第12話 ブリーフィング

 見鬼けんき、という言葉がある。


 字面から、何かしらの鬼の名前かと思われがちだが、それは大きな誤解である。


 しばしば大雑把に霊感とも言われている、幽霊、鬼、人ならざるものどもを察知、あるいは直に視る能力を差すものだ。


 その捉え方、感度は人それぞれで、なんとなく悪寒がする程度から、人と全く見分けが付かない程鮮明に視えてしまうなど、実に幅広い。


 時に、この能力が自覚なく強力に発現してしまい、常に視界へ幻覚が溢れているような惨状となり、次々とよくないものを呼び寄せ、日常生活が困難になってしまう事例も少なからずある。


 世間の精神疾患患者の何割かは、これらの霊障によるものであるとする論文も出ている程に、この素養を持つ人は意外と多い。



 しかし見鬼の才は、正しく訓練すれば、ある程度自制する事が可能となる。


 普段は心の瞼を閉じて、見えてはならないものを視界からシャットアウトするのだ。


 公安特務課の構成員選抜には、この見鬼の才の有無が最重要視されており、所属する全員が、ある程度の習熟を義務付けられている。


 彼らは、この世ならざるものどもを相手にするために設立された機関である。

 それらに対抗するには、最低でも相手の姿を正しく認識できるが必要であった。



 以上の事を踏まえた上で、七瀬の立案した作戦は実に単純なものだった。


 現在動ける特務課の捜査員を一斉投入し、犯人の潜伏先をしらみ潰しに捜索する、という人海戦術。



 そこに至るまでの七瀬の理屈はこうだ。


 まず今回の犯人は、被害者へ声をかけて犯行現場へ誘導したり、無理矢理に拉致したりというような、積極的で足の付きやすい行動を一切取っていない。


 そこから慎重で用心深い人物像が浮き上がるが、七瀬の推理はそれに留まらない。


 相手は人ならざるもの、と想定した場合、異能の存在をも考慮する必要があった。


 事前の情報から、犯人は強大な霊力を備えた妖刀を利用している可能性が示唆されている。

 そして現場に一切の痕跡も残さず犯行を済ませ、不審人物として目撃すらされていない。


 この事実から七瀬が導き出した仮説は、「結界」の存在だった。


 結界。

 を隔てるもの。


 ジェミニにも七瀬自ら張っているような、意図せぬ者の侵入を阻み、逆に捕らえた獲物を逃さぬためなどに用いられる、霊的な障壁。


 一定以上の力ある悪霊や物の怪の類は、己固有の結界を持つ事は珍しくはない。


 その点から件の妖刀も、ある種の結界の使い手であろうと判断したのだ。

 人知れず路地裏などに潜み、蜘蛛が巣を張るかのようにじっと待ち構え、通りかかった獲物を結界内に引きずり込んで犯行に及んでいるのでは、と。




「そんな訳で。特務課の皆さん、気合入れて見回りお願いしますねー」


 パソコンのオンライン通話にて、七瀬は画面の向こうへ笑顔で手を振った。


『いやまあ、バックアップするとは言ったけどさあ。全力で使い潰そうとは恐れ入ったね、こりゃ』


 通話先は特務課の会議室で、本田時康を始め、他の捜査員も背後に映り込んでいる。


「ちまちまやってたらこっちの狙いを見抜かれて、雲隠れされちゃうかもしれないでしょう? こういう時は初手から全力一発勝負! 兵は神速をたっとぶのですよ」

『七瀬ちゃんて、たまに軍師キャラになるよねえ。三国志だっけ? それ』

「そんな事は今はどうでもよろしい! ほらほら、作戦概要復唱! さん、はい!」


 ぱんぱんと手を叩く七瀬の圧を受け、時康以下の捜査員がもそもそと声を上げ始める。


『……え~、特務課は二班に分かれた上、新宿駅東口と西口よりそれぞれ散開。一般人を装いつつ繁華街へ紛れ、路地裏などを霊視して巡回し、結界の有無を確認。異常があり次第報告する事』

「声が小さいけど、内容はよしとしましょう。犯行は週末の夕方以降に集中しています。今週に入って金曜日まで被害なし。となれば、本日土曜日に動く可能性が極めて高い。まさにこれからが犯人にとってのゴールデンタイムとなる訳です」


 熱弁を振るい、七瀬は捜査員たちに再度集中を促した。


「この作戦は、一度決行すれば二度目はありません。今日で確実に仕留めますよ」

『おーけーおーけー。仕事が早く片付く分には、おじさんも大いに賛成よ。んで確認だけど、怪しい結界を見付けたら、報告後、遠巻きに監視するだけでいいんだよね?』


 時康がチューハイを一口飲んでから、七瀬に質問を返す。


「はい。報告を受けたら姉がすっ飛んで行きますので、ご心配なく。下手に刺激して逃げられても困りますしね。一度、捜査一課が囮捜査を試して、まんまと餌食になっちゃったんでしょう? 二の舞にはさせませんよ」

『そう願いたいねえ。ま、今回は明日香ちゃんという勝利の女神サマがついてるんだから、沈みやしない大船だわな』


 時康は画面越しに、七瀬の後方でソファに沈んでいる明日香へ手を振った。


「先週、賞金稼ぎの知り合いがられた。手柄を焦って先走る奴がいないように、せいぜい言い聞かせておくんだな」


 明日香は上半身を起こして大きく伸びをすると、あくび混じりにそう言った。


『うっそ。初耳なんだけど』

「そりゃそうだ。死体は所属の組が回収して隠蔽したからな。賞金目当てに、他にも何人かやられてる。間違ってもてめえらは手を出すんじゃねえぞ」

『おお? もしかして心配してくれちゃってる?』

「これ以上余計な仕事を増やすなっつってんだよ。他の連中に先を越されないためにもな」


 浮かれ声をあげる時康に、明日香は嫌悪をありありと顔に出すと、ジャージの上着を掴んで立ち上がった。


「俺様もそろそろ出るぞ。一丁目から順に見ていく。もし西口で見付けた場合は、てめえが死んででも足止めしとけ」

『アイアイマム! ……ていうか、おじさんは死んでもいいのかー……』


 びしっと敬礼した後、しょんぼりとした時康を尻目に、明日香は七瀬と視線を合わせた。


「じゃあ、行ってくるぜ」

「気を付けてね」


 七瀬が近寄り、軽く抱擁を交わす。


 それだけで、誰が相手だろうが敗ける気がしなくなる。

 明日香にとっての勝利の女神は、間違いなく七瀬だった。


 抱き合ったのはほんの一瞬。


 惜しむ気持ちもあったが、明日香は思考を切り替え、ジャージを羽織りながら事務所を後にする。


「さて。刀狩りといくか」


 ズボンのポケットに両手を突っ込み、非常階段を下りる動きは日頃と変わらず緩慢そのもの。


 しかしその瞳には、ぎらりとした闘志が確かにみなぎっていた。

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