第34話・無計画
ひるがえって、それからしばらくして、オーリンは第一王女に呼ばれた。
「やあ。いつも素早く来てくれて感謝するよ。暇人なのかい?」
開始早々の煽りである。
全然暇じゃねえよ、という言葉をぐっと飲み込んで、オーリン。
「王女殿下のお召しとあらば、素早く駆けつけることが貴族の心得でありますれば」
「本当は私のことが好きなのかな、一刻も早く顔を見て話したいとか。いやあそこまで惚れられると困っちゃうな」
ムカつく王族である。
「私は分を弁えておりますゆえ、殿下にそのような不敬な感情は……」
「おっ、むしろ私は歓迎だけどね、オーリンから向けられる、そのような種類の『不敬な』感情は」
「早く本題に入りましょう」
彼はせっついた。
「そうだね。先日のジャスリーの不審な動きの件はまだ覚えているね」
「はい。私としましても、家来を用いて探りを入れているところです」
「私も傘下の間者たちを使っているよ。王女御用達の優れた草の者をね。でも」
「でも?」
「あまり成果が挙がらない。さして重要でない、半分どうでもいいような報せしか入ってこないんだよ」
王女は額に手をやり、大げさに嘆く。
「それは……いや、私のところでも似たようなものです。確実にジャスリーは何かをしているのに、ほとんどつかめない状況であります。兵家についてさえ、現状その出自や人となり、というより名前さえよく分からないほどです」
「そうだろう。そこでだ」
彼女は彼の肩に手をやる。
「きみが直接探ってほしい」
「……え?」
彼は思わず声を出した。
「間者は潜入の達人ではあるし、話を引き出すすべや人を丸め込む技術も、キャロラインほどではなくともあるはず。けど、オーリンみたいな広い視野、観察力、思考によってどういった調査を重ねればよいかの推測、情勢の読み、そういったものは、オーリンに比べれば一枚か何枚かは劣るだろうね」
「そうでしょうか」
「そうだよ。採取したネタについて、その場でそういった分析をして、更なる調査の道を開くには、オーリン、きみが直接潜った方が効果的ではないかい?」
言われるとそのような気もする。しかし彼は反論した。
「『魚は魚屋へ』のことわざにもありますように、そのあたりは専門者に任せたほうがよいと考えられますが」
「しかし、ときには別の者の新しい発想を活かすことも大事ではないかな。実際、現状として行き詰まっているわけだからね」
「それは、しかし」
「それに、オーリン、きみだって決して素人ではないだろう。密偵の技術も持っていると、私は聞いているけどなあ」
「むむ」
その通りだった。これまでも彼は、密偵としての専門技術を用いたことがある。
すべては戦を未然に防ぐために。
「というわけで、この可愛くてお茶目なお姫様のいうことを、聞いてくれるかい?」
猛烈に反論したい箇所があった。
しかしまあ、それは措くとして、彼はこの件に限っては、いったいいかなる脅威が成長しつつあるのか、自分で調べたいという思いもあった。
「……謹んで拝命いたしましょう」
彼は素直に命令を聞いた。
その後、オーリンは先立って潜入しているメリッサに密使を送り、事情を伝えて合流の場所等を約した。
出発の日、彼が外套をまとって邸宅の玄関から出ようとすると、父が声を掛けた。
「オーリンよ」
「なんでしょう、父上」
聞き返すと、ペデールは何か言いたげで、それでも言えないといったような様子。
「その……あの……」
「……ああ、私の身を案じて下さっているのですか」
彼はうなずいた。
「ご心配には及びません。これまでも敵地への潜入はしておりますし、荒事における私の腕前は、父上ならご存知のはず」
「しかしだな、その……」
ペデールはためらいつつ話す。
「こたびの謎の兵家、もしかしたら、という憶測があってな」
「ほう。正体についてですか?」
「うむ。憶測にすぎないので今ここで言いはしないが、もし、万一当たっていたら、これは尋常ならざる相手だ。武芸の腕だけでなく、色々と近寄ることがためらわれる人物かもしれぬ」
「そんな人物がいたのですか。ぜひ味方に引き込みたいですね」
「能天気な。彼奴はそういった人間ではないぞ」
「しかし、その憶測が当たっていれば、彼は結構な実績を挙げているのでしょう。そうでなければ怖れる理由もありませんゆえ」
「それはそうだが」
「優秀な人間は、往々にして多少はじゃじゃ馬なものでしょう。第一王女殿下や国王陛下ならばうまくその人間を使いこなし、更なる成果を挙げられると信じます」
第一王女はあの通りであるし、国王も結局は、この国を傾けることなく政治を回している統治者である。使いこなせるという予測も立つというもの。
「本当にそうだったらいいのだが……いや、それ以前に、まずその兵家の身辺をかぎ回るお前の身を案じているのだが」
「父上」
彼は咳払いをした。
「心配してくださるのは嬉しく思います。しかし再三申し上げる通り、私は危険にはもはや慣れております。若輩ではありますが経験のない新兵では決してありません」
「むむ」
「どうか父上も、お自らの息子を信じてくださいますようお願い申し上げます」
沈黙ののち、ペデールは思案気にではあるがうなずいた。
「まあ、ここで何か言っても仕方がないしな……」
「然り。では行ってまいります」
「本当に、本当に気をつけてな」
父の心配をよそに、彼は旅姿で自宅を後にした。
出立してみたはいいが、よく考えれば、今回は基本的に、事前に計画を練っていない。
とりあえず現場に行って、半ば、というかほぼぶっつけでこれからの方針を考える。
俺らしくもないな。
などとオーリンは、口の中でつぶやいてみる。
実際、計画性と事前の準備を重んじる彼が、このような行動を取ることは、珍しい。とはいえ、これは第一王女が命令したことであって、彼自身が心の底から正しいと考えて踏み出したことではない。
もっとも、彼はその命令にそれほど異議を発さずに、粛々と従った。彼と第一王女の関係は、彼の諫言を王女が受け容れるであろう程度には、親しいものであったはずだ。
つまり、結局のところ、彼の今回の行動は彼自身が従うことを決めた、といいうる程度には、自主的に動いたと考えるしかないだろう。
他人のせいにできない。
できないのだが、しかし「とりあえず現場に行ってから考える」という、およそ策士らしくもないことを決めてしまったのも事実。
前途は大丈夫なのか彼は心配するが、今さら撤回もできない。
現場に行って考えるしかない。
彼は頭を抱えた。
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