第18話 グレイマン
愛用のジャージに着替えた明日香は、七瀬の待つダイニングへ向かい、二人で食卓を囲んだ。
しかし、いつもなら楽し気に話を弾ませるはずの明日香は、視線だけはしっかりと七瀬を捉えつつも、どこか落ち着かない様子で、黙々と用意されたサンドイッチを頬張るのみ。
「あっちゃん。もしかして、緊張してる?」
「緊張なんざ……」
七瀬の心配気な問いを否定しようとするも、
「いや、お前に嘘は通じないか。ああ、してるよ。緊張しすぎで、むかついてくるくらいにな」
ふっ、と自嘲めいた笑みを吐いて、ぎしりと椅子の背に身を預けた。
見上げた先の真っ白い、染み一つない天井を凝視する内に、今朝の夢の内容がじわりと視界を侵食しそうになり、明日香は瞼をぎゅっと閉じた。
あんな夢を見たのも、無意識に今日という日を恐れていたせいなのだろう。
「今日の仕事は私が主役なのに。なんであっちゃんが緊張するのよ」
七瀬は努めて明るく振る舞っているが、双子同士、明日香も七瀬の感情はすぐわかる。
今のは、無理をして作った笑顔だった。
「検査で少しでもやばい数値が出れば、この生活は終いだ。そんな綱渡りをしようってのに、俺様は祈るくらいしかできねえ。くそ」
何の助力もできない苛立ちをぶつけるように、明日香は目前のサンドイッチを次々と平らげて行った。
「心配しないで。あっちゃんがいてくれるから、私は元気でいられるんだって証明してくるだけだから。ね?」
「……ああ」
七瀬から伸ばされた手をそっと握り返し、明日香は深呼吸と共に散り散りだった平常心をかき集める。
そして七瀬へぎこちなく笑いかけて見せた。
「頼むぜ。俺様の勝利の女神。この平和でくそったれな暮らしを勝ち取ってこい」
「任せて。留守番、お願いね」
二人同時に微笑み合うと、それっきり辛気臭い空気は霧散し、和やかに朝食を再開した。
その矢先。
「……おや。事務所が開いていないのでこちらへ来てみれば。まだお食事中でしたか。これは失敬」
ダイニングの開け放した戸口に、ふらりと男が現れた。
中肉中背。茶色のくたびれたスーツ姿に、度の入っていない眼鏡に、特徴の乏しいのっぺりとした顔。
時折世話になる、仲介屋の中年男であった。
「あれ、なんで田中さんが……」
七瀬ののんびりとした疑問を置き去りに、明日香は椅子を蹴り倒して立ち上がると、猛然と男に迫る。
「下がれ七瀬! こいつが、ここに来る訳ねえだろ!!」
明日香は問答無用で男に突っ込むと、無防備な腹につま先で一撃加え、くの字に折れたところへ、流れる動作で振り上げた踵を男の後頭部へ叩き落としていた。
どがんと鈍い音を発しながら床に激突した男は、次の瞬間急激に膨張し、クラッカーのような派手な破裂音と共に砕けて散った。
とっさに七瀬を抱えて飛び退いていた明日香がそちらを見やると、男のいた場所には大量の紙吹雪が舞い、次第に薄れて消えていくと、最終的には一枚の紙きれ──正確には、人の形に切り抜かれた紙の札が床に残った。
いわゆる陰陽道で言う、式神に用いる
わざわざ確認に向かう愚を犯さずに、明日香は七瀬を背に庇ったままで神経を集中させる。
さらなる襲撃者の気配は容易に把握できた。
テーブルの下からにゅるり、という擬音が相応しい柔軟さで出現したのは、また同じ顔をした男。
下半身がテーブルの下から出て来る前に横っ面を蹴り飛ばし、再び破裂させる。
その頃には鍵のかかっているはずの窓を開き、侵入を試みる三人目の姿を捉えていた。
すぐさま飛び蹴りで外へ放り出すと、明日香は七瀬の手を取った。
「七瀬!」
「オッケー!」
阿吽の呼吸で気を同調させると、七瀬の主導で周囲に結界を瞬時に展開させる。
二人の足元に、視認出来る程の膨大な気が集い、陰陽の勾玉を模した陣がはっきりと形を成した。
術の扱いは完全に七瀬に任せ、陣に気を送り込む事に全霊を注ぐ明日香。
その数秒の内にもあちらこちらの隙間から、大量の田中が出現しているが、結界内には干渉できず、外側へ張り付いて無様にもがくのみ。
それはさながらB級映画のワンシーンにも見える、滑稽ながらもおぞましい光景だった。
やがて術式の段階を進めた七瀬が鋭く呼気を吐くと、二人の周囲に張られた結界が一気に膨張を始めてゆく。
自然、ひしめき合っていた田中達は、結界の不可視の圧力に押し返され、壁と言う壁に圧迫されてパンクしていった。
それでも七瀬は用心のためか術を緩めず、ビル全体を丸ごと囲むまで広げてから、ようやく範囲を固定して式を手離した。
「なんだったの? 今の田中さん地獄は……」
軽く額に汗を浮かべ、両肩を抱くようにして不安がる七瀬に、明日香は舌打ちと共に心当たりを口にする。
「こんな悪趣味な真似する野郎は、一人しかいねえだろ」
「まさか……」
七瀬が辺りを見回した瞬間、それは訪れた。
床に散らばっていた大量の人形が、つむじ風に乗るように一カ所にまとまってゆくと、たちまち立体感を持って一つの人影を形成する。
「ふふふ。そのまさか、とは。誰の事を指しているのでしょう。教えてくれませんか」
そう芝居ががった台詞と共に現れたのは、グレーのスーツに身を包んだ優男だった。
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