第24話 ジェントルマン

「もう一本吸い終わるまでは待ってやる。その後は俺様の獲物だ」


 新しい煙草を咥え、グレイに軽いプレッシャーをかけながら、明日香は残る一体を観察する。


 それは全身黒ずくめではあるが、完全に人の形態を取っていた。


 細い肩。豊かな胸元。くびれた腰つきから伸びる、しなやかな脚線。

 頭部からは長い髪のような、さらりとした影が揺らめいており、そのシルエットは艶めかしい裸の女性を思わせる。


 見ようによっては芸術作品に思えなくもないが、明日香の吐き出した紫煙は激しく渦巻き、その危険度を知らせていた。


「そう急かされると、やりにくいのですけどね」


 明日香の言にグレイは苦笑して見せるが、目は笑っていない。

 煙同様、正しく事の異常さを認識しているからだ。


 帽子を深くかぶり直し、スーツの懐から札の束を取り出して戦闘態勢に入ると、女の影を凝視した。



 雑霊や浮遊霊といった低級の思念体は、知性や力が見た目に反映される傾向にある。


 霧のように輪郭すら保てないものは、単に常世への道を見失い、自我すら保てなくなった魂の成れの果て。

 無闇に接触しなければ、比較的無害な存在である。


 小動物などの形態ならば、大抵は元となった生物の本能に従うのみであり、これらも大した事はしでかさない。

 ただ、極稀ごくまれにだが、力を得て妖怪と化す場合はある。

 その際の危険度は個体の性格によるところが大きく、一概には語れない。


 対して人型を取り得るものは、そのほとんどが現世への強い執着によって残留しているため、非常に厄介な部類に入る。

 少なからず知性を持ち、かつ生者への悪意に満ちているのだから。


 そういったものどもこそを、霊能界隈では、人に仇為す悪霊と呼び習わすのだ。



 まさにそれを示すように、女の輪郭をした影は、顔の下顎にあたる部分を口裂け女の如くにぐばりと開き、真っ赤な口腔を見せ付けた。


 同時に周囲を揺らすかのようなけたたましい哄笑を響かせると、その黒い腹が縦にぱっくりと割れ、中から胎児を模した形の影をどばどばと吐き出した。


 それは悪意を具現化した如く、おぞましい光景であった。


 産まれ落ちた胎児の群れは、見る見る内に1歳児程度にまで成長すると、すぐに四つん這いで動き出し、意外にも機敏にグレイへ飛び掛かっていく。 


「死人が出産ですか。皮肉なものです」


 目鼻も口もない、真っ黒なのっぺらぼうの群れを華麗にかわしながら、グレイは床に一枚ずつ札を張り付けてゆく。


 その間にも、笑う女の腹からはとめどなく新手が湧き続けていた。


「増えるワカメかよ。めんどくせえ奴だな」


 明日香はげんなりした様子でぼやくと、この場をグレイに丸投げし、煙草をゆっくり味わうことに決めた。



 本来脆弱な雑霊達は、海を大群で泳ぐいわしのように、寄り集まって行動する事が多い。

 単体では無害とは言え、数がまとまればそれなりの障りは出るものだ。

 それ故、彼らにその気がなくとも、時に場を淀ませ、気脈を乱す。


 そんな群れに惹かれ、力ある悪霊が混ざり込むと、途端に全体の指揮権を握り、自在に操るようになる。

 そして周囲の雑霊を次々吸収しては、さらに怨念を増幅させてゆくのだ。


 これらは集合霊と呼ばれ、並の霊能者は裸足で逃げ出すレベルの性質の悪いものである。


 まさにグレイと対峙しているものはその典型であり、すでに厄災と呼べる代物だった。絶対に現世へ行かせる訳にはいかない。


「一体どれだけの魂を呑み込んできたのでしょうね。なかなかの年季を感じます」


 尽きる事のない赤子の出産と波状攻撃。

 それらを避け、あるいは軽くいなしながら、グレイは感嘆の声を漏らした。


 段々と足の踏み場も無い程に赤子が溢れてきているが、グレイに焦りは見えない。


 不意に、群れの隙間に鋭く足を踏み込むと、軽やかなターンを披露し、指先に札を挟んだ両手を真横に伸ばして円を描く。

 すると、その仕種だけで簡易法陣が形成され、突如現れた光壁に触れた赤子どもが瞬時にじゅわりと溶け去った。


 そして邪魔者が消えた床へ、悠々と新たな札を張り付ける。


 グレイは術法に加えて太極拳もたしなんでおり、流れるような円の動きの中に術を取り込む事で、独自の退魔格闘術を編み出した達人だった。


 何しろ、明日香に武術の基礎を教えたのは彼である。


 有り余る霊力の加減ができず、日常生活すら危うかった幼き日の明日香に、武の精神修養を通じて己を律するすべを叩き込み、荒ぶる力の扱い方を会得させたのだ。


 言わば明日香の師とも呼べるのだが、明日香は頑なにそれを認めようとはしない。基礎こそ教わったが、後は我流である、との一点張りで。


 ともあれ、そんな退魔のエキスパートが、ただ数だけ揃えた悪霊などに遅れを取ろうはずもない。


 グレイは赤子らをあやすかのようにあくまで優雅にあしらい、決して直接的な暴力を振るわず、札に込めた霊気で撫でては浄化してゆく。

 それなりの運動量だったはずだが、汗もかかず、衣服の乱れもまるでない。


 そして周囲の掃除を終え、最後の札を床に張り付けると、チェックメイトとばかりに母体へ指を差し向けナイスポーズを決める。

 おまけに爽やかに笑ってみせると、白い歯がきらりと輝いた。



 伊達男、ここに極まれり。



 明日香は冷ややかな目でそれを眺め、紫煙と共に深く溜め息を吐いた。

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