第22話 アットホームダディ
「今思い出しても、あの時の交渉は難題でしたね。私の人生で、間違いなく三本の指に入る修羅場です」
そうは語るが、恩着せがましい事は言わずに爽やかに笑ってみせる。
実際グレイは大した人格者だった。
教育方針も奔放なグレイの保護下で伸び伸び育った姉妹は、着実に人間らしさを取り戻していった。
学校にも通わせ、炊事や掃除、洗濯などの一通りの生活様式を教え、人として生きる術を学ばせたのだ。養父としての責務はしっかり果たしたと言ってよい。
グレイの仕事は遠出が多く、数週間戻らない事もあったが、遠方からでも操れる式神によって、逐一姉妹の状況を把握していた。
手が空いた時などは、七瀬の術の訓練に付き合ったり、明日香の組み手の相手となった。
根が素直な七瀬はすっかりグレイに懐き、保護者として認めている。
世間的に見ても、シングルファザーとして優良な部類なのだろう。
明日香としても、恩義を感じていない訳ではない。
しかし、出自のせいで人間不信は簡単には抜けず、グレイもまた自分達に期するところがあるのでは、と内心警戒を続けているのだった。
そもそも出会ってから10年以上経過した今でも、容姿がほとんど変わらぬ怪人である。本当に人間であるかも疑わしい。
いや……色々と言い訳を並べたところで、行きつくのはきっと、嫉妬なのだ。
姉として妹を守る役目を、義父にずっと奪われていたのだから。
子供としては当たり前の話ではあるが、七瀬への執着心が、明日香を正常な思考から遠ざけた。
そんな益体も無い事を想いながら椅子に背を預けると、なるべくグレイを視界に入れないようにして、明日香は愛用の煙草を取り出し、一服を始める。
「ああ。まだ喫煙を続けているんですか。体によくないと、あれだけ言ったでしょうに」
「うるせえ。俺様の勝手だ」
明日香は言い捨てると、わざと深く吸い込んでは長い息を吐いた。
部屋に煙が充満し始めると、グレイの顔色も同様に曇りを見せる。
いかにも明日香を案じる風を装っているが、グレイは鼻が利きすぎるせいで、煙草の匂いを極端に苦手としている事を明日香は知っている。
だからこその嫌がらせの意味も込めた喫煙だった。
人を煙に巻くのが得意な男が、煙の臭いが苦手とは、気の利いた皮肉だとすら思っている。
しかし、単なる嫌がらせのためだけに嗜好品を消耗する程、明日香も馬鹿ではない。
値上がりの続く昨今、一本とて無駄にできるものではないのだから。
敢えて換気扇を回さずにいたために、煙は天井に溜まりつつある。
その煙が、不意に左回りに渦巻き始めた。
「ふん、来たか」
「この探知性能が優秀なばかりに、喫煙を無下にできないのが辛いところです」
明日香の短い呟きに、グレイが帽子をかぶり直して椅子から立ち上がった。
明日香の好む銘柄は、ありふれた市販のものである。
ただし、彼女の息吹を通して霊気を得た煙には、多種多様な用途があった。
今この時は、結界の隙間を縫って侵入を試みた、雑霊を感知する役割を果たしたのだ。
「やっぱり七瀬がいないと穴が開いちまうか」
「仕方のないことです。元は由緒ある即身仏三体で治めていた土地ですからね。一人で
ジェミニの事務所があるこのビルには、七瀬が土地神と契約して張った堅牢な結界が存在し、新宿の霊的加護を担っている。
これは陰の気を100%受け継ぎ、あらゆる術儀に精通する七瀬だからこそできる芸当であり、他に代わる人材は非常に稀だった。
だからこそ、今回のように七瀬が土地を離れざるを得ない場合、それをカバーする人員が必要となる。
そのためグレイは明日香と残り、留守を守るため待機していたのだ。
「さて。それではいつものように、手早く片付けましょうか」
「この一年で腕が錆びてなきゃいいがな」
「言ってくれますね。これはパパもいいところをお見せしなければ」
「だから、パパはやめろってんだよ。虫唾が走る」
明日香が悪態をつく間にも、グレイは印を切り終え術式を編み上げていた。
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