第14話 エンカウント
明日香は摩天楼より急降下し、地表近くに展開されたもやの如き結界を、踵の一振りで切り裂いて突入を果たした。
着地の瞬間、正面の暗がりから飛び出す人影を察知。
と同時に、上段から振り下ろされた鈍く光る長物を、明日香はとっさに半身を反らし、紙一重で斬撃をかわした。
そして空を切って流れた刃先を、右足で思い切り踏み付ける。
刀の切れ味に加え、明日香の蹴りの威力が乗った斬撃は、いとも容易くアスファルトの地面を抉り、がちりと固定された。
「なんと」
発された低い声音で、人影が男だと知れる。
相手が驚嘆に惑う隙を逃さず、明日香は刀身を踏み台としてひらりと飛び乗ると、すかさず左足で男の手首を踏み抜いた。
ごきり、と関節がイカレる確かな手応えと共に、男が苦悶の声を上げ、その手から刀が離れる。
その時には明日香は蹴りの反動をもって流れるように右足を振り上げ、雷光のようなサマーソルトキックを放っていた。
硬いつま先が容赦なく男の顎を捉え、破砕音を響かせる。
蹴りの威力はそれだけに留まらず、男の身が軽々と宙を舞い、二転三転と縦回転をしながら吹き飛ばされていく。
そしてビルの壁に派手に叩き付けられる事でようやく動きを止め、その場に崩れ落ちた。
「ひぃっ……!?」
同時に背後から上がる女性の声。
結界に捕らわれた被害者だろう。
明日香は一瞬、ちらりとそちらへ視線を投げる。
一見服装は破れ、ところどころが朱に染まっているが、幸いまだ四肢などは無事だ。なぶるために数カ所を浅く斬られただけだろうと見て取った。
「警察だ。応援もすぐに来る。動けるなら、今すぐ大通りへ出て保護してもらえ」
未だ怯えの混じる女から視線を外すと、男を監視しながら、務めて平静に指示を出す。
折よく明日香が蹴り破った箇所は結界の大通り側だった。
男は路地の奥に吹き飛んでおり、明日香がここを塞いでいる限り邪魔はできまい。
「は、はい! ありがとうございます!」
女性は警察と言う単語に安堵して我を取り戻し、明日香が破った結界の穴から、よろめきながらも脱出して行った。
その間、わずか数秒程。
再び倒れた男へ意識を戻すと、首が異様な角度に曲がった人の身体が、ゆっくりと立ち上がり始めていた。
「ちっ。刀を手離せば終わりかと思えば、宿主に乗り移るタイプか」
心底面倒そうな表情を隠しもせず、明日香が吐き捨てる。
果たして、男は自分の砕けて外れた顎をがきごきと無理矢理に元に戻して、不格好にも声を発してみせた。
「くく、その通り。しかし驚いた。先の身のこなしもだが、初見でそこまで看破するものとは。戦国の世でもそうはおらなんだぞ。貴様、本当に現代の者か?」
「ああ。てめえのような、ろくでなしを狩るのが専門のろくでなしだ」
「いつの時代も、退魔士とはなくならんものか。忌々しい」
男は首の調子を見るようにごきごきと音を鳴らして大きく回しながら、苦言を吐いた。
「女。取引だ。このまま見逃がせば、大人しく狩場を他へ変えるとしよう。どうだ」
「話にならねえ」
命乞いを一蹴した明日香が一歩踏み出すと、男は慌てた様子で両手を突き出し制止した。
「待て待て。おれを祓えば宿主も共に死ぬるぞ。それでもかまわんのか」
男の言葉に、明日香は足を止め、ポケットの中のスマホを軽く弾いた。
「七瀬。こんな事言ってるぜ」
『閑古堂店主の長男、
スピーカーモードに切り替えたスマホから、七瀬の整然とした声が流れ出る。
仕事を受ける前に、ターゲットの身辺を洗うのは基本中の基本だ。
今回の作戦開始前に七瀬はすでに閑古堂へと接触し、取引を交わしていた。
『中身が妖刀だろうが本人だろうが、猟奇殺人犯が身内から出るのは都合が悪いようでして。広志さんの名は、既に戸籍から削除されました。ご愁傷様です』
それを聞き、男の顔にかすかな落胆が浮かんだ。
「ふん。ざまあねえな。呪いの刀と親不孝息子、両方この世から消してくれってこった。もう時間稼ぎのネタはねえだろ。いい加減諦めようぜ」
そう言って明日香は再度踏み出そうとするが、ぴりっとした緊張が脳裏を走り、その場より大きく飛び退いていた。
「これを避けるか……ますますもって忌々しい。昔、おれを封じた巫女も、貴様のように美しく、そのくせ底の見えぬ
明日香の足元に刺さっていたはずの刀がいつの間にか消え、男の歪なままの手に納まっていた。
どういったからくりか、はたまた妖力か。
刀を独りでに浮かせて、手元に呼び戻すついでに明日香の首を狙ったらしい。
「おう、おう。程よく時間も稼げて回復したぞ。立て直しがなった我が結界を、その身でとくと味わえい!」
男が叫ぶと、周囲がどろどろと赤色に染め上げられてゆく。
明日香が破った穴もすでに塞がれ、途中まで呼び掛けていた七瀬の声も遮断された。
完全に結界内へ呑み込まれたのだ。
コンクリートジャングルは姿を消し、見渡す限り赤い並行線が広がる世界。
元の路地裏に比べれば、夕暮れ程度には明るい。
しかし上空も大気も赤黒く淀み、不気味な様相を呈している。
まるで血の池地獄を連想させる、本物の異界が明日香を取り巻いていた。
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