第30話 ミーティング
鉄扉の向こうは意外にも広かった。
ざっと見渡しただけで、20名近い人員が忙しなく動き回っているが、まだ空間に余裕がある。
中心に大きなテーブルが置かれ、周囲の壁際にはいくつものモニターや計器類が所狭しと並ぶ。
平時には監視室として機能しているのだろう。
画像解析や各所への連絡などの作業に追われているのは、ライフジャケットを着た水道局員と、自衛隊員達。
テーブルには数名の男女が思い思いの席へ座し、卓上に広げた見取り図を囲んで意見を交わしていた。
どうやら彼らが今回の作戦の主要メンバーのようだ。
自衛隊員から受け取ったタオルで顔を拭いながら、田中と明日香はそちらへ向かう。
すると座っていた内の一人、黒いスーツを着た若い男が、明日香を見るなり椅子を蹴倒して勢いよく立ち上がった。
「──あ、あああ、明日香の
関西なまりでそう叫ぶと、テーブルを迂回し、明日香目掛けてばたばたと駆け寄って来る。
「うひゃ~! ほんまに生の姐さんや! ずっと会いたかったわぁ。まさか夢ちゃうやろか。ここは一つ確認のためにぐぼぁ!?」
興奮気味にまくし立て、抱き着こうとした男を、明日香は
「……は、はは。このごっつい蹴りは、ほんまやわ。痛いけど、嬉し……」
壁に叩き付けられ、崩れ落ちながら男が呻くのも構わずに、明日香は無言で離れた位置に腰を下ろす。
「来て早々、ご挨拶やねぇ。水無月はんちのお姉ちゃん。あんまし、うちとこの弟をいじめんといてくれる?」
ちょうど向かい側へ座っていた、先の男と似た黒いスーツの女が、目を細くして非難の声をあげた。
「通行に邪魔な石ころをどかしただけだ。とやかく言われる筋合いはねえ」
「あらそ。相変わらずやね。ま、元気そうで何よりやわ」
苦笑いを浮かべる女をはじめ、席に着いていたのは皆、これまでの仕事で関わった顔見知りだった。
「重役出勤とはいい身分だのう、水無月の」
横合いからそう言いつつ手を振るのは、坊主頭に僧衣を着た大柄な老人。
「まあな。真打は最後に出て来るもんだろ」
「ははは! 言いおる。ならば老いぼれは、特等席で高みの見物といくか」
生意気な明日香の返答にも、快活に笑ってみせる。
名は
顔には歳相応の深いしわが刻まれているが、肌には未だ艶があり、鍛え抜いた肉体も岩の如し。
全身から溢れんばかりの霊気もまた、衰えを知らず。
密教と禅の修行を修めただけあって、明日香とのやり取りから見える通り、
「確かに。水無月が来たなら、俺らはお払い箱だよな」
宗栄に同意したのは、
「こっちでやれることはやった。後はお前に任せるわ」
そうあくび混じりに明日香に告げると、途端にテーブルに突っ伏した。
一見やる気のない中年男の名は、
ラフな格好をしているが、普段は小さな神社の宮司を務める、
ただ、神社本庁の包括下にないため収入が乏しく、
「もう二日もここに缶詰でうんざりだったんだ。何より、禁煙なのがきつい」
「マジかよ。そりゃ災難だったな。……ああ、こういう事か」
自身と同じくヘビースモーカーの誠吾に同情の声をかけるが、パーカーのポケットに入れていた自前の煙草を見て、明日香は納得がいった。
室内に充満する湿気を吸って、ケースごと台無しになっていたのだ。
「ちっ。仕事前に一服もできねえのかよ。くそったれ」
明日香は用を成さなくなった煙草をぐしゃりと握り潰し、部屋の片隅のごみ箱へ放り投げる。
すると。
「おっとぉ! 捨てるくらいやったら、僕がもらいますて」
先程までダウンしていたはずの黒スーツの男が、意外にも機敏に煙草へ飛び付いた。
そして大事そうに両手で抱え込むと、くんくんと匂いを嗅ぎ始める。
「……はぁ~、最高や……姐さんとメンソールの香りが、水気でようけ合わさって、奇跡の
途端に蕩けた表情を晒す男の様を見て、流石の明日香もぞわりと悪寒を覚えた。
「おい
「いけずやなぁ。
名を呼ばれた女はおっとりとした口調で返すと、茶化すように明日香を流し見る。
「ああ、思い出した。てめえら、
一つ吐き捨てると、明日香はそれ以上相手にするのを止めた。
この姉弟と会う度、一度でもまともな会話が成立した試しがなかったからだ。
黒スーツの二人は、密かに現代まで存続していた陰陽寮所属の術者である。
姉の由良は陰陽道に精通し、中でも占いと霊視を得意としている。
対して弟の甲は、式神や使い魔の使役に長け、二人が組む事で発揮される情報収集力は侮れないものがあった。
しかしここまでのやり取りのように、由良は人を食ったような発言を好み、特に明日香に対しては同年代の実力者という事もあり、何かと張り合う節がある。
甲に至っては、以前に明日香と仕事をした際、その豪快な戦闘スタイルを見て惚れ込み、以降熱烈なファンと化し、近頃では度を越してすっかり変質者となってしまった。
双方明日香にとって、なるべく関わり合いになりたくない連中の筆頭であった。
「いやぁ。東京くんだりまで出張に来たんはええけど、この長雨で電車も飛行機も運休で足止め食ろて。そこを田中はんに捕まって、えらい運悪いわぁおもてたんが嘘みたいや。とんだお土産もろたわ。帰ったら神棚に飾ったろ」
「よかねぇ、甲君。うちもこの件片付いたら、歌舞伎町でイケメンホストとぱぁっと遊びたいわぁ。明日香ちゃん、いいお店あったら紹介してくれへん?」
甲が煙草に頬擦りしながら席に戻ると、あっという間に関西弁によるマシンガントークが展開された。
明日香は腕を組んで完全無視を決め込み、椅子を後ろへ傾け、長い脚をテーブルへどがんと投げ出す事で無言の抗議とした。
「さて。皆さん挨拶は済んだようですので、早速本題に入りましょうか」
顔を拭き終え、眼鏡をかけ直した田中が、この一連の会話をさらりと流して口火を切る。
我関せずと、空気を読まずに発言した田中のマイペースぶりを、明日香は今だけは内心褒めたい気分だった。
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