ウォーターハザード

第27話 ヘビーレイン

 時節はいよいよ梅雨に入り、じめじめとした日々が訪れると思われた矢先。


 突如として関東地方を、例年にない豪雨が襲った。


 気象庁でも予測できなかった爆弾低気圧の影響下、暗雲伴う梅雨前線はどっしりと本州へ腰を下ろし、日ごとに降水量は増す一方。


 次第に水害が広まり、土砂崩れを始めとした山沿い中心の被害が相次いで報道される。

 河川は溢れ、低い土地は浸水し、脆い家屋から順に崩れて流されていく映像が朝晩問わずに中継される様は、まるで台風や津波さながらであった。


 それでも首都圏の都市部に住む人々は、ニュースの伝える惨状を、どこか遠い国の出来事のように眺めていたのは否めない。


 それがまさか、自分達の生活圏まで脅かすことになるとは、夢にも思っていなかったのだ。






 ダイニングにて朝食を終えた後、明日香は窓際の壁に寄りかかり、咥え煙草のままに外をぼんやりと眺めていた。


 特に何かを見詰めていた訳ではない。


 閉め切った窓に叩き付ける横殴りの雨のせいで、見慣れたはずの町の景色は、霞に沈んだように茫洋としている。


 それは明日香がこのビルに住み着いてから、一度も見た事のない光景であった。


 付けっ放しにしてあるテレビからは、ひっきりなしに様々な警報や注意報が呼びかけられている。

 同時に各地の被害状況が深刻化している事なども。


 それらを聞くともなしに、明日香はぼんやりとしたまま呟いた。


「……今日も景気よく降りやがるな……」


 ふぅ、と溜め息混じりに紫煙を吐き出す明日香は、まるで水族館の展示物になったような鬱屈した気分を抱えていた。


 土砂降りというのも生温い、滝のような雨が新宿にも降るようになって、はや三日。

 その間、一歩も外出していないのだ。


 幸い食料等の備蓄は(ミハイルの店に)十分あるが、ニュースによれば、そろそろ浸水被害が出てもおかしくない降水量だと報じている。


 現に昨日の夕方頃には、一部の道路が冠水し、乗用車やトラックが水面をかき分けて走る場面や、地下鉄の入り口へ土嚢を積み、浸水対策を取ったという報道もなされていた。


 このまま降り続けるのなら、歌舞伎町周辺もいつそうなるか知れたものではない。


 ジェミニの入ったビルは、あらゆる局面に対応した結界により守護されてはいるが、こうも缶詰状態が続くと息が詰まるというもの。


 日課のロードワークにも行けず、身体がなまり、血の巡りが滞っていく一方で、明日香はぐつぐつとたぎる苛立ちを覚えていた。


(……何より、の霧に似てるのが気に入らねえ)


 窓枠一面に降りしきる雨。

 それが万物に撥ね、巻き上がる白い噴煙は、過酷な幼少期を過ごした霧の世界を想起させた。


(それを抜きにしても、妙だな)


 景色の変わらぬ窓を睨み、明日香は思考を巡らせる。


 いくら異常気象が増えたとは言え、ここまで極端な事例があるものなのか。


 もちろん自然の驚異とは、科学が発達した現代でさえ完全には解明されたとは言い難い。

 気象庁が悪戦苦闘しているのが良い証拠である。



 本州へ上陸して以降、停滞したまま勢力を増し続ける不自然な低気圧。



 ──これがもし、自然に発生した猛威ではないとしたら?



 そこまで考えが及んだ時、部屋に充満していた煙が急激に渦を巻き始めた。


「まさか、そういうことか……!」


 渦の回転と共に回り出した明日香の脳は、一つの仮説を弾き出した。



 規模こそ桁外れだが、は何がしかの怪異がもたらした、単なる霊障なのではないのか、と。 



 思い付いたら即行動。

 明日香は吸いかけの煙草を灰皿に押し付けると、ダイニングを飛び出し事務所へと駆け込んだ。


「七瀬!」


 明日香が声をかけた時、七瀬は事務机に座って電話の対応をしていた。


「ええ。はい。では自衛隊の協力を仰いで……」


 七瀬は話しながらも明日香へ向けてウィンクを寄越し、同じ考えに至った事を示してみせた。


 事務所の据え置き電話は、仕事用の専用回線である。

 つまり電話口の向こうには、明日香同様この豪雨を怪異と睨み、正式に依頼を発注した者がいるのだ。


「……はい。こちらはいつでも結構です。わかりました。そのように。それでは失礼致します。詳細はまた後程」


 音をさせずに丁寧に電話を切ると、七瀬はにっこりと明日香へ微笑んだ。


「さ、久々に大口の依頼だよ。しっかりお願いね!」

「任せな。ちょうどひと暴れしたいところだった」


 双子は同時に両手を掲げると、抜群のタイミングでハイタッチを決め、気合を込めて大仕事の準備に取り掛かった。

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