第23話 ワンダーゲート

「明暗。表裏。閉塞。流転」


 一言ごとに一枚。

 呪符を部屋の四隅に張って行くと、グレイは最後に部屋の中央に立って、ぱしんと大きく柏手かしわでを打つ。


いざない、開け。幽世かくりよの門」


 グレイの言霊が放たれると同時、正面の白い壁紙へ、縦一筋の光が漏れ始める。

 それはやがて徐々に太く広くなっていき、まさに門扉が開く様をイメージさせた。


 そこから溢れる光が部屋全体を満たすと、視界がぐるりと暗転し、次の瞬間、明日香達は白一色の空間へと降り立っていた。


 グレイの言葉の通り、現世うつしよ常世とこよの狭間の世界、幽世へと侵入を果たしたのだ。


 二つの世界の間に存在する幽世には、にもにも行けずにさまよう雑霊、浮遊霊の類が多く溜まっている。


 それが新宿という一大都市の裏側ともなれば、東京ドームを埋め尽くしても足りない程の、大量の情念が渦巻いているのだ。


 果たして明日香とグレイの周囲には、行き場を失くし、何処いずこかへ這い出ようと、隙間を探して蠢く雑霊が大量にひしめいていた。


 それはまだ形すら定かではない、知性持たぬ影の群れ。

 しかし一度ひとたび現世へ迷い込めば、事件の芽となり得る、不穏の種とも言える存在である。


「おや。今回は妙に少ないですね」


 グレイが周囲を見渡し、意外そうな声を上げる。


「俺様だってな、それなりに仕事はやってんだよ」


 明日香は得意げに口角を上げると、咥え煙草にポケットへ手を突っ込んだ、馴染みのスタイルを取った。


 始末屋の受ける案件は、幽世から現世に侵入してきたものどもを狩る事も含まれている。


 街の治安が良くなれば、そこに集う人々の精神状態も安定し、暗い情念も生じにくい。


 明日香達民間の始末屋や、公安特務課の奮闘もあり、幽世に留まるものどもの数は目に見えて減っているのだ。



 だが、それでも。


 人の数だけ情念は存在し、全てが明るいものとは限らない。


 人の不安を煽り立て、殊更に悪意をまき散らす者も世にはいる。

 そうして暗き感情は日々生じ、消える事無く溜まってゆく。


 溜めては消して、また溜まり……


 それらを全て消し去る事は、到底無理な話であった。


 だからこそ、それらを現世に侵入させぬよう、土地神の力を増幅させるための人柱が必要となるのだ。


 結局のところ、科学がどう発展しようと、この堂々巡りを続けるしかないのが、人の悲しいさがなのだろう。


 正直、そんなくだらないサイクルを続ける種など、いっそ滅んでしまえばよいと明日香は思っている。

 七瀬の存在がなければ、自分がその役目を引き受けてやりたい程度には。


 しかし今は、それよりも断然許せない存在が、目の前にたむろしていた。


 自分と七瀬との、ただ一つの安らぎの場。

 それを侵す者をこそ、明日香は心底憎悪する。


「人様の家に土足で上がり込もうってんだ。覚悟はできてるんだろうな」


 ずしゃり、と一歩。

 白い床を踏み締めた振動だけで、付近にいた低級霊がしゅわりと溶けてゆく。

 今の明日香に手加減の意思は皆無だった。


「これだから防犯対策は気が抜けませんね」


 明日香と背中合わせに位置取りつつ、グレイが薄く笑う。


 幽世とは、あの世とこの世の隙間にあるだけあって、本来は薄っぺらい二次元に近い存在であり、常人が簡単に干渉できるものではない。

 それをグレイの開門の術によって幽世の一部分を切り取り、人の目に映るよう立体化させたのがこの白い空間だった。


 この術は周囲に被害を出さずに戦闘を可能とする結界であると同時に、集まった雑霊や悪霊を、一網打尽に閉じ込める檻をも兼ねているのだ。


 二人のとは、これら幽世から結界内部に侵入しようとする脅威を発見、駆除し、土地神の領域を防衛する事であった。


「飛ばしていくぜ。この前は中途半端な野郎とやりあって消化不良だったからな。八つ当たりだが謝罪はしねえ!」


 だん! と力強く蹴り出した明日香の身体が、風を巻いてその場より消え去った。


 一瞬遅れて、その正面方向に溜まっていたどす黒い巨塊が真っ二つに両断される。


 その頃には明日香は宙へ跳んでおり、右足を横へ振り抜き、十文字に切り裂いたところだった。


 明日香よりも数倍の大きさだった黒い腐肉の塊が、いとも容易く破裂させられ、インクをこぼしたような染みをべちゃりと白い床へぶちまけた。


 明日香はその上へ震脚をもって着地し、ぐしゃりと踏みにじる事で止めを刺すと、怯え混じりに散開を始めていた周囲の一団目掛けて疾駆する。


 目にも留まらぬ速度で踵を振り回し、竜巻の如くに雑霊を蹴り散らかしていく様は、まさに圧巻の一言に尽きた。


「こっちは終わったぜ。はそっちか?」


 最後に残った綿飴のような小さな塊すら、ためらいなく蹴り潰すと、明日香は紫煙を吐き出しながらグレイを見やる。

 あれだけ激しく動いたにも関わらず、煙草の火は灯ったままだった。


「ええ。ですが、手出しは無用ですよ」


 グレイは平時の声で明日香へ返答すると、対峙した敵へ視線を送る。


 グレイも大半の雑魚は掃除し終えていたが、残る一体は他とは醸し出す圧が違っていた。

 この群れを率いてきた張本人ボスなのだろう。


「私も良いところを見せなければいけませんからね。のんびり見物していて下さい」


 そう軽口を叩いて、グレイはスーツの襟を正してみせた。

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