第26話 ミッションコンプリート
「さて、七瀬君の診断結果はオールグリーン。めでたくこうして無事帰還と相成りました。私達も無傷で留守番を果たせましたし、パーフェクトな一日だったと言えるでしょう。お二人とも、今日は本当にお疲れ様でした」
「いちいち能書が長いんだよ。さっさと始めろ」
「ふふふ。明日香君は本当にせっかちですね」
待ちきれないといった明日香の野次に苦笑すると、グレイは白ワインの入ったグラスを手に取り仕切り直した。
「それでは改めまして。我々の健康と健闘を祝して乾杯を」
「かんぱ~い!」
グラスを掲げるグレイの音頭に合わせて、明日香と七瀬が缶ビールを打ち鳴らした。
グレイが語った通り、七瀬の検査はつつがなく終了し、夕方過ぎにはジェミニへ戻ってきた。
明日香とグレイは想定より早く仕事が済んだため、各種検査で疲れ果てているだろう七瀬を労うパーティーを計画し、食卓を山ほどの料理で埋め尽くして待っていたのだ。
「……っくはあ~! やっと一息付けたぜ。仕事はさっさと済ませたが、七瀬が心配で、昼はピザ三枚しか喉を通らなかったしな」
一息にビールを飲み干した明日香が、早速新たな缶を開けて言ってのける。
明日香がランチに取り寄せたのは、クアトロフォルマッジのチーズ増量LLサイズの特注品。
常人ならば一枚でも持て余すものを、ぺろりと三枚平らげ、2リットルのコーラで流し込んでも、彼女にとってはおやつ感覚であった。
常人より肉体と霊力が強い分、カロリー消費量も高いが故の暴飲暴食。
それでいてまったく体型が崩れないのだから、七瀬でなくとも恨めしくなる体質と言える。
「私も一切れ分けて貰いましたが、あれは絶品ですね。とろける濃厚チーズの舌触り、ふわふわでありながら、もっちりとしたハンドトスの生地の噛み応え。とてもデリバリーのレベルとは思えません」
「何それ美味しそう! 私なんか今日の検診のために、朝も昼も食事抜きだったのに! 二人だけずるいし!」
途端に少女のようにむくれる七瀬に、明日香はふっと笑いかける。
「まあ待て。そう言うだろうと思って、注文しといてやったぜ」
食卓に納まりきらず、台所に積み上げた食材の山の中から、ピザの入ったケースを取り出して七瀬の前に置く明日香。
「おお……さすがあっちゃん。以心伝心!」
「お前もチーズ大好きだしな。ほれ、あーん」
明日香が手ずからピースをつまみ、七瀬の口元へ寄せると、七瀬は恥じらいもなくぱくりとかぶりついた。
「ん~、おいひい~。検査を耐えた後の食事はたまりませんな~」
「なんだか減量明けのアスリートのような言い様ですね」
グレイが姉妹のやり取りを微笑ましく見ながらグラスを傾ける。
すると突如七瀬の目が据わり、テーブルへ突っ伏すようにしてだらだらと愚痴を垂れ流し始めた。
「似たようなものですよー。土地神様との繋がりを深くするには、ある程度節制は必要ですし。精神状態をなるべく平静に保ちつつ、結界の維持と監視にも意識を向けなきゃいけないし。ちょっとだらけただけでも、検査の数値でばれちゃうんですよ。あのシステム組んだ人達は、鬼か悪魔ですね、絶対」
「ええ、まあ。確かに彼らは、悪魔に魂を売り渡していてもおかしくはありませんね」
グレイは地雷を踏んだ事を悟り、七瀬の言葉を素直に肯定した。
七瀬はおどけた調子で言って見せたが、それらが想像を絶する荒行である事は明白だった。
言ってみれば、今日明日香とグレイが繰り広げたような戦いを、目に見えない形で日々絶え間なく続けているのだ。
それもビルの一角などではなく、新宿全体を覆う大結界を舞台にして。
土地神の力を借りて霊力を増幅していると言えども、尋常な人の器で処理し切れる術の域を遥かに超えている。
七瀬の場合、なまじそれができてしまえるからこそ、生身のままで土地の管理人となる取引が成立したのだ。
本来であれば、脳へ直接電極を差し込み植物状態とし、
自我を消し、感情の揺らぎを無くす事で、安定した結界装置となるからだ。
科学と神秘の融合が進んだ現代において、「人柱」とは単なる人身御供ではなく、そういった電子の領域にまで及んでいる。
明日香が七瀬の検査結果を重視していたのは、異常値が出た時点で「人柱」にされる事を危ぶんでいるからであった。
新たな「人柱」の手法は新宿に限らず、日本各地の老朽化した神域、禁足地の類を守護するための常套手段となりつつある。
もちろん人道から著しく逸脱した行為であるとは、国も機関も承知の上の事。だからこそ神秘の秘匿、あるいは否定に躍起になっている訳だが。
それ程までに、霊的守護は国防の要として重要視されているのだ。
「ちっ。俺様も土地神と波長が合えば、変わってやりたいんだがな。まだるっこしいことなんざ抜きで、とっとと力を引きずり出してやるのによ」
明日香は己が肩代わりできない無念をぶつけるかのように、くしゃりとアルミ缶を握り潰し、ごみ箱へ見事なシュートを決めた。
「明日香君なら本当にやりかねないのが恐ろしいですね」
「駄目だよあっちゃん。神様はちゃんと敬わないと、降りてきてくれないんだから。手順をきちんと踏んで、丁寧にお願いしなきゃいけないの」
くすくすと笑うグレイとは対称的に、七瀬は不意にきりりと表情を引き締めると、合掌してみせた。
「良いように使われてるってのに、お前は優し過ぎだぜ。まったく」
明日香は横に座った七瀬の肩を抱き寄せ、頭をこつんと触れ合わせた。
「お前はよくやってる。マジで自慢の妹だ。だが、俺様に黙って無理する事だけはなしだからな」
「……うん。分かってる。危ない時は、頼りにするからお願いね」
「当然だろ。俺様達は一心同体。遠慮なんかすんな。この先1年も、一緒に乗り切ってやろうぜ」
「うん。……ぃよし! 安心したらお腹減った! 改めて、ぱぁっといこー!」
「その調子だ、がっつり食え!」
元気を取り戻した二人は、笑みと会話を弾ませながら食事を再開した。
すっかり蚊帳の外に置かれた形のグレイだが、親子三人で食卓を囲めたという小さな幸せに浸り、義理の娘達を尊いものを愛でるように眺めるのだった。
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