新宿ジェミニ ~霊能姉妹の過激なる事件簿~

スズヤ ケイ

始末屋業務 活動記録

第1話 強制退去

 新宿、歌舞伎町。

 昼夜を問わず、喧噪の絶えない不夜城とも呼ばれる日本有数の大繁華街。


 そんなきらびやかな場所にも、路地を一本逸れるだけで、嘘のような静寂が支配する隙間というものは存在する。



「で、このビルが現場なんですけどね」


 雑踏を抜けた先で、よれよれの茶色のスーツを着た男が言葉を切って足を止めた。


 視線の先には、立ち入り禁止の黄色いテープが幾重にも貼られた、雑居ビルの入り口がある。


「えー、ここの二階のテナントに、以前デリヘル嬢の待機部屋があったんですが。まあ上客をかすめ取っただのなんだのと、下らない喧嘩から刃傷沙汰になりましてね」


 男は度の入っていない伊達眼鏡をわざとらしく指で押し上げ、手元のファイルをぺらりとめくる。

 その風貌は中肉中背、うだつの上がらない中年サラリーマン、あるいは役所の職員といったおもむきがある。


「一名重傷、一名は自殺、と。まあその辺の事情は興味ないでしょうから割愛しますが。端的に言えば、次のテナントに出すために、を追い出してもらいたい、というのが先方の要望です」


 その印象通り、やる気の抜けた声で内容を読み上げ、男がファイルを閉じて振り返ると、だぼっとした黒のジャージをだらしなく着崩した若い女が立っていた。


 年の頃は20半ばか、少し下。

 背丈は男より頭一つ低い。160㎝程度だろうか。


 全体的に細身だが、胸元はきついのか、上着のジッパーを半ばまで下げており、インナーの白いタンクトップを豊かな谷間が押し上げている。



 グラビアアイドル顔負けのスタイルと、化粧気のない、息を呑むような白い美貌がそこにはあった。



 しかし形の良い薄紅の唇をへの字に曲げ、流麗な目元にはぎらりとした険がありありと浮かんでおり、野暮ったいジャージ姿も相まって、せっかくの素材を台無しにしてしまっている。


 女は両手をジャージのポケットに突っ込んだまま仁王立ちとなり、高く結い上げた長い黒髪を、首をこきりと回すのに合わせてさらりと揺らした。


「……で。好きにやっていいのか」


 気怠さを隠そうともしないハスキーな声音で、女は尋ねた。


「できれば穏便に、とは伺ってますがね。まあ時間の無駄でしょうし、明日香あすかさんにお任せします」

「ああ」


 ぶっきらぼうに言うが早いか、明日香と呼ばれた女は黄色いテープをひょいと跳び越えビルへ侵入していった。

 まるで散歩にでも行くような気軽さで、営業停止中でがらんとしたビルの中を悠々と突っ切る。


 フロアはまるで異世界に迷い込んだように、常人なら身が竦むような寒気に満ちているが、女は微塵も気にした風もない。


 安全靴でも履いているのか、階段のタイルを踏む度にカツンカツンと硬く高い足音が響き渡った。


 程なくして、男から聞いていたナンバーの部屋を見付け出す。


 203号室、とかけられたプレートを何気なく見上げながら、明日香はドアノブを回すが、あいにくと鍵がかけられていた。


「気が利かねぇな……」


 仲介役の手抜きに文句を一つこぼすと、次の瞬間、明日香は躊躇なくドアを蹴り破った。


 轟音と共にアルミドアが真ん中からひしゃげ、蝶番から外れた勢いのままに部屋の奥まで吹っ飛んでゆく。


 ドアが激突して砕けた壁から舞った埃が落ち着くのを待って、明日香が部屋に侵入すると、派手なメイクをした女が散らかった部屋の隅でうろたえているのが見えた。


「ちょ、何? いきなりなんなのよ!」


 ファッション雑誌の流行そのまま、といったひらひらした衣装をまとった若い女は取り乱し、突如荒々しく踏み込んできた明日香を睨み付けた。


「あんたね、普通ノックくらいするでしょ! 心臓止まるかと思ったじゃない!」


 ふう、と言い返すのも面倒とばかりに息を吐くと、明日香は喚く女を眺めやった。


 濃いメイクのせいで、事前に見た本人の顔写真とはかけ離れているが、特徴は大体合っている。


 何より、その姿は半透明で、向こう側の壁が透けて見えていた。


 そして周囲を覆う、薄黒く禍々しい気の流れが明日香には見える。

 すでに悪霊になりかけているのは間違いない。


「てめえが死んだ自覚があるかはどうでもいいが、ビルの持ち主オーナーから退去命令が出てる。大人しく出ていけば見逃してやるから、とっとと消えろ」


 明日香の無遠慮に吐き捨てた言葉に対し、女の霊はわなわなと震え出した。


「……なによそれ……なんだってのよ……あれだけ人をこき使っておいて、あっさり追い出そうっての……? しかもこんな顔だけのむかつくオンナなんかを使いによこして、当てつけのつもり……?」


 ぶつぶつと呟く声は次第に大きくなり、明確な敵意を持ち始める。


「あのオンナさえいなければうちが指名一位だったのに……! ただ邪魔者を消したかっただけなのに……! せめて道連れにしようとして……殺して、殺してころしてコロシテ……コロシテヤルゥゥ!!」


 女の声に共鳴するように、室内に散乱した小物やガラスの破片が周囲へ乱舞する。


 はや女の顔には狂相が浮かび、不意に全身の輪郭を崩すと、巨大な黒い渦のように広がって明日香へ覆い被さってきた。


 しかし明日香は全く動じずに、無防備にも一歩踏み出す。


 そして、


強制退去くたばれ


 ぽつりと一言放つと同時、右足を振り上げ女の頭を蹴り砕いていた。


「が……え……?」


 首がぐるんと後ろへ反り返った状態で女は疑問符を浮かべ、動きを止めたところを、安全靴の踵が容赦なくぐしゃりと床へ引き倒す。

 その時点で、女はすでに人の姿を大部分失っていた。


「てめえはもう人じゃねえ。生きてる奴の邪魔をすんな」


 明日香は声に何の抑揚もないまま、とどめとばかりに女の胸元を床ごと踏み抜く。


 ずがん、と陥没する音と共に、女の霊は断末魔も上げる間もなく、さらさらと崩れて消え去った。


 ここまでの間、明日香はドアノブ以外でポケットから一切両手を出す事のない、呆気ない幕切れであった。


 ふと思い出したかのように、明日香は初めて右手をポケットから出すと、握られていたスマホで電話をかける。


「ああ。終わった」


 数コールで出た相手へ仕事の完了を短く告げると、左ポケットから出した煙草に火を付け、線香でも手向けるように部屋中へ紫煙を広げる。


 メンソールの香りがある程度充満したところで、煙草は咥えたまま再び手をポケットに突っ込むと、明日香は二階の窓からごく自然に飛び降りてその場を後にした。







 これは、一見華やかな大都会の抱える闇、表沙汰にできない仕事を請け負う、「始末屋」と呼ばれる裏社会を生きる者達の物語である。

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