1999年4月
高校二年生に進級した沙和子は、週に二回、火曜と木曜にバンドの練習に参加することになった。
夕食の席で一応両親に報告すると、「すごいねえ。がんばって」と母からのんきな答えが返ってきた。
娘が男子四人に囲まれていることに不安はないのかと父に聞いたら、「沙和子は大丈夫だろ」とのこと。信頼されているのか、それともお前は男子にとって魅力的ではないと言われているのかは分からないが、許可が出たのでよしとする。ちなみに、メンバーに淳也がいることは伏せておいた。
はっきり言って、ホリバンドは全然上手くなかった。淳也のドラムはフィルインのたびにつっかえるし、ホリさんの太い指はしょっちゅうコードを濁らせる。トオルはいい声だけど、サビの高音がちょっとキツそうだ。
ただカスだけは、いつも正確なテンポでベースラインを支えていた。沙和子は密かに感心していた。「プロを目指す」というのは口だけではないらしい。だからといって、キツい口調で沙和子以外のメンバーにダメ出しをするのはどうかと思うが。
午後六時を過ぎて練習を終えるとき、いつもカスは沙和子には挨拶せず地下室を出て行く。嫌なやつめ。
ホリさんの自宅はビルの六階だし、トオルも自転車で帰っていく。でも、沙和子が乗る電車はあと十五分来ない。古い駅舎のベンチで待っているとき、淳也がこう言い出した。
「カスやんのこと、嫌いにならないであげてね」
「なかなか難しい注文だよ、それ」
そっけなく答えた沙和子に、淳也が「俺から聞いたって言わないでね」と眉を下げた。
「……カスやんさ、親が離婚しそうなんだって」
カスこと
「カスやん、自分がロック甲子園で優勝してプロになれたら、家族を養えるって思ってるんじゃないかな。……それに、『月の光』はカスやんが一番好きな曲なんだ。だから沙和子が来てくれて一番喜んでるのは、カスやんだと思うよ。素直になれないだけ」
沙和子は頭を抱える。
思わぬ話を聞いてしまった。次からどんな顔をしてカスに接すればいいのか分からないじゃないか。
「……いくらなんでも、大賞は無理じゃない?」
「だよね。カスやんと違って、俺たちヘタだし」
でもね、と淳也は続けた。
「楽しいんだー、俺。塾で机に向かってるよりも、ドラム叩いてるほうが」
駅舎の外では少しずつネオンが光り始めていた。淳也はどこか遠い目でそれを眺めていた。なんだか知らない大人みたいだった。沙和子は妙に悲しくなって、彼から目を逸らした。
「……お母さんは、あんたがバンドやってること知ってるの?」
淳也のお母さんは教育熱心だ。息子を市長よりももっと偉い政治家に育てたいらしい。啓英塾はスパルタ塾として有名で、平日は毎日夜十時まで講義があるはずだ。でも淳也はバンドの練習に出ている。
「まさか。バレたら殺される」
「分かった。私も黙っとくよ」
沙和子はそう答えつつも、いつまでも隠し通せはしないだろうな、とも思った。
電車がやって来た。淳也は乗らない。塾に行っていることになっているから、まだ家に帰るわけにはいかないのだ。これから地下室に戻って、十時までドラムの練習をするそうだ。
座席は仕事帰りの大人や部活帰りの学生で埋まっていた。ドアの傍に立って、沙和子はイヤホンで音楽を聴く。ランダム再生なのに、MDプレイヤーは空気を読んで「月の光」を選んだ。
十年も前にリリースされた、ミディアムテンポのキザなラブソング。車窓を隔てた空には、本当に月が出ている。
《永遠はないよ 君がいるから》
本家本元の「月の光」を歌うのは「ザフクロ」こと
あーあ、とため息をつく。でもその先の言葉は、出て来なかった。
何だこれ、まるで青春の一幕みたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます