第13話 ショートカット

 公安特務課とジェミニによる合同ローラー作戦は、日没間近の午後18時より開始された。


 それぞれ私服に着替えて散っていった捜査員達同様、明日香も事務所を出発し、捜索へ向かった。


 東口をあたる特務課の第二班は駅方面から来るため、歌舞伎町に犯人がいるとすれば、挟み撃ちの形となる。


 特務課の面々はさりげない風を装いながら、霊視をもって町の各所を見て回り、それこそ血眼になって捜索を敢行している。


 その一方、明日香は喫煙所で悠然と一服したり、ゲームセンターやパチンコ屋に立ち寄ったりと、気ままにだらだらと、散策と休憩を繰り返していた。


 初夏とは言え、夜の人込みともなれば、湿気も増して不快指数はかなり高い。


 元来怠惰で大雑把な性格の明日香は、しなくて済む仕事は極力しない、をモットーとしている。

 捜索は特務課の数の力に完全に丸投げして、自らは体力の温存という名目の元に、冷房の効いた快適な場所を担当する事に決めた。


 傍目にはただ遊び回っているようにしか見えないが、それでも意識の半分は仕事に割り当てている。

 周囲で怪しい気の乱れがあれば、即座に対応できるだけの余裕は残していた。



 最近の電子機器は便利なものが出回っていて、明日香が今付けている小型ワイヤレスイヤホンもその一つだ。

 スマホを介してグループ回線で繋がれており、無線の代わりに各班との連絡を容易に取ることができた。


 もっとも、ポケットにスマホを入れっぱなしにしている明日香は、飛び交う各班の状況報告を流し聞きしているだけだったが。



 やがて作戦開始より、数時間が経過した頃。


 他の班に動きが無い間、完全にパチンコ屋に居座っていた明日香に突如異変が訪れた。


「お……ようやくきたかよ」


 今時では珍しくなってしまった喫煙可能な店内で、咥え煙草のままに玉を弾いていた明日香の口元が、かすかに引き締められた。


 鋭く見据えるのは、眼前の台の画面表示。


 勝ち負けを繰り返して粘っていた甲斐があり、派手な演出と共に確率変動フィーバーの兆候が現れたのだ。


「よしよし、こっから本番だぜ……ああ?」


 ここぞとばかりに追加の玉を投入しようとした明日香の耳元を、不意にざらりとした異音が撫でた。


『……二班デルタより……報告……目標発……至急応援を……』


 妙に雑音に塗れた女性捜査員の声が、途切れ途切れに耳朶を打つ。


『各班、聞こえていますか! 指令本部より七瀬です。今の着信の位置情報を、地図アプリに送信しました。一時的でしたが、恐らく磁気や電波の類へ影響するほどの強力な結界が発生したと思われます。最大限の注意をもって急行して下さい!』


 次いで焦りを滲ませる七瀬の指示が飛ばされ、同時にスマホに振動が走った。


「おいおい、このタイミングとかマジかよ。ふざけんな」


 明日香は台の盤面を割りかねない勢いで拳を叩き付けると、断腸の思いで席を立った。


 必死に平静を保とうと、賞金の額を思い出す。


 300万……そう、300万だ。

 パチンコのあぶく銭程度、気にする必要はない……


 そう己に言い聞かせ、通路の途中にいた顔馴染みの男性客の肩をがしりと捕まえた。


「おい。あの台確変入ったとこだが、急用ができちまったから、玉ごとてめえにくれてやる。うまくモノにしたら、今度煙草でもおごれ」

「へ? はあ。マジでいいんすか。そんなよっぽどの事なんすか」

「よっぽどのクソったれな用事なんだよ。ともかく、後は任せた」


 男の両肩をばちんと叩くと、悲鳴が上がるのも気にせず明日香は店を飛び出した。


 走りながらスマホを取り出し、地図アプリで位置を確認する。


「なんだ、意外と近いな」


 現在地と救援要請の出された位置は、1㎞も離れていなかった。


 しかし忘れてはならないのが、ここは新宿歌舞伎町。


 大通りはともかく、裏道に入れば細かく枝別れして、不意に行き止まりが現れる。

 夜ともなればさらに景色は一変、余計に土地勘が怪しくなる魔境である。


 もちろん明日香は近辺の地理を知り尽くしているが、まさに今立つ位置が、そんな混迷したビル群のただ中であり、目的地までは目の前のビルを大きく迂回する以外に道はなかった。


「しょうがねえ。準備運動がてら、飛ばしていくか」


 明日香はスマホをポケットの奥へしっかりしまい込むと、一度全身をぶらぶらと揺らしてほぐしていった。

 次いで深く腰を落とすと、コンクリートを蹴り凄まじいロケットスタートを切った。


 すぐ目の前に袋小路のビルの壁が現れるが、明日香は迷わず突っ込んで行く。


 ガッ! と大きく地を跳ねると、正面の壁につま先をひっかけ、次は斜め横の隣のビルの壁へ飛び移る。そして三角飛びの要領で上昇を繰り返して、瞬く間に登り切ってしまった。

 まさにましらの如くの登攀とうはんである。


 その後は看板や貯水槽、配電盤などで雑然としたビルの屋上を縫うように抜け、ビルの谷間を飛び超え、障害物競争のように疾走してゆく。


 流行りのパルクールもさながらの、軽快なショートカットの果てに辿り着いた指定の座標にて。

 ビルの屋上の端へ立ち、眼下を視れば、薄いビニールのような薄墨色の幕が、路地裏にぼんやりと広がっているのが確認できた。


「あー、七瀬? こちら俺様。現場到着。今から突っ込む」


 言うが早いか一方的に通話を終えると、高所への気負いを微塵も見せぬまま、身体を前方へ投げ出した。


 ジャージの裾と後ろ髪をはためかせながら、直接敵地目掛けて落下してゆく明日香。


 その顔には不安も怯えも一切なく、いつも通りのしかめ面で、着地点を睨み付けていた。

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