第20話 メディカルチェック
穏やかな態度から一変、真面目な声色と共に差し出されたグレイの手を、七瀬は束の間ぼんやりと見詰めていた。
それが自分へ向けられた手なのだと理解するのに数秒を要し、慌ててがしりと握り返した。
やはり多少の気負いがあるのだろう。七瀬らしくない反応だった。
「もちろん、わかってます!」
「よいお返事です。では、こちらへどうぞ。お嬢様」
洗練された紳士の所作で七瀬をエスコートするグレイへ、明日香が一言噛み付いた。
「絶対に、無事に返せよ」
「もちろんです。この子は国にとっても大切な、かけがえのない人材ですからね」
射殺さんばかりに睨み付ける明日香へ、グレイは振り返り様に頷くと、七瀬と二人連れ立って部屋を出て行った。
「大丈夫だよ。行って来るね」
明日香は最後に七瀬が残した言葉を反芻しながら、二人が消えた後もしばし廊下を睨んでいたが、特に変化が無い事を確認すると、おもむろにテーブルの上の後片付けを始めた。
普段の家事は七瀬に任せきりだが、今は何かをしていなければ気が休まらなかったのだ。
食器を流し台へ運び、洗い物を始めた頃。
ふと背後に気配が湧くのを察したが、明日香は敢えて無視した。
「ただいま、明日香君。七瀬君は、確かに護送班へ引継ぎを済ませましたよ」
「そうかよ」
気配の主はグレイだと分かり切っていた明日香は、ぶっきらぼうに返すのみ。
「年に一度の健康診断です。心配なのはわかりますが、信じて待ちましょう」
言いながら、優雅に椅子に腰かけるグレイ。
「私達に出来るのは、ここの留守をしっかり守る事と、七瀬君の健康を祈る事だけです」
「ふん。もし七瀬に何かあった時、てめえらが無事でいられる事を祈っておくのも忘れんな」
皿をすすぎ終え、蛇口をひねる音がきゅっと部屋に響く。
それを見たグレイは、苦笑いを浮かべて連想する。
まるで首でももぎ取るかのような、乱暴な所作だ、と。
稀に見る明日香の緊張は、今回の七瀬の行き先、及びそこで成されるであろう行為に起因する。
先程グレイが口にした健康診断。それは件の機関の施設で行われるものだ。
当然、額面通りのメディカルチェックだけに留まらず、身体中の脈に電極を繋ぎ、最新機器を用いてあらゆるデータを採取するのだ。
それが苦痛を伴わないはずがない。
しかし、己から得たデータを元に、以降の研究が安定すれば、もう不幸な子供は生まれないだろう、と。
七瀬は希望を抱いて、自ら身を差し出している。
明日香と七瀬は双子特有の共感覚により、距離を隔てていても、互いの感情を少なからず共有している。
明日香の不安は、そのまま七瀬の不安の表れでもあり、同時に揺るがぬ決意も伝わっているのだ。
「ふむ。君が機関に良い感情を持っていないのは理解しています。しかし、彼らとてその道のプロ。言い方は悪いですが、貴重なサンプルである七瀬君を悪戯に傷付ける事はあり得ない。その点だけは断言しましょう」
「どうだかな」
真摯に言い聞かせるグレイへにべもなく返すと、明日香は離れた椅子へどかりと座り込んだ。
「てめえらが俺様にしやがった事は忘れてねえぞ。それでも、ほんの気まぐれで、どこかしらいじり回そうとしねえと言い切れるか」
「そこを突かれると、反論のしようもありませんね」
グレイはお手上げとばかりに両手を上げ、そのまま頭の後ろに回して椅子へもたれかかった。
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