第29話 トップシークレット

 案内された建物は、大型車両の格納庫のようだった。


 除雪車などの普段日の目を見ない車種が目立ち、そのほとんどがカバーで覆われ埃をかぶっている。


 室内自体も長く放置されていたようで、湿気で淀んだ空気にカビと埃の匂いが混じり合い、あまりの不快さに明日香は顔をしかめて足を止めた。


 明日香は別段潔癖症という訳ではないが、体質上非常に鼻が利く。こういった臭気の淀んだ場所は若干苦手であった。


「言いたい事はわかりますが、今からそれでは現場までもちませんよ」


 その気配を察してか、田中が振り向きもせずに言って寄越す。


 当人こそ全身ずぶ濡れで、歩く度にべちゃべちゃと床の埃を泥と悪臭に変えている元凶なのだが、全く気にした素振そぶりもない。


 しかし、田中の言にも一理あった。


 これから行く先は、東京中の汚濁を呑み込んだ貯水槽。その惨状は想像を絶するだろう。

 この程度で平常心を乱しては、務まる仕事もしくじりかねない。


「ちっ。ドブさらいなんざ、それこそ自衛隊の管轄だろうが」

「ええ。もちろんそのつもりだったのですが、先遣として向かった隊から応答が途絶えましてね。急遽作戦変更となりました」


 明日香の悪態にも、眉一つ動かさずにそう返す田中。


 やがて広大な部屋の隅まで来ると、角に止めてあった車両がどかされた形跡があり、蓋の開いたマンホールが二人を迎えた。


「それが噂の隠し通路の入り口か」

「ええ。近場の経路は全て水没しているので、今回はこのルートを使います」


 この建物自体、普段封鎖されており、地下に眠る旧陸軍司令部跡への入り口を秘匿しているものだった。

 内部は後から手を加えられ、東京の地下に網目のごとく通路を巡らせているのだと、田中は淡々と説明しながらマンホールへ降りてゆく。


 首都圏外郭放水路もその延長上にあり、こういったいざという時のために、正規の出入り口以外にも様々な場所と密かに繋がっているのだった。


 当然国家機密であるが、田中は特に口止めするでもない。

 明日香もプロの始末屋である。依頼者クライアントの情報など、言われるまでもなく口外しない事を理解しているのだ。


 マンホールから続く梯子を下り、点々と足元を常夜灯が照らす地下通路を進む事しばし。


 真っ直ぐ一本道だった通路の左手に新たな道が現れ、そう遠くない薄闇の奥に、頑丈そうな古びた鉄扉が鎮座していた。


 脇には対称的に真新しい立て看板があり、『東京都水害対策班臨時本部』と大雑把に書き殴られている。

 これだけで、相当切羽詰まった現状がありありと想像できた。


 呆れ顔の明日香を尻目に、田中はすたすたと鉄扉に向かい、手を振り上げて無遠慮にノックを打ち鳴らす。


 ガンガッ! ガガンガッ! ガガンガガッ!


 一見乱暴に叩いているようだが、入る際の暗号となっていたのだろう。

 中からかんぬきの擦れる音が響き、鉄扉が片面だけ重い音を上げて開き始めた。


「もう少しましな合言葉はなかったのかよ。モールスで『タ・ナ・カ』とか、ザルすぎるだろ」

「それだけ急を要していましてね。さあ、中へ。招集した始末屋は貴方で最後です。早速作戦会議を始めましょう」


 田中が部屋の中を指し示すと、見える範囲だけでも覚えのある、かつ濃い面子が揃っているのが見え、明日香は溜め息混じりに中へ入って行った。

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