第一部 相手役

第一章 階段教室から始まる関係

第001話●階段教室での出会い

「うわあ、どんどん人が入ってくるなあ……。」


 単位が取りやすいと評判の心理学の授業らくしょうかもくだけあって、一足先に教室へ入り、席を確保して眺めているとあっという間に階段教室はほぼ満席になった。

 かなり混雑しているので席に座れず、空席を探して周囲を見渡している人なんかもいる。俺はその人と目線を合わさないようにそっと窓の外を眺めながら、ここ一週間くらいの出来事を思い出していた。


 この春、大学へ入学して、最初にぶつかった壁は履修登録だった。大学での授業は、一部の必修科目以外は、基本的に自分の好きな科目について履修の登録を行うことで、自由に時間割を組むことが出来る。そんな高校の頃とは全く違う仕組みに入学当初は不安だらけだった。


 ところが、運良く、武道館の入学式で雑誌研究会なるサークルが出している講義情報雑誌ガイドブックを見つけることが出来た。科目取得の仕組みからお薦めの授業まで、様々な情報が載っているこの講義情報雑誌ガイドブックのおかげで、科目選択は一気に楽になった。本当に取りたい科目以外の科目、特に基盤教育科目ぱんきょうについては、これを見ながら受ける授業を取捨選択すれば良いので本当に便利だ。


 例えば、この心理学の授業らくしょうかもくは毎回必ず出席を取るのできちんと出席しなければならない。そのかわり試験はとても楽で単位は取りやすいという、大学に来る気がある学生にとってはお買い得な授業になっている。


「ここ空いてます?」


 そんなことを考えていたら先ほど席を探していた人に声を掛けられた。一番上の一番端は階段のせいで二人分しか座席がない。ここなら一人で座れる、と甘い考えをしていたら下から階段を上ってきた女性に見つかってしまったようだ。


「はい、空いていますよ。」

「すみません、となり座らせてもらいますね。」


 黒髪を内巻にしたショートボブとラフなジーパンスタイルが印象的な彼女は、そういうと左隣に腰掛けた。


 90分の授業は少し遅く始まった。授業自体は割と興味をもてるもので、今後もしっかりと受けていきたい内容だったが、階段の一番上だとホワイトボードが見にくいことも判った。次回からはもっと下の方に座った方が良いな。


 授業時間きゅうじっぷんは割と早く過ぎ去り、少し早めに終わった。

 昼をどこで食べるか考えながら伸びをすると隣の女性もほぼ同時に伸びをしていて思わず目が合ってしまう。


「あの、学部はどちらですか?」


 おっと、この女性ひとは陽キャか?でも無視は良くないよな。


「……あっ、えっと、経営のマーケです。」

「あ、私と同じですね。私もマーケです。」

「それだとほかの授業でも一緒になるかもしれませんね。そのときはよろしくお願いします。」

「はい、こちらこそ。えーと、私、西脇にしわきといいます。せっかくなんで良かったらお昼を一緒に食べませんか?」

「えっ、いいんですか?」

「はい、同じ高校からここに来た友達もいなくて、まだ一人なんです。なのでよかったら。」

「ありがとうございます。あっ、私は高倉たかくらです。じゃあ、学食行きましょうか。6号館地下ろくちかで良いですか?」

「そうですね。混んでたら外に出てソコスファミレスでもいいかもしれません。」


 大学広報誌でも全面的に「推されている」6号館地下ろくちかはやはり大混雑していた。ここはいつも混雑しているらしい。仕方がないので講義情報雑誌ガイドブックでも混雑時のランチとしてお薦めされていたソコスファミレスへ向かうと学食よりも高くなるからか、すぐに入れる程度の混雑具合だった。


「まずは自己紹介からですかね?私は西脇にしわき未亜みあです。出身校は、高倉さん、田町女子たまじょってご存じですか?」

「もちろん。末広温子スエヒロの母校ですよね?」

「はい、やっぱりそのイメージですよねー。あの人みたいにそんなに目立つ子がいるわけでもないんですけどね。」

「知人でもいたら違うんでしょうね。じゃあ、今度は私ですね。名前は高倉たかくら圭司けいじです。高校はマイナーなんですけど目黒の石山舎やましゃです。」

「あっ、知ってます!友達の彼氏が石山舎やましゃでした!」


 高校は男子校、女性とこんな感じで話をするのは中学以来なのに西脇さんの社交性のおかげで会話が弾み、お昼休みが終わる頃にはRINEチャットアプリのアカウント交換までしてしまった。


「高倉さんはこのあとどこの授業を見に行きます?」

「3限は特になくて、4限にマーケティングリサーチ論を受けるつもりです。」

「私と同じですね。そういえば履修登録ってもう済ませました?」

「できるだけ授業を見てみたかったのでまだですね。」

「私も実はまだなんです。履修登録は今日が締め切りですし、このままどの授業を受けるかあわせませんか?何かあったときに知り合いがいるとフォローし合えると思います。」

「そうですね。じゃあ、そうしましょう。」

「……あのっ。知り合いにもなれたことだし、せっかくなんで敬語をやめません?」

「あー、そうで……そうだね。じゃあラフな感じで改めてよろしく。」

「うん、よろしくね!」


 女性の陽キャってこんな感じなんだろうかと思いつつ、自分の取りたい科目を出し合いながらなるべく授業をあわせていく。特に基盤教育科目ぱんきょうはお互いのために一緒の科目としていく。そのまま一緒に4限の授業に出たあとは、あとはもう帰るだけになった。


「西脇さんは実家住み?」

「そう、実家。戸塚って判るかな?」

「箱根駅伝の中継所だよね?」

「そうそう。あの辺。だから実家いえから大学ここまで来るのは遠くって。本当は一人暮らししたいんだけど、親がゆるしてくれないんだよね。高倉さんは?」

「俺は巣鴨で一人暮らしをはじめた。」

「いいなあ。……あっ、もうこんな時間。用事があるからまた月曜日かな。」

「うん、また来週。」


 大学でできた初めての知り合いは素敵な女性ひとだった。

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