始末屋「ジェミニ」

第2話 「ジェミニ」

 新宿歌舞伎町の一番街より数本ずれた区役所通りに、星座館という洋風の小洒落た雑居ビルがある。


 そこから数mもない路地を抜けた先に、明日香がねぐらとしている店舗があった。


 実際は小さなバーの二階に間借りしているだけだが、隣のビルの名前にあやかって、店名に「双子座ジェミニ」などと付けたのは、ひとえに縁を重視する同居人のこだわりである。


 名前はどうあれ、中心街から外れて喧騒から遠いこの立地は、静けさを好む明日香の嗜好には合致した。


 時刻はまだ夕方には早い。


 「準備中」の札がかかったバーのドアを遠慮なく開けると、独特のスパイスの香りと馴染みのある野太い声が明日香を迎えた。


「お店は夜からよ~、ってあらやだ。あっちゃんじゃないの。お帰りなさぁい」


 入って右手のカウンターの中から、すらりとした長身に金髪碧眼の男が顔を上げた。


 夜に向けた仕込み中だったのだろう。大量のハート柄が目に痛い、ド派手なエプロン姿で、しなを作って明日香を労う。


 この店舗のオーナー兼、バー「ニューカマー」の店長でもあるミハイル=ゼンだった。


 本名は不明。国籍も来歴も不詳。

 そんな人物はこの街では珍しくもないが。


 黙っていればしなやかで均整の取れた肉体の美丈夫で、眉目秀麗とも言える彫りの深い顔立ちに、人好きのする笑顔を浮かべている。


 だが、彼はいわゆるお姉キャラを売りとして、この界隈で名が通っていた。


 元の造作が良いので、夜になると巧みなメイクとハイセンスな衣装によって、下手なキャバクラ嬢より妖艶な仕上がりとなって店に立つ。


 数年前にこの店を開いた途端、その怪しい話術と多国籍料理をもってマニアックな客のハートを鷲掴みにし、たちまち常連が通う繁盛店にしたやり手だった。


「裏じゃなくて、わざわざこっちから入ってきたって事は、何かご注文? コーヒーなら、さっき淹れたてのがあるけど」

「ああ、それくれ」


 明日香はミハイルに短く返すと、カウンターと二つのテーブル席しかない手狭な店内を横切って、突き当たりの非常階段を昇っていく。


 五階まである途中の、二階のドアを開けて廊下に入ると、アパートのように横並びのドアが四つ並ぶ。

 手前の部屋は「ジェミニ」の看板が立つ事務所、奥は生活スペースと倉庫として割り当てている。


 とりもなおさず、開けっ放しの事務所のドアを潜ると、


「あっちゃん、おかえり~! また怪我とかしてない? 何もなかった?」


 明日香そっくりの若い女が、猛然と首へ抱き着いてきた。


「ただいま。何もねえよ」


 それを受け止めた明日香は初めて仏頂面を解き、柔らかい笑みを浮かべて相手の背を抱き返す。

 声色も心なしか、優しい響きへと変わっていた。

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