キャッチ&リリース

第8話 ビューティフル ホリデー

「良いお天気でよかったね~、あっちゃん!」


 七瀬が青空を見上げながら、呑気な声を出した。


「ああ。絶好のバーベキュー日和だな」


 明日香は朗らかに応じ、網の上から取り上げたばかりの串焼き肉へかぶりついた。


 熱々の肉汁をものともせずに頬張っては、もう片方の手に持った缶ビールをあおって一気に流し込む。


「くあ~、たまらねえ。昼から飲む酒は、なんでこう最高なんだろうな」

「あっちゃん、飲みっぷりがおじさんだよ。本田さんみたいにならないでよねー?」

「あんなアル中クソオヤジなんかに誰がなるか。平気だよ、俺様達は酔わない体質だしな。ほら、お前も飲め飲め」

「いえーい、かんぱーい!」


 かつん、とアルミ缶を鳴らし、姉妹は一気に中身を飲み干してゆく。

 足元には、すでに何十本もの空き缶の山が積み上がっていた。




 彼女らが今いるのは、事務所のあるビルの屋上だった。


 早朝から設営した簡易バーベキュー会場にて、姉妹水入らずではしゃいでいるのだ。


 青い空には覆う雲一つなく、初夏の日差しがさんさんと照り付けるも、それすら心地良い陽気に満ちている。


 ジェミニの入っているビルは全五階建てで、新宿としては珍しくもない、ちっぽけな古いビルだ。


 外観にも特に見るべきところはなく、ビル名の看板すら出ていない。

 歌舞伎町の端っこにはお似合いの、ありふれた景色として周囲へ同化している。


 特別高い建物は駅前や一番街方面に集中しており、周囲の建物はほとんど高さに大差がなく、視界を遮るほどのものではない。

 隣り合ったビルとの間も、コインパーキングなどのお陰で適度に離れていて、見上げた景色にはそれなりの開放感があった。



 ジェミニの仕事は、基本的に完全予約制である。

 それも既存の客や同業者からの紹介が無ければ、よほどの事態でない限り一見さんはお断りだった。


 どこも手の施しようがなく、他所をたらい回しにされた挙句、最後の希望として紹介されるのがジェミニなのだ。


 そして今日はかねてより完全に予定を白紙にした、待ちに待った休日オフである。


 丸一日中、愛しい妹と過ごせる至福の時。

 明日香はこれを生き甲斐として、荒んだ日々をしのいでいる、と言っても過言ではない。


 缶ビールを片手に、熱々の肉をかじり、目の前には笑顔の眩しい七瀬がいる。


 それだけで、明日香の心は満ち足りていた。


「……やーねえ、朝からがたごとやってると思えば、こんな楽しそうなことしてるなんて」


 そこへ不意に、階段を上がりながら聞こえて来たミハイルの声により、明日香はがっくりと肩を落とした。


 ここに、姉妹二人だけの楽園が儚く終わりを告げたのだ。


「出やがったな、平和を乱す邪魔者が」

「何よぉ、そりゃ出るわよ。このビルの持ち主なんだし」


 パリっとしたグレーのシャツに、黒皮のスラックスというこざっぱりとした恰好のミハイルがわずかに顔をしかめた。

 口調さえ気にしなければ、そのままファッション雑誌の表紙に載っていてもおかしくない出で立ちである。


「それと、人をゴキブリみたいに見るのやめてくれる? 乙女心が傷付くじゃないの」

漢女おとめの間違いだろ」


 明日香の指摘にも耳を貸さず、ミハイルは気軽な調子で二人へと歩み寄る。


「朝刊で見たけど、昨日の火事で相当な死傷者出たんですって? 火傷が酷くて身元確認が難しいとか。そんなのを直に見てきて、よくバーベキューなんて発想が出て来るわねぇ」

「うるせえ。なんとなく肉が食いたくなったんだよ」

「うちの姉は、鋼の心臓と胃袋が持ち味ですのでー」


 喧嘩腰の明日香に、七瀬が立派な胸元を張って誇らしげに言う。


「あらそう。それじゃあ、アタシも見習ってご相伴しょうばんあずかろうかしらね。どうせこの食材、うちの店の倉庫から持ち出したんでしょ?」

「さっすがミハイルさん、鋭い! 正解者には、キンキンに冷えたプレミアムな一本をご進呈~」


 立派な窃盗なのだが、七瀬は悪びれもせずにクーラーボックスから缶ビールを取り出すと、満面の笑みでミハイルに差し出した。


「ちっ。しょうがねえ。食材と七瀬に免じて、参加を許可してやる。ありがたく思え」


 さっきまでの安らかな顔とは打って変わって不機嫌になった明日香は、憎まれ口と共にミハイルを迎える。


「まったくもう。妹がアレなら、姉もコレなんだから。まあいいわよ、もう慣れたし」


 すでに気心の知れた仲とばかり、ミハイルは苦笑しつつもプルタブをぷしゅりと開ける。


「どうせなら楽しみましょうってね。はい乾杯~」

「──かんっぱ~い! ってかぁ! いいねえ、おじさんも一つ混ぜちゃくれねーかい?」


 ミハイルの音頭の直後。


 いつの間に階段を上がってきていたのか、赤ら顔の中年男──公安特務課・本田時康が、制服とは一変、アロハシャツに膝丈の短パンというラフな格好で、高らかに缶チューハイを掲げて立っていた。

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