第7話 ヘルゲート


「なんだぁおい、まぁだ元気な客が残ってたのかぁ?」


 声帯が焼けているのか、がさがさと耳に障る男の声だった。


 着衣は燃え尽き、体は完全に炭化している。

 姿勢を変える度に、あちこちから焦げた皮膚片が零れ落ちてゆく。

 動いているのが不思議な状態だった。


 そこまでは入り口に殺到していたゾンビ達とそう大差はない。


 違うのは一点。

 炎が身体には一切回っておらず、頭から長く逆立った髪のように、天井を覆わんばかりに燃え盛っていたのだ。


 スプリンクラーの故障の原因はあれか、と明日香はかすかな溜め息をついた。


「いいぜいいぜ! 何度だってアンコールに応えてやるよ! 思う存分聞いてくれぇ! そしてみんな一緒に天国に逝こうぜ!! フゥワアアアオオオオオオウウウウウ!!」


 そんな事はお構いなしに、男は悦に浸りながら、音源が無事であれば間違いなくハウリングを起こしていたであろうシャウトを披露した。


「うるっせえな。客じゃねえ。クレームだ。てめえのド下手なそのシャウト、近所迷惑なんだとよ」


 耳を塞ぎつつ、心底面倒臭そうに明日香が返すと、真っ黒焦げな、しかし長く赤い燃え盛る髪を逆立てた男が明日香を睨み付けた。


「なにぃ……? 俺のエンジェルボイスがド下手だって……?」


 男の声に疑念が混じった。全く理解できないと言わんばかりに。

 マイクスタンドにすがりつくようにして身体を支え、紅蓮のゾンビはぶるぶると震え出した。


「少なくとも、歌と呼べる代物じゃねえな」

「……んだと、コラアアアアアアアアアア!!」


 逆上した男から立ち昇る猛炎は、その烈火の怒りを表すようにフロア全体へぶわりと広がった。


「俺の歌を馬鹿にするのは、百歩譲って許す! 人には好みがあるからな。そういうとこ、俺は寛大なんだ。だが! しかし!!」


 ずびしっ、と明日香へ指を突きつけ、男は熱く続ける。


「お前は一番言っちゃいけねぇ事を言った! なんだかわかるか!」

「知るか」


 にべもなく返す明日香にはお構いなしに、男はなおも声を張り上げた。


「音楽はよぉ、ハートなんだよ!! 音に愛と情熱がこもってれば、それは音楽ロックなんだよ! お前はそれを否定した!!」


 たちまちにフロア全体を炎が渦巻き、男の魂の叫びと共に、明日香を呑み込もうと吹き付けて来る。


(愛と情熱で人を殺してりゃ、説得力0だがな)


 とは思うものの、余計にこじれそうなので、明日香は相手にするのをやめた。


「よってぇ、判決を下すぅ! お前も俺を馬鹿にしてきた奴らと同じ、外道! ここに火あぶりの刑に処す!!」

「ああ、そうかよ」


 明日香は一片の関心も示さずに、手にした盾を大きく横へ構えると、ホームランでも打つような見事なフォームで振り抜いた。


 途端に巻き起こった凄まじい旋風で、一面を埋めていた紅蓮の炎は、ロウソクの火を吹き消すかのように跡形もなく消え去っていった。


「……お、俺の情熱が……負けた……?」


 燃えていた頭髪が全て吹き消され、ただの黒焦げゾンビとなった男がうめく。


 その間にも明日香は歩を進め、ステージの上へ上がっていた。


「お、まだ無事なギターが残ってるじゃねえか」


 明日香は舞台袖に隠れていた、多少すすけた程度のエレキギターを見付けると、盾を捨てて持ち替えた。

 そして軽く爪弾きながら、リズムを刻んで黒焦げゾンビへと向かう。


「お……なんだ? 速弾き対決でもしようってのか? 言っとくが、俺は歌だけじゃないぜ。神の指と呼ばれた俺のテクを見りゃ、お前だって真実のロックに目覚め」


 明日香の演奏を見て、やけに饒舌になった男は両手を開いて歓迎を示し、


「もう黙れ」


 一言必殺。


 ぐしゃり、と。

 斧の如きギターの一撃を脳天から食らい、頭蓋が弾け飛んだ男は、口上も半ばに完全な灰となってぼろぼろと崩れ去って逝った。


「ロックつったら、ギタークラッシュだよな。いい冥途の土産になったかよ」


 止めを刺したギターを放り投げ、明日香は愛用の煙草を取り出すと、焼け残りの火の粉が偶然にも先端に灯った。


「ふん。最期だけは気が利くじゃねえか」


 明日香は鼻で笑いつつも、焦げ臭さを上書きするかのように、メンソールの紫煙を深く吐き出した。


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