幕間◇巣鴨社宅への転居が決まる前日譚

 ちょっとけだるい月曜朝。普通の会社員だと休みが明けた1週間の始まりとなるわけだが大手芸能事務所大崎エージェンシーは土日も関係なく動いているため、昨日と変わらない一日のスタートである。

 アイドルセクションでチーフマネージャを務める太田おおた庸子ようこは、9時に出社するとまずはパソコンを立ち上げて、Tlackを確認するところから一日をはじめる。出勤途中に確認できれば良いのだが、社用車で移動している太田はそのテクニックが使えないため、まずはそうした事務連絡の処理からのスタートとなるのだった。


 いくつかのMentionやDMを処理していくと今日の朝一でアイドルセクションのセクションリーダーを務めている米花よねか宏和ひろかずからのDMが届いていることに気がついた。アイドルセクションの所属するマネージメント事業部専用に割り当てられたミーティングルームJへ10時に来てほしいとのことでスケジュールを確認の上、了承のリアクションを押す。

 緊急度の高いメールの処理などを済ませているとあっという間に10時近く。呼び出しってなにかあったのかな、と疑問に感じながら7階まで降り、ミーティングルームJへ入ると扉が閉まった音と同時に米花がこう切り出す。


「ちょっとまずいことになりました。」

「まずいこと……ですか?」

「ええ。昨日くらいから早緑さんたちが住んでいるマンションの周辺にファンらしき人たちがちらほら出没しています。」

「あー……。」

「例のストーカー騒動をたまたま見ていた人の口コミが暴露系MeTuberの所まで伝わったらしく、先々週の配信で話題に出されてしまったようなんです。」

「それはまずいですね。法的な対処は?」

「顧問弁護士にも確認したんですが、映像からすぐ判る状況ではないし、詳細な住所までは公表されていないのでちょっと厳しい、と。」

「なるほど。」

「内部監査からの指摘でエレベーターの停止処置を止めないといけないという話になっているさなかにダブルでの対処はちょっと大変ですが、善後策を考えましょう。」

「そうですね、承知しました。」


 別件の打ち合わせがあるということでそのまま残る米花と別れ、自分のデスクスペースへ戻った太田は、問題をいったん頭の片隅において、このところあいさつ回りなどで外出が多かったせいで溜まってしまった事務処理をこなしはじめる。ランチタイムも自席で行きがけにコンビニで買ってきたサンドイッチを片手に事務処理を続け、15時過ぎからはライブの段取り確認に入る。今週末にはマネージメントをしているアイドル・早緑さみどり美愛みあの有明公演が控えているので最終の追い込みをするタイミングなのだ。諸々の最終確認が終わった夕刻、子どもたちへ帰宅を促す防災無線が鳴り終わったくらいのタイミングで太田のデスクへ太田のもとでアルバイトをしている沼館ぬまだて華菜恵かなえが戻ってくる。


