは水の精にして、蛇に似た形態を取る妖怪である。

 現状のように雨水うすいに関わる異能を持つが、ここまで顕著な例は稀だった。


「ついでに言えば、自衛隊の先行チームを丸ごと飲み込んだのもあれの仕業です」


 再び田中が弁を振るう。


「居場所は由良さんと甲さんによる探索で特定しましたが。厄介なことに、地下放水路に繋がる濾過層ろかそうを瓦礫で塞ぎ、寝床としているようなのです。まずはあれを排除しない限り雨は止まず、排水作業も進まないという訳です」

「奴がもし地上に出れば、被害はさらに広がるだろうってんで、俺と爺さんで結界を張って抑えちゃいるが。なかなか暴れん坊でな。二人がかりで閉じ込めるのが手一杯だ」

「わしも衰えたものよ。そろそろ潮時かのう」


 誠吾がぼやくのに合わせ、宗栄も肩をすくめた。

 双方疲労の色が濃いのは、今も結界の維持に務めているせいなのだろう。


「うちは基本探し物が専門やし、そもそも陰陽師に水は大敵なんよ。符を媒介にする術や式神がよう使えへんの。そら溶けない紙もあるけども、えらい高うつくやん。そんなん常備してへんわ」

「僕の使い魔も戦闘向きとはちゃいますし。捕らえたものの、決め手に欠けてたんですわ」


 由良は開き直って言い訳をし、甲はすまなそうに頭をかくばかり。


「この豪雨で交通機関も麻痺している中、これだけの面子が揃っただけでも幸運でしたよ。そして、明日香さんが間に合った事も。お陰様で、作戦の体裁は整いました」


 田中は皆を労うように言うと、明日香へ向き直る。


「現時点で出来得る限りのお膳立てです。後は明日香さんの活躍にかかっています」

「あのな。それならそうと言っとけよ。煙草の代わりを用意できたかも知れねえだろうが」


 手際こそ良いが、現地に着くまで仕事内容をろくに説明しないのが、田中の悪い癖だった。


 ニコチンが切れていらいらの募る明日香が噛みつくも、


「四の五の言っている時間がなかったんですよ。貯水槽の決壊までは二日ありますが、しばらくすれば配電室まで浸水して、予備電源に切り替わる恐れもあります。そうなればエレベーターや換気口も止まり、さらに形勢は不利になるでしょう。可能ならば、今日中に蹴りを付けたいのです」


 田中は平然と抗議を押し退けると、伊達眼鏡を押し上げ、きらりと光らせる。


「今回の件、機関でも相当の危機感を持っています。以前、明日香さん達が捕獲した例の集合霊ですが、このところ日本各地で似たようなものが発生しているんですよ」

「へえ。そりゃ初耳だな」

「まだ不確定な情報で、機密扱いですからね。ともあれ、機関の解析班によれば、人工的に作られた可能性もあるとのこと。今回の蛟も、もしかするとその類かと推測しています。であれば、一度似た手合いと交戦経験のある明日香さんにお任せするのが一番でしょう」


 そう田中はつらつらと語ると、背後の自衛官に指示を出し、一抱えもあるアタッシュケースをテーブルの上に持って来させた。


「装備に関してもご心配なく。一通り有用なものと、機関からの差し入れも預かっています」

「差し入れだと? どうせろくなもんじゃねえだろ」

「これを見ても、そう言えますかね」


 ナンバーキーを手早く開錠すると、田中は広げたケースから小さなガラス瓶を取り出し、明日香へ差し出した。

 中身は白い錠剤が詰まっている。


「あなたの霊力を抑えている拘束術式。その第二段階までの限定解除薬です」

「はっ。化け物には化け物を、か。あいつららしい考えだな」


 田中の手から小瓶をひったくった明日香の口の端は、自然と吊り上がっていた。


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