第4話 束の間コーヒーブレイク

「やーねぇ、もう。数年来の付き合いになるのに、まだ慣れてくれないワケ?」


 ミハイルは事務所の入り口でまだ抱き合っていた二人の脇を抜け、中の応接テーブルへと香ばしい湯気を放つカップを三つ、手早く配膳してゆく。


「声もかけねぇで後ろに立つ奴なんざ、信用できるか」


 明日香は途端に不機嫌顔になって抱擁を解くと、ミハイルから離れたソファへどすんと座り、カップを手にして長い足をテーブルに投げ出した。


「大体なんでてめえまでちゃっかり混ざってんだよ。コーヒー置いたらとっとと失せろ。七瀬と二人きりの時間を奪うんじゃねえ」

「いーじゃない別にぃ。せっかくのコーヒーブレイクなんだし、みんな一緒の方が楽しいわよーう」


明日香の刺々しい言葉も、暖簾に腕押しとばかりに居座り、ミハイルはカップにぽんぽんと角砂糖を放り込む。 


「うえ。いつ見ても胸焼けしそうだぜ、てめえの飲み方は」


 嫌悪を浮かべてブラックのまますする明日香とは逆に、ミハイルの投入した角砂糖の数は実に10個。


「頭脳労働には糖分が必要なんだよ。これは自然の摂理なのよ~」

「ねーそうよねー。脳筋にはこの苦労がわからないのよ。気にしちゃだめよぉ」


 ミハイルに同調するように、七瀬もこそこそと五つほどの角砂糖と共に多量のミルクを混ぜ込んでいた。


「七瀬が太っても可愛いのは事実だが。またダイエット付き合って、とか泣きついてこなきゃいいけどな」


 明日香の投げた台詞に、スプーンを混ぜる七瀬の手がぴしりと止まる。


 ほぼ体格の同じ双子でも、デスクワークの多い七瀬は圧倒的に運動量の差がたたり、明日香よりほんの一回りグラマラスな事を非常に気にしていた。


「いーのよぉ、そんな細かい事気にしなくても。オンナのコはちょっと丸い方がカワイイんだからさぁ」

「あっちゃ~ん! 今悪魔が! 悪魔が囁いてる!」


 耳を塞いで悲鳴をあげる七瀬の目前で、ざばざばと追加の砂糖をこれ見よがしに入れるミハイルを、明日香は即座に蹴り飛ばしていた。


「悪魔は地獄キッチンへ還れ」


 ソファごと仰向けに引っくり返ったミハイルを見下し、冷徹に言い放つ明日香。


「はぁい。悪乗りが過ぎたわぁ。ごめんなさいね、なっちゃん」


 顎に踵が届く前に腕を挟んで打撃を吸収したようで、ミハイルはぴんぴんとしたままに起き上がった。


 引き締まった身は伊達ではなく、明日香に比肩する体術を持つ食えない男、いや、お姉だった。


 一説には、中東の傭兵崩れという噂もあり、それも頷ける身のこなし。

 店舗の大家とは言え、明日香が安易に信用しない理由もそこにあった。


「あら、そう言えば今日金曜日じゃない。やっぱり夜回り行くのかしら?」


 事務所を後にしようとしたミハイルが、何気なく壁のカレンダーを見ると、思い付いたように明日香へ問う。


「ああ、そうだったか。七瀬」

「んー、今の所は依頼はないかな」


 明日香に聞かれるまでもなく手帳を開き、予定を確認する七瀬。

 双子ならではの以心伝心だった。


「一件もないってのは珍しいな」


 週末、金曜日ともなると、歌舞伎町の各店舗ではレイヴと呼ばれるイベントが多数催される。


 当然、人の動員が増えればそれだけ事件も増える。


 無論警察や地元商工会からも哨戒パトロールが出ているが、どこにもくだらないしがらみはあるもので、縄張りの関係上、手出しのしにくい領分があった。


 明日香は仕事柄、歌舞伎町の裏界隈では有名人であり、内部事情にも聡い。

 警察や一般人が介入しにくい、裏を牛耳る組織の垣根をあっさり超える身軽さを見込まれ、週末には彼女を指名した依頼がひっきりなしに舞い込むのだ。


「最近はちょっと過激なイベントが増えててやーねぇ。先週なんて、地下ライブでボヤ騒ぎも出てるし。お祭りに便乗して、お薬キメちゃってるコも増えたわよね。渋谷がこのところ締め付け強くなってるから、こっちに流れてきてるのかしらぁ」

「えー、それは嫌だな。あっちゃん、変な人がいても絡んじゃだめだよ~」


 帰るつもりだったミハイルが再びマシンガントークを始めると、七瀬は愛らしい眉をひそめて姉へ注意を促した。


「他人なんざいちいち相手にしねえよ。まあ依頼がねえなら、ちょっと寝ておく」


 心配無用と七瀬へふわりと笑みを向け、明日香は飲みかけだったカップを空にすると、ごちそうさん、と一言残して奥の仮眠室へ向かった。

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