「ただいま、戻りました。」

「あっ、華菜恵、お帰り。どうだった?」

「機材も資材も特に問題なし、です。」


 華菜恵は、今週末のライブに向けて、搬入機材や会場設営に使う各種資材の最終確認をすべく、午前中からずっと大崎ライブクリエイティブの倉庫へ詰めていたのだった。


「良かった。じゃあ問題なしね。」

「あー、一点だけ。播島はりしまさんと話をしながら確認してたんですが、会場側機材は水曜の夜にならないと確認できないと伝えてほしい、と。」

「えっ!?明日じゃないんだ。」

「今日から水曜までオーバーオリジナルファッションメーカーのインハウス展示会が急遽入ったらしいです。」

「会場都合ね……。まあ、仕方ないわ。」

「代わりに明日は早めに搬入された物販のチェックに入るっていってました。」

「立ち会いは?」

「不要だそうです。」

「判った、じゃあ、いま聞いた内容をまとめて、了承したってこのあとメールしとく。」

「お願いします。」

「華菜恵はまだ仕事あったっけ?」

「今日は一日メールとTlackを見られてないので、その辺を処理します。」

「そっか、私ももう少しやらないといけないことがあるから一緒に頑張って、終わったらご飯行きましょ。おごるわ。」

「ありがとうございます!」


 二人は黙々と仕事を進めていく。外部の話し声やデモ音源なのか音楽なども聞こえてくるが、特には気にならないようで、淡々と事務処理が進む。時計が19時を回ったところで、太田は画面から目を外し、大きく伸びをする。ちょうどそのタイミングで部屋のチャイムが鳴った。


「あれ?沢辺さわべさんね。」

「ですね。開けてきますね。」

「お願い。」


 やってきたのはいまをときめくトップバーチャルライバーのマネージメントを専任で担当している沢辺さわべ舞衣子まいこだった。華菜恵が席を立つのと同時に太田も席を立ち、応接スペースへ移動する。


「こんばんは。突然すみません。」

「どうしたの?」

「ファンの皆さんが皆さんが住んでいるマンションに出没しているって先ほど聞いたので、太田さんへ私の提案がどうか確認して欲しくて伺いました。」

「あら、何かいい提案あるの?あっ、華菜恵もこっち来て座って。」


 お茶を出したあと自席に戻ろうしていた華菜恵に太田はそう声を掛ける。華菜恵は「失礼します」といって、太田の隣に座る。


「それでいい提案って?」

「はい、私が開設準備に携わっていた巣鴨社宅が再来月竣工なんで、そこへ皆さんに転居していただくのはどうかと。」

「少し工事が遅れているって聴いてたけど、もう出来るんだ。」

「雨が続いたんで一時期は2か月くらい遅延しましたが、梅雨の前には竣工させたいということで急ピッチで仕上げたそうですよ。」

「それならちょうどいいタイミングね。私は賛成。セクションリーダーとか役員とかの協議はどうする?」

「大石さんにもOKもらえたら私の方で進めておきます。」

「判った。よろしくね。」

「巣鴨に社宅が出来るんですね。」

「住菱重工さんのが持っていた社宅の跡地なんだけど、錦中央とかのアリーナを進めている過程でうちの施設不足を知った住菱不動産さんが斡旋してくれたんですよ。」

「巣鴨っていうのがまたあなたたちにはいい場所よね。」

「そうですね。白山まで三田線で一本なので楽です。」

「巣鴨って駐車場完備よね?」

「そうですね。全戸数分用意されています。」

「華菜恵にはそろそろ共用車に乗ってほしいからちょうどいいわね。」

「えっ!?私も運転するんですか!?」

「華菜恵って運転できなかったっけ?」

「免許はあるんですけど、ペーパーなのであのでかいのを運転するのは怖いなあ、って……。」

「ああ、この前紹介した智沙都が大きいのに乗るんだけど、さすがに三台も大きいのはいらないから華菜恵は軽でいいわよ。」

「いいんですか!?ありがとうございます!」

「あっ、そうそう。二人ともマンションの周辺にファンがいるとかはみんなには開示なしね。基本的に送り迎えしているし、面が割れている人は最近は用心してコンビニにも行っていないみたいだから余計な不安は掛けない方が無難。あと社宅の件はいま話していたようにこれから社内調整入るから私からみんなに告知するまで伝えないこと。」

「判りました。」

「沢辺さん、大石くんにもその旨伝えておいて。」

「承知しました。」

「華菜恵はもう仕事終わった?」

「はい、ちょうどきりのいいところです。」

「沢辺さんは?」

「私も今日は上がります。」

「じゃあ、三人でご飯食べて帰りましょ。おごるわ。といってもすぐそこのデンキトだけどね。」

「「ありがとうございます!」」


 そして、沢辺を中心に社内調整が進められ、みんなは巣鴨の社宅へと転居することになったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る